時事

牛は草のあるところへ行く Le mucche vanno dove c’è l’erba

 

ヴェネツィア大学、ボローニャ大学で日本語講師をしていたとき、日本ではそれまで縁のなかった、大学の助教授や講師といった人たちの働き方を垣間見た。

教授や准教授の正規のポストを得るのはイタリアでも至難の技。非常勤講師たちはひとつの大学の数コマの授業だけでは食べられないから、いくつかの学校で授業をかけもつ人が多い。遠距離通勤もふつうで、電車で3時間かかるミラノ−ヴェネツィアぐらいの距離の、週一、週二の通勤はあたりまえだ。

しかし、ある講師がヴェネツィアから飛行機でプーリアまで通っていると聞いたときには、さすがに驚いた。ヴェネツィアはイタリア半島の北の端、プーリアは南端なので、イタリア半島を縦断することになる。大変だね、と声をかけると、

「Le mucche vanno dove c’è l’erba.  牛は草のあるところへ行く」と、自嘲気味につぶやいた。文字通り、食べるものがあるところに移動する、ということだ。

言われてみれば、確かにそうだ。人類は原始の時代から常に「牛は草のあるところへ行く」であった。木の実を食べ尽くしたら、別の場所へ。魚があまり取れなくなったら、別の漁場へ。

現代の先進国に生きているとライフスタイルも多様で、働く理由も口に糊するためだけでもなかったりする。だからつい忘れてしまうが、人は、元々は、ただ生存するために生きていた。彼の言葉はわたしに、そんな根本的なことを思い起こさせた。

以来、折りあるごとに、この言葉を思い出す。

今から十二、三年前、アリタリア航空で大幅なリストラがあった。少なからぬ数のパイロットが職を求めてアラブ諸国に移住したと、関係者から聞いた。仕事がなくなるということは、自国を去るというほどの結果をもたらすことなのか、と、ショックを受けた。

また、福島原発事故で、住み慣れた故郷からの退去を余儀なくされた人たち。除染作業が終わって帰ってきていいと言われても、そこにもう、以前のような仕事がなければ、またそれを再建する希望が持てない状況であれば、別の場所への移住という選択が増えるのもよくわかる。今日は東日本大震災から折しも12年目にあたる。

ここ一年は、ロシア−ウクライナ戦争による、ウクライナの人々の大規模な国外脱出があった。食べるより先、差し迫る命の危険を前に、母国を後にせざるを得なかった人たち。大きな不安と恐れ、痛みがともなったであろうことを思うと、胸が痛む。

つい先日も、イタリアでつらい、悲しい事件が起きた。先月26日、イタリア南部の沖合で多数の移民を乗せた木造船が難破し、59人もの人が亡くなった。乗っていたのはアフガニスタン、アフリカなどからのおよそ200人。今も数十人が行方不明なのだそうだ。

紛争や貧困から逃れ、平和な生活、よりよい生活をめざして船に乗ったのに、多くの人を待ち受けていたのは死だった。幸い、命を落とさずにすんだ生存者たちもいて、保護されているそうだが、彼らはこの先、無事に草のあるところ、落ち着いて草の食べられるところにたどりつけるだろうか。

移住が無事に行ったとしても、移民としての生活は容易ではない。

十数年前、アメリカを旅行中、ロサンジェルスで乗ったタクシーの運転手さんのことが忘れられない。

旧ソ連崩壊の混乱下、アメリカに移住したというロシア人の彼は、カリフォルニアの青い空の下、ハンドルを握りながら、

「食べるためにはしかたなかった。それがベストな選択だとそのときは思った。だけどその後、思いがけずロシアが復興した。残った知人のなかには、うまくチャンスをつかんで、豊かになったヤツもいる。ぼくも残っていたら、母国で就くべき職に就けていたかもしれない。でも、まあ、こうなってしまった。Wrong time, wrong place…..」

さわやかな笑顔でこう語った。流暢な英語で、一見、すっかりアメリカになじんでいるような印象だが、どこか心がここにあるような、ないような、突き放した語り口に、語られることのない彼の胸中がのぞいてみえる気がした。

人間は牛ではない。胃袋を満たすだけでは満足できない。自分の能力を生かせる仕事に就きたいし、考えや価値観を共有できる仲間がほしい。愛するひとといっしょになりたい…。だれもが望む、最低限、健康で文化的な生活。

しかし、貧しい家庭や国、紛争下に生まれたことで、どんなに超人的な努力をしても、どんな犠牲を払っても、どうしてもそれがかなわない人たちがいる。それも大勢。そして、自分もいつ、そうならないとも限らない。日本は災害大国だし、昨今、趨勢はきな臭くなっている。

自分にできることは限られている。大変限られているが、せめて起きていることから目を背けないようにしたい。問題の複雑さを前に、非力さを言い訳に無関心にならないよう、自戒したい。

牛が草をもとめて移動しなくてすむ、あるいは、移動先でも草を必要なだけ食べ、安心して暮らせる、そんな世界を作れないものか。

 

 

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UnsplashDavid Dolencが撮影した写真 Thank you!

ABOUT ME
湊夏子
長いイタリア暮らしを経て、帰国。日英伊の3か国語でメシの種を稼ぎ、子どもを育てているシングルマム。