うれしいできごとがあった。障害があってしゃべれない甥っ子の言葉を、LINEを通して目にしたのだ。
「オレかって、いつもおんなじことやってたら飽きるで」
大阪弁の、生な、イキイキした言葉!24才の、イマドキの若者らしい言葉!長年、外からはわからなかったが、言葉は彼のなかでこんなにも豊かに育っていた。それを今回、LINEを通じて知ることができた。IT技術の恩恵を初めてありがたく噛みしめた。
長い間、彼がなにを考え、なにに関心を持っているのか、知ることはむずかしかった。手足も不自由で、筆談もできなかったから。
特殊な機械で、一種の筆談のようなことを試みたこともあった。比較的自由がきく左足を使って、言葉を一字一字タイプする、というものだ。「どんなくだものが好き?」といった問いに、彼は足を使って一生懸命答えようとしてくれる。でも、「メロン」と打つだけですごく時間がかかってしまう。
LINEでも、自分の言葉を打って送るのに、すごく時間がかかっていることだろう。LINEでのやりとりは何年か前から始めてはいたものの、これまで言葉は短かく、断片的で、彼の人となりを知ることはむずかしかった。それが今回、上述のようなセンテンスが返ってきた。文章から彼の考え、生活ぶりを知ることができるようになり、彼という存在がぐんと近くなった。お星さまと話が通じた感じだ。
うれしい!よかった!彼の言葉を聞けたこと、彼の日々が溌剌としたものであることを知れて、深く感動した。同時に、今まで彼の声を聞こうと十分に耳をかたむけてこなかったことをはずかしく思った。帰省時に会うといつも明るい笑顔を見せてくれるのだが、こちらが一方的に話しかけることになるので、そのうち間が持たなくなる。それをどうしていいのかわからず、テンパってしまっていた。ただいっしょにいる、それだけでよかったのかもしれないのに…。
言葉を介しても、人と人はかんたんにはわかりあえない。ありとあらゆる言葉を尽くしたとしても、だ。人と人が理解しあうということはかくもむずかしい。
一方、人間の言葉を解さない猫や犬と気持ちが通じた、と感じることがある。花や樹木、月や星と深くつながっている、と、実感することも。だから、言葉だけじゃない。されど、言葉は大きい。言葉を尽くせばわかりあえる可能性は高まる。少なくとも人間どうしにおいては。
彼の声、彼の考えをLINEのやりとりで聞けたことは、わたしにとってはモーゼが海を割ったぐらい心打たれたできごとだった。そんなことが可能になると、長らく思えなかったから。それを可能にしたのは、彼の天性の明るさと努力もあるが、なんといっても両親の愛だ。苦しみながら、悩みながら、彼がしあわせに生きられるよう、ずっと彼を支えてきた。
甥っ子は何年か前から書家として活躍している。左足の先に筆をつけて書くのだが、その書は独特のいい味があると評判だ。からだが不自由ながらも自分の表現の術を見出し、自分の世界を構築している彼のことをとても誇らしく思う。
で、ずっとその道で行くのかと思っていたら、冒頭のセリフ、「オレかって、いつもおんなじことやってたら飽きるで」、なんでした。今度はiphoneを使って写真を撮るのだそうだ。同じところにとどまっていない。日々、前進しているのだ。
わたしの星の王子さま。あなたの目に世界はどのように映っているのか。もうじき見られると思うと、胸がドキドキしてくる。
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UnsplashのGreg Rakozyが撮影した写真(表紙 Thank you!)