イタリアのことわざを紹介するシリーズの、今日はその7。
Tra suocera e nuora c’è il diavolo che lavora
姑と嫁は悪魔のしわざ
姑と嫁はどうしようもなく争ったり、憎みあったりするものだ、の意。
イタリアの「嫁と姑」問題
「嫁と姑」問題に頭を悩ますのは日本もイタリアも同じ。冒頭のことわざ「嫁と姑は悪魔のしわざ」にもあるように、イタリアでも嫁と姑は争ってあたりまえ。そもそもうまく行くはずのない関係なのだ。嫁と姑の不仲を表す言いまわしはほかにもあって、
La vipera che morsicò mia suocera morì avvelenata.(毒ヘビが姑を噛んだら、毒ヘビが毒で死んだ)
Suocera e nuora, tempesta e gragnola.(姑と嫁、雨に雹 →「大荒れ」という意味でしょうね)
Suocera cieca, nuora avventurata.(姑は盲、嫁は幸運)
などなど。
ことわざではないが、Latte di suocera(姑の乳)なんておどろおどろしい名前の、苦〜いリキュールもあるくらい。イタリアでも姑が嫁にとっていかに煙たい存在かがわかる。
私にとってもそうだった。昔、イタリア人の夫とイタリアで暮らしていたころ、義理の両親も同じ建物の上階に住んでいた。うちの姑もイタリアン・マンマの御多分に洩れず、息子が結婚して所帯を持っても世話を焼きつづけた。息子が大好きな魚介類のフリットを作ったとか、息子が咳をしていたから薬を買ってきたとか、ことあるごとにわが家の扉がノックされる。
夫は私に気を使ってか、あるいはこの母親には一刀両断でないと通じないと知ってのことか、ぶっきらぼうに「いらない」と言うだけ。姑の標的は次に私に向けられるが、私はさすがに「いりません」とも言えず、遠回しに断っているうちに結局押し切られてしまう。こうして、「マルコのシャツ、アイロンをかけておいたわ」とか、「マルコの好物のオニオンスープ、アツアツで食べさせてあげてね」と、姑の訪問がくりかえされる。
姑にしてみれば、嫁は外国人で不慣れだろうから助けてあげたいという思いもあっただろう。私のこともかわいがってくれたし、気もちはありがたかった。しかし、そうはいっても、こちらももう三十過ぎのいいおとな。たまにならともかく、毎日のように自分の生活に干渉されるのはかなわない。できれば会う回数を減らしたいが、同じ屋根の下に住んでいるので、顔をあわすのは避けられない。夫に相談すると、「それなら会うな。耳を貸すな」の一点張り。私の側に立ってくれるのはいいのだが、言うことが極端すぎて話にならない。友好的な説得、というようなことを夫がしてくれないものかと願うのだが、とても期待できそうにない……。私はひとり、悶々とした。
イタリア人姑から食事の誘いが頻発。悲鳴をあげる日本人嫁
なかでも苦痛だったのが、食事のお招きである。イタリアでは日曜のお昼に家族が集まって食事する習慣があるが、姑のお招きはもっとひんぱんだった。「今夜はうちに食べにいらっしゃい」、「あなたたちの分も作ったから」、「好物を作ったから」、「あなたもそのほうが楽でしょ?」といった具合に、次から次へとお誘いが来る。ありがたくもあるが、迷惑でもある。だんだん行きたくなくなり、口実を見つけてやんわりと断っていたが、いつも「いいじゃないの」と押し切られる。ある日、がまんの堰が切れた。
「どうして、いつも、いつも、いっしょにごはんを食べなければならないのですか?」
私の切り口上に、姑はぽかんとし、
「だって、どうして別々に食べる必要があるの?」
「別々の所帯だからです。生活のリズムだってちがいますし……日本の実家では、父は仕事で帰りが遅かったし、私と弟も塾があったりしたので、別々に食べてました」
「そんな、別々に食べるなんて手間がかかってしかたないじゃないの」
「そうかもしれませんが、私はそんな生活に慣れてるので、お義母さんとお義父さんといつもいつもいっしょに食事をするのは、ちょっとしんどいんです。お気持ちはありがたいのですが」
「まあ。よくわからないわ。私はあなたにいろいろしてあげたいだけなのに……」
姑はそれがこちらにとってはありがた迷惑だとはどうも合点がいかないらしかったが、そのあとしばらくはさすがに誘ってこなかった。しかし、時間がたつとまた元どおり、ひんぱんにお誘いがかかるようになった。姑にとって私たちをごはんに誘うというのは「piu’ forte di me(自分でもどうにもおさえられないこと)」なのだろう。
ことわるのももう面倒になり、半分やけくそで姑の家に行ったが、そのうち危機感をおぼえ始めた。おかあさんに、おかあさんのイタリア料理に、イタリアの習慣に、自分がからめとられてしまうんじゃないかーーその時期、私はイタリアに慣れてきたものの、同化されてしまいたくないと感じていた。おおげさかもしれないが、イタリアに自分のアイデンティティーをなし崩し的に取り込まれてしまうおそれを感じていた。
イタリア人家族との食事にひとりだけ和食を持参したら……
そんなある日、私は姑の家での食事に、自分の分の和食を持参するという反撃に出た。
「日本人なんで、ごめんなさい。和食を食べないと体調こわしちゃうんです」
そう言って、フォークやナイフが並ぶ食卓に、ごはんと味噌汁、おかずが一、二品乗ったお膳を置いた。姑が目を丸くした。いつもマイペースで我関せずの夫のほかは、舅も、遊びに来ていた義理の姉もその夫も、みんな一瞬、黙った。
私は、ああ、これで戦争勃発だと緊張した。しかし、舅が、
「おいしそうだね。味見させてよ」
と、その場をつくろってくれたのを皮切りに、義理の姉も、
「ダイエットによさそう」
とほほえんでくれ、その場の緊張が解けた。姑も意外にあっさり、
「足りなかったらパスタも肉料理もあるから食べなさいね」と受け入れてくれた。
今から思えばずいぶん青臭いことをしたものだ。姑にも失礼なことをしてしまった。しかし、あのときの私にとって、それは切実な問題だった。そうでもしないと、自分が彼らとはちがうニーズを持つ、異なる人間なのだということをわかってもらえない。そう、追いつめられていたのだ。
驚いたのは、なんの問題もなく受け入れられたこと。気まずくも、ケンカにもならなかった。自分ひとりで、ああでもない、こうでもないと悩んでいたのがバカみたいだ。私はおたがいに気まずくなるのがいやで、姑からの誘いをはっきりとことわれないでいた。そして、そんな私の気もちをいつまでたっても汲んでくれない姑に、ひとり、いらだっていた。しかし、それは私のひとり相撲だったようだ。私が自分の要望をはっきりと口にすればよかったのに、あいまいな態度をとったため、理解されなかったのだ。
嫁と姑の関係は、異文化との関係に似ている。どうしたところで、擦過なしに、摩擦なしにはすまない。おたがい、自分が自分であることを変えることはできないからだ。しかし、たがいがちがう人間だということを意識し、忘れなければ、気まずさや、ぎくしゃくするのをそんなにおそれなくてすむ。平行線のままでも進んでいけなくはないのだ。
離婚して帰国し、義理の両親とも離れて暮らすようになって、10年以上の月日がたった。娘が小学生のあいだ、舅と姑は毎年、日本まで会いに来てくれた。年とともに遠距離の移動がむずかしくなり、なかなか会えなくなったが、今でも日曜ごとに電話で話す。「いつもあなたたちのことを思ってるよ」と、私と娘のことを気遣ってくれる姑。コロナ禍が落ち着いたら真っ先に会いに行きたい。
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MimirebelleによるPixabayからの画像 (Thank you!)