イタリア語

外国語の闇を行く

 

イタリア語のRとLの聞き取りにいまだ苦労している。長年イタリア語を使って仕事をしてきて、CILSというイタリア語検定試験の最上級レベルにも合格した。それでもRとLは苦手だ。

見知っている言葉は目で綴りを覚えているから大丈夫。が、問題は、知らない言葉だ。たいていは会話の文脈から大枠をつかむが、それですまない場合もある。たとえば、電話で、人や町の名前を正確に聞き取る必要があるとき。

イタリア人の名前や町名はなじみがあるから、ある程度想像がつく。が、まったく聞いたことのない町名や、外国ルーツの名前−たとえばロシア系の名前など−となるとお手上げだ。で、「RomaのR(エッレ)?Livornoの L(エッレ)?」という定番質問のお出ましとなる。

6才までイタリアで育った娘は、イタリア語はほぼ忘れていても、RとLは難なく聞き取れる。Rの「エッレ」の巻き舌も問題ない。30才からイタリア語を始めた人間と、生まれる前からその音を聞いている人間の、それがちがいなのか…。

 

RとLといえば、昔、こんなことがあった。

結婚してヴェネツィアに住み始めたころ、まだ渡伊して2年ぐらいのころのことだ。

元夫は、ムカつくことがあるとよく悪態をついた。そういうときに使う言葉は、イタリア語ではparolaccia(ののしり言葉)と呼ばれる。

ののしり言葉には、「merdaくそっ」や「cazzoちくしょう」といった比較的ライトなものから、「porco dio 神の豚野郎」といった、絶対言ってはいけないとされている冒涜の言葉まで、種々ある。

夫はなかでも、「フェガトマーレ」という言葉をよく口にした。それがわたしの興味を引いた。

フェガトマーレ=fegato male? 肝臓が悪いってこと?でも、なぜ肝臓が悪いことが悪口になるのだろう?

しばらく頭をひねってみて、ヴェネツィアにはオンブラという食前酒の習慣があり、よくお酒を飲む土地柄であることを思い出した。お酒を飲み過ぎると肝臓が悪くなる。ではこれは、大酒飲み、という意味の悪態なのだろうか? よくわからないまま聞き過ごすうち、日が過ぎた。

と、ある日。気づくと、今度は自分が「フェガトマーレ!」と口走っていた。イタリア郵便に、またもや日本からのだいじな荷物をなくされたのだ。

それまでもイタリア郵便には紛失や遅延でさんざん泣かされてきたので、この日はほんとうに堪忍袋の尾が切れた。それで、聞き覚えていたこの言葉が、自然に口をついて出たようだ。

悪態をついて、少し溜飲が下がった。が、夫がそばで怪訝な顔をしている。

「なに? 肝臓がなんだって?」

「フェガトマーレ!」

「はあ? だれが肝臓が悪いの?」

「んもう、ちがう! ののしってんの」

「ののしってる?」

「そう。あなたいつも言ってるじゃない。怒ったとき、フェガトマーレって」

「ぼくが?」

夫は眉根を寄せ、解せん、といった顔で考え込んだ。が、すぐにその顔にひらめきが浮かび、かと思うと、今度は急に火がついたように笑い出した。

「なに、なんなの?」

面食らっているこちらを無視して、夫はソファーにぶっ倒れて笑い転げる。イライラして、ねえ、笑ってないで教えてよ、と急かしても笑いが止まない。しばらくヒーヒーと苦しそうにおなかをよじって笑っていたが、ようやく笑いの発作がおさまり、

「fegato maleじゃない。in figa de to mareだよ。語尾はLじゃなくてR」

ちがったんだ! エルじゃなくて、アール…。

まあいい。それで、なに? その、ンフィガデマーレとかっていうやつ、どういう意味?

さらに追求すると、夫は笑い過ぎて目元ににじんだ涙を指でぬぐいながら、

「ヴェネツィア弁。イタリア語だとXXXという意味」

XXX! ようやく合点がいった。夫が口にしていたのは、ヴェネツィア弁でファック・ユア・マザーという意味のののしり言葉だったのだ。肝臓が悪いんじゃなかった…。

夫はこれに大ウケし、おもしろおかしく言いふらしたものだから、わたしはしばらく友人たちから、「fegato male」とからかわれる羽目になった。

 

このような外国語におけるトホホな経験は、RとL問題に限らない。

以前働いていたイタリアの職場で、わたしの部屋を通るとき、廊下でいつも「ア、キョー」と叫ぶ同僚がいた。なんなんだろう…。ブルース・リーかなにかを真似た、雄叫びかなんか?

ふしぎに思いながらも聞き過ごしていたが、ある日、たまたま別の同僚が同室にいたのでたずねてみた。

「あの、キョーっていうのはなんなのかしら?」

ああ、と彼女は笑い、

「キョーはね、きよこさん(筆者の実名)の名前。その短縮形。ローマの人はよく短縮するの」

「ええっ?わたしの名前?」

「そう。ローマ以南じゃよくやるよ。わたしなんてロベルタだから『ロー』にされちゃう」

「ロー…」

なんというか、短縮度がハンパない。

「でも、なんで名前を呼ぶのかな」

「ああ、あれは単なる声がけ。プチあいさつよ」

「プチあいさつ?『ア、キョー!』が?」

そんなこと、思いも寄らなかった。

 

外国語で生きるということは、闇のなかを手探りで歩むのに似ている。はっきり見えない、よく聞こえないが、匂いや手触りをたよりに、とりあえず歩を進める。当然、ぶつかったり、方向をまちがえたりということが起こる。

レベルが上がれば、真っ暗闇が薄明かりぐらいにはなる。またさらにレベルが上がれば、薄明かりから、かなり明るいぐらいにはなる。そこからさらにレベルが上がれば、ほぼ明るいところまで行ける。が、それでも母国語ではないので、まちがっているのではないか、正しく伝わっていないのではないかという、一抹の心許なさを完璧に払拭することはできない。

もちろん、例外はいる。世の中には外国語を母国語のように使いこなす才人もいれば、母国語以外の言語ですばらしい小説を書いてしまう、ナボコフやミラン・クンデラのような怪物もいる。

が、自分は凡人だ。イタリア人との人間関係に疲れたとき、仕事でミスしたときなど、もう外国語はいやだな、と思う。不勉強なくせに、どんなに勉強してもキリがない、なんて、愚痴もしょっちゅう。

 

こないだは、日本で長年イタリア語を教えているイタリア人の友達を相手に愚痴った。

「日本人がイタリア語なんて勉強して、なんのメリットがあるのかな。イタリア語を使う人口なんて、たかだか6千万だし。英語を話す人も増えたし…」

すると、優秀で教育熱心な彼は、先生らしく、こう反論した。

「頭を柔軟にする、それに役立つ。考え方が真逆の国の言葉を学ぶと、そんな考え方もあるのかということがわかる。日本人にイタリア語はそういうメリットもあるのです」

ふむ、まあ、確かにそれはあるかもしれない。自分なんかは長年イタリア語を学んだわりには、まだ相当頭が固いが、勉強をつづければ、まだ恩恵を被れるのだろうか。

外国語の学習には終わりがない。時に嫌気もさし、疲れるけれど、もう少しがんばって、闇のなかの旅をつづけるとするか…。

 

〜〜〜 〜〜〜 〜〜〜 〜〜〜 〜〜〜

★最後までありがとうございました。ブログランキングに参加しています。よかったら応援クリックしていただけるとうれしいです。
にほんブログ村 外国語ブログ イタリア語へ
にほんブログ村

 

UnsplashJr Korpaが撮影した写真  Thank you!

ABOUT ME
湊夏子
長いイタリア暮らしを経て、帰国。日英伊の3か国語でメシの種を稼ぎ、子どもを育てているシングルマム。
こちらの記事もおすすめ!