飲み会などでワイワイやっている最中に、ふっと会話が途切れることがある。にぎやかだったその場が、一瞬、静けさに包まれる。そんな状況をイタリアでは、「E’ passato un angelo. 天使が通った」という。
教えてくれたのは友人で彫刻家のダニエーレ。フィレンツェに遊学中に知り合った。
彼はなぜか、天使像しか彫らなかった。アトリエに遊びに行くと、ラッパを吹いている天使、頬杖をついている天使など、いろんな表情や姿態の天使たちが迎えてくれる。
あれはダニエーレと、もう一人の日本人の女友だちと、三人で映画を見に行った帰りだった。気もちのいい春の晩で、このまま解散してしまうのもつまらない。ダニエーレがコーヒーを淹れてくれるというので、三人でアトリエに寄った。
見てきた映画の話で盛り上がり、会話がはずむ。ああだこうだと夜遅くまで話していたら、あるとき、ふと話が尽きた。突然生じた会話の空白、静けさ…。
戸惑って、なにか言わねばと、わたしと友人が言葉を探し始めたその時、ダニエーレが「しーっ」と、口の前に人差し指を立てた。そして、「今、天使が通った」と言った。
えっ?なに?天使? おどろいてわたしたちがあたりを見渡すと、ダニエーレは首を横に振り、ほほえんだ。
「ぼくの彫った天使が動いたんじゃないよ。『天使が通った』っていうのはね、こういうときに言う決まり文句なんだ。話が盛り上がっていたのが突然やんで、急にしーんとなったときにね」と説明してくれた。
天使が通った…。
わたしと友人は顔を見合わせ、ほほえんだ。なぜ、とは聞かなかった。たまたま天使がたくさんいるアトリエでその言葉に出会ったせいか、ほんとうに天使が通ったような気がしたのだ。
たわいないおしゃべりをいつまでもつづけるわたしたちに、天使がいたずらっ気を出し、魔法の杖をふるって黙らせたのではないか。
天使の気配を感じ取ろうと、わたしたちは息をひそめ、静寂に耳を澄ませた。クスクス笑いながら去っていく天使の姿が見えたような気がした。
のちになって、同じ状況を「 Nasce un frate. 僧侶が生まれる」と表現することもあると知った。が、こっちはあまり好きじゃない。フィレンツェで天使が通ったうつくしい夜の印象が強いせいか、わたしは断然「天使が通った」派だ。
しかし…。
それ以降、「天使が通った」を聞いた記憶がどうもない。はてはイタリア語をよく解していなかったゆえの勘違いだったかと、イタリア人の友人に聞いてみた。すると、勘違いではない。「天使が通った」という表現は確かにあるという。
では、なぜ、あまり聞かないのか。
友人が言うには、「イタリア人はおしゃべりだから、そもそも会話が途切れないからじゃない?」
なるほど…。フィレンツェで聞いたのは、レアケースだったということか?
おしゃべりは楽しい。でも、天使が通る間もないのは、ちょっとさびしい。
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