イタリアのことわざを紹介するシリーズの、今日はその4です。
イタリア的なるものを理解するのに大変役立つことわざ。
これらのことわざが実際どのような場面で、どのように使われているのかご紹介していきます。
Chi non beve in compagnia o è un ladro o è una spia.
いっしょに飲まないヤツは泥棒かスパイだ。
自分をさらけ出さない人間には隠し事がある、の意
マフィアって、イタリア人に流れる血なのかな?
イタリアの人は徒党を組むのが好きだ。知り合った相手が自分の敵か、味方か。簡単に手なづけられるか、それとも機嫌を損ねるとやっかいな相手か。ニコニコしながらも結構シビアに観察している。自分の側につかないと、敵視されたり、脅かされたりすることもある。日本人にもそういうことはあるだろうけど、イタリア人のやり方はもっとあからさまで動物的だ。
一例を挙げれば、イタリアの職場の忘年会に私が欠席したときだ。翌日、上司に、「いやー、俺たちの忘年会なんか君にはくだらな過ぎるよね。そりゃそうだ。君が出席しなかったことはよーく覚えとくよ」と嫌味を言われた。
イタリアには、「Chi non beve in compagnia o è un ladro o è una spia. (いっしょに飲まないヤツは泥棒かスパイ。気を許さない人間は隠し事をしている、の意)」ということわざがある。上司にしてみたら、一緒に飲むのを断った私は、味方か敵かわからない、油断のならないヤツなのだろう。私には他意はなく、どうしても子どもを迎えに行かなければならなかっただけなのだが。
またこの上司、私が別の上司に頼まれた仕事をしていると、やたら舌打ちしたり、イライラした視線を送って来る。私が反応しないでいると、わざわざ私の席までやってきて、「なんであんなクソ野郎に親切にしてやるんだ」と、放っておいてくれない。こんなイチャモン、本当に迷惑だ。「関係ないですよ、仕事してるだけですよ」と、精一杯ニュートラルに答えると、
「覚えとけ。俺につくか、つかないか、どっちかだ」
と捨てゼリフを吐いて出ていった。これにはさすがに驚いた。「マフィアじゃあるまいし笑?」と冗談にして返したものの、内心、おだやかではなかった。自分の手下になれば守ってやる。ならなければ痛い目に遭うぞ、と脅されたわけだから、やっぱり怖い。似たような経験を過去に何度かしているので、マフィアはシチリアやカラブリアにだけいるのではない、イタリア人の思考に、その血の中にある性向なのだと思った。
イタリア人のこういう一面を見るとき、その一見、人なつこい表情やふるまいの下に、実は何者をも信じていないのではないかと思われる、不信と孤独が垣間見えることがある。実際、次のようなことわざもある。
Fidarsi è bene, non fidarsi è meglio. (信じるのはよいが、信じないのはもっとよい。つまり誰も信用するなということ)
イタリアでは”furbo(ずる賢い)”という言葉がポジティブな意味で使われる。人を頭から信じたりせず冷静に状況を見極め、出し抜くのは、「ずるい」より「賢い」と、むしろ賛嘆される。日本だとお人好しは好感を持って受け止められることが多いが、イタリアでは軽んじられる。「信じないのはもっとよい」なのだ。
また、イタリアでは国や制度が信用できないと考える人が多い。だから「家族は”salvavita(救命具)”なのだ」とイタリア人の友人は言う。うちから一歩出たら誰も信用できないし、頼れない。ひょっとしたらこの思考回路が延長され、家族の延長線上の疑似家族を作ろうとして、職場でも徒党を組みたがるのかもしれない。
さて、今回はイタリア人の、ちょっと怖い、エゴイスティックな一面を紹介したが、もちろんこれは数ある中の一面に過ぎない。基本は人なつこくて、フレンドリーで、困っている人を見たら助けずにはいられない親切な人たちだと思う。でも、つきあいが長くなると、裏の面もいろいろ見えてきてなかなか感慨深い。異文化を知ることは本当に奥深くて、興味が尽きない。
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ambrooによるPixabayからの画像 (grazie!)