イタリア語

プッタネスカで墓穴掘り

 

仕事でイタリア人と毎日顔を合わす。それで気づいたのが、彼らも実によく天気の話をするということ。

「あたたかくなってきたね」、「3月の天気はクレイジーっていうけど本当だね」、「明日は南から天気が崩れてくる」といった会話が、職場のあちこちで聞こえる。天気の話はあたりさわりがないので、だれとでもできるのがミソなのだろう。これが政治の話になると、イタリアだと下手をすると血を見ることもあるので要注意だ。

天気の話はまた、初対面やあまり親しくない人と偶然居合わせたときにも便利だ。たとえばビジネスパーティーで初対面の人と同席になったり、職場のエレベーターで、顔しか知らない上司と乗り合わせたとき。「暑いですね」とか、「長雨でうっとうしいですね」など、ひと言、ふた言交わすだけで、緊張や警戒感がやわらぐ。

これをイタリア語ではrompere ghiaccio、英語ではアイスブレーキングという。文字通り、氷をこわすという意味で、初対面同士の緊張を解くことを指す。そして、そのためのちょっとした雑談や世間話を、英語ではスモールトークというそうだ。

 

このちょっとした雑談、スモールトークの良さが、若いころはわからなかった。仕事や恋愛の悩みがいっぱいあり、それにとらわれていたから、天気や花の話は無駄話に聞こえた。日々飽きずにそれをくり返すおとなたちを冗長に感じ、耳障りでさえあった。

しかし、年を重ねるにつれ、だんだんその真価がわかってきた。会話の中身より、会話を交わしていること自体に意味がある。そんな場面も多いことを、経験とともに知ったからだ。

それに得心がいくようになってからは、気が楽になった。人と人は踏み込まなくても、それでじゅうぶん必要なだけつながれる。それがわかってきたからだと思う。お天気でつづける無害な会話のキャッチボールに、近ごろでは快感さえおぼえるほどだ。

若いころそれがうまくできなかったのは、背負っていたからだろう。どうせ口を利くならつまらないことは言いたくない、ちょっとぐらい気の利いたことを言いたいと思っていた。とはいえ、そんな教養やセンスははなからないし、かといって気まずい沈黙にも耐えられない。結局は、しどろもどろつまらないことを言い、墓穴を掘っていた。

 

墓穴は遊学先のイタリアでも掘った。イタリア人のボーイフレンドができ、つきあい始めたころだ。

その日、わたしは下宿の雨戸の修理に必要な道具を、近所にある彼の実家から貸してもらうことになっていた。彼は仕事で家にいないから、在宅している彼のおかあさんを訪ねる。貸してもらったらすぐ帰るつもりだったが、昼食を作るから食べていけという。

彼のおかあさんとは知り合って間もない。そんな人とふたりだけでご飯を食べるのもおっくうだったが、うまく断ることもできない。成り行きでご招待を受けることになった。

 

おかあさんはキッチンで、にんにくやパセリ、オリーブを刻み始めた。わたしはどう接していいかわからず、でくの坊のように立っている。

どうしよう。あとどれぐらいかかるんだろう。やはりふたりだけというのはバツが悪い。

黙っているのも不作法かと、おそるおそる「手伝いましょうか?」と声をかける。すると、「大丈夫、テレビでも見ていて」と、テレビをつけてくれた。

ヴァラエティー番組の音声が沈黙を破った。少し気がまぎれる。でも、それでも間が持たない。

おかあさんは言葉を発しない。シャイなのか、もともと無口なのか、料理に集中しているのかわからない。わたしから話しかければいいのだが、話題が見つからないし、覚えたてのイタリア語でうまく伝わるかも不安だ。なかなか時間が経たない。もうごはんなんかいいから、帰りたい。でも、今さらそうも行かない…。

おかあさんは、今度は棚からトマト缶を出し、鍋に開けた。 わたしはとうとういたたまれなくなって、

「プッタネスカ(娼婦風スパゲティ)ですか?」と聞いてみた。

おかあさんは鍋をかきまぜながら、

「ああ、そうよ。よくわかったわね」

「これ、わたしも日本でときどき作ってました」

「あ、そう」

さらに、鍋の火を調節したり、サラダ菜を洗ったり、忙しそう。わたしが、

「プッタネスカ、わたしもけっこう得意かも」とつづけても、

「へえ~」

調理中だからだろうか。返事がいちいちそっけない。話が通じているかわからず、不安から、もっとなにか言わなきゃと焦りが高じる。その挙句、口をついて出たのが次のセリフ。

「あ、でも、だからといって、わたしがプッターナ(娼婦)ってわけじゃないんですよ」

言ってしまってから、あ、と口を押さえた。つまらないだけでなく、つきあい始めて間もない彼氏のおかあさん相手には不適切で、誤解を生むようなギャグである。なんでこんなセリフを吐いたのか、自分でも謎だ。緊張が限界に達して、脳がオーバーヒートしたにちがいない。

おかあさんは笑わない。初めて調理台から顔を上げ、ギョッとした顔でわたしを見た。

「あら、まあ! 」

えっ? いやだ。冗談なのに、なんでここだけ反応するの?

おかあさんはちょっと興奮した面持ちで、

「……そうじゃないことを心から祈るわ」

「え、ちがいます。冗談です。冗談ですよ!」

その後いっしょにプッタネスカを食べたが、会話は弾まない。おかあさんが怒っているような気がして、プッタネスカの味はわからなかった。

 

その晩彼に話すと、彼は大笑いしたが、わたしは落ち込んだままだった。なんであんなこと言っちゃったんだろう。黙ってテレビでも見ていればよかったものを…。覚えたての外国語で、親しくもない相手にギャグを飛ばそうなんて、身の程知らずもいいとこだ。

その後も同じようなトホホな失敗を重ね、ようやく、初対面や親しくない人との会話は、あたりさわりのない天気や花の話がいいことがわかってきた。冗談は通じるかどうかわからないし、いきなり趣味や仕事の話もできない。人と人との関係では、いきなり本題には入れないのだ。その、わかっている人には当たり前のことが、この鈍い自分にもだんだん飲み込めてきた。

 

年の功か、今では、スモールトークをそれなりに使えるようになった。若いころは無意味だと思っていた天気や花の話が、今では楽しいのだから、人というのは変わるものだ。

 

さて、天気予報によると、今日の東京地方は曇り。気圧の谷や湿った空気の影響を受ける見込みで、夜は雨の降る所があるそうだ。お花見するなら昼間のうちがいいかも。念のため、折り畳み傘を持っていったほうがいいですよ。

今日、初対面の人と出会うことがあったら、そんな話題で緊張をやわらげることができそうだ。

 

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svklimkinによるPixabayからの画像 Thank you!

ABOUT ME
湊夏子
長いイタリア暮らしを経て、帰国。日英伊の3か国語でメシの種を稼ぎ、子どもを育てているシングルマム。
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