電話を受けたり、かけたりするのが怖い——そんなふうに感じる人が若い世代に増えているそうだ。社会人になって会社で電話に出なければならなくなると、それが苦痛でストレスになってしまう。そんな若手社員の声を受けて、電話対応を代行業者に委託したという企業の話がニュースで取り上げられていた。
電話応対は会社の第一印象、おざなりにはできない。しかし社員のストレスも無視できないというので、一般的な電話の応対は代行サービス会社に委ねたら、社員は業務に集中できるようになり、結果として企業の業績が上がったのだそうだ。
なるほど……と感心しつつも、ちょっと違和感が残った。
一般的な問い合わせの電話というのは何を聞かれるかわからない。的を得ない質問にイライラさせられたり、理不尽な言いがかりに腹が立ったり、傷つけられることもあるだろう。たしかに大変だが、担当業務だけやっていたのでは知らなかったことや、業務改善や売上アップのヒントとなるような情報もあるかもしれない。
また、社員が個々の職務に専念できるのはいいが、まだ入って一年目とか二年目の新入社員だ。エンドユーザーのなまの声にふれるのもいい経験になるのではないか。
自分も新入社員だったころは電話を取るのが苦手だった。最初のころはろくに敬語も使えず、あーうー吃って先輩に叱られていた。でも次第に慣れていった。人というのは電話も含め、さまざまな人の声にふれ、こすれ合うなかで人を知り、自分を知っていくものではないのか——。
そんな話を夕食時にしていたら、「わたしも電話が鳴ると怖い」と、社会人一年生の娘がいう。
ブルータス、おまえもか。なんで怖いの?と訊くと、
「電話はめったなことで鳴らないし、かけないでしょ? だから鳴ると何か大変なことでも起きたのかとドキッとしてしまう」
なるほどね。
たしかに、現在社会人一年目、二年目といった世代の多くは電話にそもそもなじみがない。物心ついたころにはもう家に固定電話がなかったり、あっても携帯に取って代わられていた。それも通話よりSMSやLINEでテキストを書いて送るほうがメインだ。
大学に入るころにはコロナ禍が起き、キャンパスには行けず、授業はリモート。就職してからも週の半分はリモート。連絡はメールやチャット——。
そんな彼らにしてみれば、いきなり鳴る電話、見知らぬ人からかかってくる電話というのは、ほんとうに怖いものなのかもしれない。
電話代行の採択は、無駄に人とこすれ合って自分をすり減らし、よけいなストレスと苦労をかかえこむ必要はないという、今の時代の自然なチョイスなのかもしれない。
そんなことをつらつらと考えながら、最近手に取った本——
小説「コンビニ人間」で一躍人気作家となった村田沙耶香の「消滅世界」。この本ではヒトとの恋愛やセックスは旧時代の遺物で恥ずかしいこととされ、子どもは人工授精で作られる、ユートピアかディストピアかわからない近未来が描かれる。
カズオ・イシグロの「クララとお日さま」では、人間が心ゆるすのはアンドロイドの親友ロボット。人間同士の関係は荒涼としている。
また、最近ノーベル賞を受賞した韓国の作家、ハン・ガンの「菜食主義者」では、人が生きること、人と人がかかわることに内包される暴力性を拒み、日常から逸脱していく女性の話が語られる。それは意識的な行為ではなく無意識の、ある耐性が閾値を超えたことから発する、本人にもどうしようもない強力な力として描かれている。
ストーリーもスタイルも異なるが、共通するのは明らかな、あるいはそこはかとなくただよう厭人感だ。
わかる気がする。人と人がかかわることはエネルギーを消耗する。
また、だれかが豊かさと幸福を享受する一方で、だれかが貧困や戦争の犠牲になる。人類が原始よりずっとそういうことをくりかえしてきた結果、いいかげん、人は人とかかわることに嫌気がさし、こすれ合わない世界に向かっているのか——。
コミュニケーションツールが発達し、いつどこからでも人に容易にコンタクトできるようになった一方で、電話が怖いという現象が起きている。
人は人とのかかわりを求めているのか、いないのか……。
〜終わり〜
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