ヴェネツィア

飾られなかったおひなさま

 

桃の節句が来ると、かすかな痛みとともに思い出す。ヴェネツィアの家の納戸に長年、しまったままのおひなさま。娘が生まれたとき、両親が日本から送ってくれたものだ。大きな箱が五つ届いた。関税の支払いだけでかなり高額になり、こんなものわざわざ送ってくれなくていいのに、と、ばち当たりなことをつぶやいた。

しかしながら、飾ってみると三段のおひなさまはなかなか立派で、ヴェネツィア大理石と呼ばれるモザイクの石の床によく映えた。毎年取り出しては飾り、保育園の友だちやママたちを呼んでひな祭りをした。桃の花を生け、甘酒はなかったけれど、子どもたちは桃のジュース、ママたちはベリーニで乾杯し、女の子たちの健やかな成長を祈った。

離婚してイタリアを去るとき、おひなさまは当然、置いていくしかなかった。仕事だけは決まっていたものの、ほかのことはまだどうなるかわからない。とりあえず、最低限必要な物だけをスーツケースひとつに詰め、娘の手を引いて飛行機に乗った。おひなさまのことを思い出したのは、季節が一巡し、日本で桃の節句を迎えてからだ。

 

あかりをつけましょ、ぼんぼりに〜♪

駅ビルで、商店街で、おひなさまの歌が聞こえてくる。ああ、あのおひなさまがここにあったら、と、唇を噛んだ。娘は放課後、学童とシッターさんに預けっぱなし。不憫で、なんでもいいから少しでも喜ばせたいと焦った。

でも、おひなさまは手元にないし、自分も仕事に忙殺され、それどころではない。また、そのころは元夫におひなさまを送ってくれるよう頼める状況でもなかった。とりあえずスーパーのお菓子売り場で簡易な紙のおひなさまセットを買い、飾ってみたが、娘は気づきもしない。来年こそは取り戻そうと思いつつ、そんな余裕もないまま、月日が過ぎていく。

せっかくのおひなさまをこのまま納屋の肥やしにするのはもったいない、ヴェネツィアの東洋美術館に置いてもらってはどうか、と、舅が提案してくれたこともあった。価値ある美術品でなくても、ヴェネツィアにはない、珍しいものだから、と。

ヴェネツィアから東京へおひなさまを送る手間と労力、送ってもらったところで置く場所もない住宅事情を考えると、それが良案に思えた。舅が美術館に持ちかけてくれたが、お役所仕事で話は一向に進まず、結局、頓挫してしまった。

 

季節はまた何巡もして、今年も桃の節句がやってきた。もう娘は成人したのに、街中で、テレビで、おひなさまの歌が聞こえてくると、また、あのかすかな痛みがぶり返す。長い年月、納戸にしまわれたきり、飾られなかったおひなさま。送ってくれた両親に対して、申し訳ない気持ちが先に立つ。

女の子の初孫が生まれた喜び。遠くにいて会えないさびしさ。いつも思っているよ、日本の文化にもなじんでね……。両親の胸には、いろんな思いがあっただろう。それを無駄にしてしまった。すまない気持ちが込み上げてくる。

無駄にしてしまったのはおひなさまだけではない。

結婚の際に義父母がわたしたち夫婦に半分分けてくれた家。純粋なヴェネツィアンスタイルの家には、日本の香炉や掛け軸がふしぎに似合った。でも、わたしと娘はもうそこにいない。

舅が娘のためにイタリアから送ってくれた、イタリア語の児童書と百科事典。なんとかこれを読めるようにしてあげたいと思ったが、日本の小学校からの連絡事項に目を通すのが精一杯のわたしに、イタリア語の授業まで手配する余裕はなかった。

母が作ってくれた四季折々の着物。これらも結局、一度着たきりで、その後袖を通す機会もなく、実家の箪笥に眠ったままだ。

 

どれだけの人々の、どれだけの思いを、生かせず、来てしまったのか。ほかの人だけじゃない、自分自身の思いもそうだ。

人生は描いた航路を進まず、右に左に大きく揺れる。難破したり、道に迷ったりするうち、気づくと予想もしなかった風景のなかにいた。不本意でも、そこで生きるためには、やれることをやるしかない。抱えきれないものは、捨てていくしかない。

ふりかえると、うしろには夢の残骸があざやかなまま残っている。せつなくなるので見ないようにするのだが、どんなに封じ込めても、折に触れ、それらは姿をあらわす。桃の節句のおひなさまのように…。

しかたない。消費者なのだ。食べ物や日用品を日々、消費していくように、時間も贈り物も、夢も、生きるなかで消費されていく。でも、それでいいのだと思いたい。人生は片道切符の旅で、前に進む道しかないのだから。

ただ、ときどき寄り道して、感傷的になるぐらいはゆるされるだろう。飾られなかったおひなさま、完成しなかった家、かなわなかった夢……。 痛いが、いとしい記憶である。いとしい人たちの記憶であり、それらを築こうと無我夢中だった自分の、情熱の記憶でもある。

寄り道が終わったら、また気を取り直して前に進む。明日はどんな風に吹かれるのか。

おひなさまはもうあきらめたが、桃の花だけはかろうじて飾った。もう娘にしてあげられることはほぼない。ただ、幸多かれと、祈るばかりだ。

 

 

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ABOUT ME
トリリンガル・マム
長いイタリア暮らしを経て、帰国。日英伊の3か国語でメシの種を稼ぎ、子どもを育てているシングルマム。
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