ヴェネツィア

ラグーナで暮らす

 

なんだかんだと11年もいたが、潟(lagunaラグーナ)のなかで暮らすというのは、やはり独特。ヴェネツィアはご存知、潟のなかに作られた水辺の街。とはいっても、行く前には想像がつかなかった。

「水の上に街があるってどういうこと?」

「道が水でできているのよ」

前に行ったことがある友だちが教えてくれたが、想像がつかない。それがヴェネツィアの駅を出たら、確かに目の前には、アスファルトの道のかわりに水路が、車のかわりに船が走っていた。ほんとだ!ほんとうに道が水でできている。

モーターボートで島めぐりをすると、海のなかにファーロと呼ばれる木の標識がいくつも立って水路を示している。ほんとうに海を道として使っているんだ……。こんな小さな潟から船を漕ぎ出し、ギリシャへ、トルコへ、はては中国まで行ったヴェネツィア人たち。深く感動し、魅せられたのを覚えている。

 

 

のちに、縁あって、自分もラグーナの住人になった。水の上に住むなんて楽しすぎる!と、最初のころは毎日わくわく暮らしていた。迷路のような街のすみずみまで歩きまわり、船のバスで島をめぐった。有名な「Acqua Alta (アクアアルタ)」と呼ばれる高潮による冠水さえ、おもしろがっていた。

また、すぐそこにある運河や海は、季節や天気でまったく異なる表情を見せてくれる。

おだやかな春の、風のない日には、運河の水面は「come olio(油のよう)」にとろりとしていて、静物画のようだ。夏の、嵐の日には、容赦ない雨風に打たれて乱れ、暴れ、こちらの感情までかきたてる。あざやかに五感にうったえてくる自然の表情を見ていて、ヴィヴァルディの「四季」は文字通り、この街の音楽スケッチだったのだ、と感じた。

 

 

「ヴェネツィア暮らしは不便でしょう?」とよく言われる。それはもう、そのとおりだ。現代の生活で車が使えないということは、中世のテンポと静けさのなかで暮らすようなものだから…。しかし、慣れるとそれも悪くない。

夜、寝ていると、闇のなかでピチャ、ピチャ、と静かな水音が聞こえる。運河の壁に波が当たる音だ。最初は気になって眠れなかったが、いつも聞いているうちに子守唄のようになった。朝は、かもめや小鳥の鳴き声で目覚める。

もともと海を自然の要塞とする目的で作られた街だけあって、ラグーナの暮らしには外界から守られた小宇宙のような安心感があった。

 

 

ヴェネツィアの独自性を受け入れれば、ヴェネツィアのほうでもこちらを受け入れてくれる。しかし、月並みな利便性を求めようとすると翻弄された。

ヴェネツィアは、迷宮のような街、とよくいわれる。潟の地形に合わせて作ってあるから、どうしたって碁盤の目のようにはならない。地図で見てもよくわからないから、勘で、これが近道と思って行ってみると、運河に突き当たってデッドエンド、ということがよくあった。

また、建物の表玄関になかなかたどり着けない。ふつうは建物の表玄関というのは表の道にあるが、ヴェネツィアでは運河がメインロードだから、大きな館は表玄関が運河に向いている。船で行かないと表玄関につけないのだ。それを知らずに地図をたよりに陸の道を行き、館まではたどり着いているのに入り口がなかなか見つからない、ということも何度もあった。

ヴェネツィアの人に道をたずねると、決まって「sempre diritto (ずっと道なりに行って)」と言われるのだが、新参者にはそんな説明ではわからない。でも、それ以外に説明のしようもないことも、あとになってわかった。世田谷の、田んぼのあぜ道からできたと言われているタクシー泣かせの曲がりくねった道と同じで、細かく入り組んだ道のりなど、とても説明しきれないのだ。今ならgoogle mapでたどりつけるのかもしれないが、どうだろう。sottoportego(建物の下を通り抜ける道)なんて、どう示すのだろう。

自然の脅威も身近に感じる。アクアアルタ。嵐。雪。暑さ。ふつうの陸の生活なら車で別の場所に移動して避難することもできるが、ヴェネツィアではそうはいかない。雨や雪が降っても太陽に照りつけられても、歩くしかないから、暑さ、冷たさ、湿度といったものをまともに喰らう。

それでも何年か住むうち、どこも迷わずに行けるようになった。悪天候やストライキなどの不測の事態も、だいたいは想定できるようになった。それでも予測しきれなかったことがあった。海が凍ったのだ。

 

 

その朝、私は生後6ヶ月の子どもを連れて日本に帰国するため、自宅前からヴェネツィア・マルコ・ポーロ空港まで、モーターボートのタクシーを頼んでいた。海路なら30分で着く。仕事に出かける元夫を見送り、出発前の最後の点検をしていると、呼び鈴が鳴った。見ると、運転手さんだ。

「海が凍っちゃったんで空港まで行けません」

「ええっ?凍った?海が?」

さすがにそこまでは予想できなかった。だけどそういえば、以前、クエリーニ美術館で、凍ったラグーナでスケートをする絵を見たことがあったのを思い出した。でもあれは遠い昔の話。少なくともここ5-6年は凍ってないし、そんな注意を受けたこともない。しかし、そんなこといっても始まらない。間にあわなければ日本までの航空券がパアになる。はてさて、どうしたものか。

「湾外から空港までが凍ってる。大運河は大丈夫だからとりあえずローマ広場まで行く?」

ローマ広場はヴェネツィアの陸路の始点。そこからは空港へのタクシーもバスも出ている。

「そうします」

わたしはスーツケースを運転手さんに預けると、赤ちゃんを抱えてモーターボートに乗った。ローマ広場に着くとタクシー乗り場にはもちろん長い行列。しかしそのとき、今まさに出発しようとしているバスが目に入った。空港行き、と書いてある。

わたしは赤ちゃんを抱いたままスーツケースを持って走り、バスを止めた。バスの運転手さんには危ない!とすごく叱られたが、なんとかバスに乗り、飛行機に間にあった。

 

 

そんなこんなで、ヴェネツィア独特の構造や自然環境にはずいぶんふりまわされた。アクアアルタも、最初のうちこそ観光客のようにおもしろがっていられたが、暮らしているうちにそんなことは言っていられなくなった。

住居は二階だったのでうちは浸水の心配はなかったが、通勤や買い物、子どもの保育園の送り迎えといったときにアクアアルタが重なると、めんどうきわまりない。長靴をはいたり、迂回したり、passarelleと呼ばれる仮設の木の渡し廊下をほかの人とゆずりあいながら渡ったり…。しかしそれはヴェネツィアの生活についてまわるものであり、住民たちはしかたないとあきらめていた。

それが、何年か前から変わったらしい。高潮による冠水を防ぐ「モーゼ」と呼ばれる装置が稼働されるようになり、これが本当に機能して、大型のアクアアルタを防げるようになったという。実に画期的なことだ。

モーゼとは、海と潟の間に作られた可動式巨大水門のこと。高潮の際に78枚の巨大な壁が立ち上がり、海を堰き止める。モーゼ計画は1980年代から始まっていたが、資金不足や汚職スキャンダルなどで頓挫し続け、長らく、永久に未完のプロジェクトに終わるのかと思われていた。それがとうとう実際に使われるようになった。隔世の感がある。

ただ、起動には莫大な費用がかかる。ガゼッティーノ紙によると、その額、なんと一回30万ユーロ(約4千万円)超!よって、今のところは大型の高潮にのみ運用されているそうだ。

モーゼにはもうひとつ問題があって、稼働により、潟の生物多様性が損なわれる危険があるという。これは心配だ。

ヴェネツィアといえばサンマルコ広場、総督宮殿といった華麗な街をイメージするが、街を取り囲む潟には豊かな自然があり、キオッジャでは漁業が、サンテラズモ島では農業が行われている。ヴェネツィア映画祭で有名なリド島も、ちょっと中心から離れれば手つかずの美しい海と林が広がっており、わたしはタツノオトシゴを見つけたこともある。

ヴェネツィアはとても繊細な都市で、外海と内海とで常に海水が出入りするラグーナというエコロジカルな装置により支えられている。生物多様性が失われ、湿地が死んでしまうと、ヴェネツィアも終わりだ。

モーゼがヴェネツィアの街と住民の暮らしを守ってくれるのはありがたい。でも、どうかラグーナの生態系が壊されませんように。人類の宝である、あの、ゆりかごのような小宇宙が、健やかなまま保たれますように…。元ラグーナの住人として、切に願わずにいられない。

 

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UnsplashAlessandra Marchesiが撮影した写真 (表紙)、他写真もUnsplashによる。Thank you

 

ABOUT ME
湊夏子
長いイタリア暮らしを経て、帰国。日英伊の3か国語でメシの種を稼ぎ、子どもを育てているシングルマム。
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