イタリアのことわざ

イタリアのことわざ Chi tace acconsente

イタリアのことわざを紹介するシリーズの、今日はその5です。

検察庁法改正案抗議ツイートに関し、「黙っているのは同意したと同じ」というイタリアのことわざを通して、声を上げるということへの日伊の考え方のちがいについて考えてみたいと思います。

Chi tace acconsente.

黙っているのは同意したと同じ。

検察庁法改正案への抗議のツイートが12日の夕方には900万超に達したそうだ。コロナ禍で国民の生活が危うくなっている最中に自らに都合のいい法案を無理やり通そうとする安倍政権に、芸能人や著名人もツイートで抗議を表明しているが、この一連の抗議の発端となったのは、東京都在住の30代の女性会社員のツイートだったという。

日本の普通の人がこのように声を上げ始めたこと、それが裾野を広げつつあることを心強く思う。性暴力に抗議するフラワーデモ、女性にハイヒールを義務付けることに反対した#KuToo(クートゥー)運動、少し前だが安全保障関連法に反対したSEALDsのデモ……。ひとりひとりの小さな声が大きなうねりとなって社会に届いている。とても希望の持てる話だ。

イタリアでは次のようなことわざがある。

Chi tace acconsente. (黙ってるのは同意と同じ)

相手の話に違和感を感じても、黙っていれば同意とみなされる、という意味だ。異論があるなら発言せよ、誰より深い考えを持っていたとしても口に出さない限り、相手に同意したと思われてもしかたがない、と。

確かにイタリア人は些細なことにも黙っていない。少しでもちがうと思えば、思ったことを遠慮なく言う。自分の考えがまちがっているんじゃないかとか、独りよがりなのではとか、気にしない。議論が白熱したらもう誰も相手の意見など聞かず、全員が同時に、一方的にしゃべりまくり、会話にならないこともしょっちゅうだ。自己主張ばかりで相手の言うことを聞かないのには閉口するが、自分の気持ちや意見をあれだけ躊躇なく口に出せれば、少なくともストレスはたまらないだろう。また、たとえ言っていることが支離滅裂だとしても、同意していないということだけは相手に伝わるという利点はある。

一方、日本人の場合、生来がシャイなのに加え、「口は災いの元」とか「物言えば唇寒し秋の風」というように、発言する時はよく考えてからものを言わないと恥をかいたり、トラブルに巻き込まれるというおそれから、口を開く前に自己検閲に時間がかかってしまうことが多い。私なども考えているうちに時間切れになってしまい、何も言えずに終わったというトホホなことばかりだ。イタリア人と議論などしていて、これだと絶対勝てない。しかも、こちらが同意していると相手に誤解させるリスクも生む。話の中身も大事だが、それはさておき、とりあえずはハチャメチャでもいいから、まずは自分のスタンスを口にすることが大事だ。でないと自分が感じたこと、思ったことが、なかったことにされてしまう。

今回、きゃりーぱみゅぱみゅ、小泉今日子といった芸能人が検察庁法改正案への抗議ツイートをしたところ、「芸能人が政治に口を出すな」とか「知らないことに首を突っ込むな」といった批判が多数上がったそうだ。芸能人もひとりの市民、政治にも大いに口を出してもらえばいいと思うが、それより気になるのが「知らないことに首を突っ込むな」である。そんなことを言っていたら誰も何も言えなくなる。

知らないことがあればそれを自覚し、学ぼうという姿勢はとても重要だ。しかし、それは後でいいと思う。法案にせよ何にせよ、これはちがう、何かおかしいと感じたら、気軽に口に出せることのほうが大事だ。ひとりの人間の、一市民のまぎれない感覚なのだから。その後で、まちがっていれば正せばいい。ひとりひとりの思いを、考えを、声なき声で終わらせてしまわないためには、スピード感も必要だ。特にイタリア人ほか欧米人を相手に話すとき、あまり自己検閲に時間をかけず、早めに自分のスタンスを明らかにするのは大事だ。とりあえず存在感を示すためにも。

私は先でも述べたように、イタリア人相手に何度も議論で負けている。話の内容というより、スピードについていけなかったり、こちらの話をさえぎって話しまくる相手の無神経さに嫌気がさして、こちらからさじを投げてしまったりするからだ。日本人とイタリア人が同席する会議などでは、発言しているのはイタリア人のみで、日本人は無言なんてこともよくある。ああ、日本人は損だ!と、絶望的になる。

しかし……これが双方、長いつきあいになってくると、イタリア人にも、日本人の沈黙には饒舌より有意な考えがある場合も多いことがわかってくる。いくらイタリアにおいて雄弁力がものを言うといっても、人は言葉だけでコミュニケーションをするわけではないからだ。その人の表情、雰囲気、ふだんの働き方、人との接し方などを見ていれば、その人がどんな人かはわかる。そして、イタリア人が黙り、日本人に意見を聞くということが起きる。そうなれば、日本人のほうも、口下手でもなんとか話そうと努める。こうなって初めて、コミュニケーションが成立するかもしれないとの希望が生まれる。それまではバベルの塔の住人で、話といってもそれぞれ好き勝手なことを言っているだけだったのが、ようやく「会話」が始まるのだ。

人と人が理解しあうことはむずかしい。相手がイタリア人でなくても、日本人同士でも、たとえ親子でも容易ではない。「黙っているのは同意と同じ」と、一方的に力で押しきったところで、相手が納得するわけではない。「黙っているのは同意と同じ」ではないのだ。

自分の気持ちや考えを口に出して言うこと、発言することは、総じて内向的な日本人にとってはむずかしいが、とても有益なことだ。努力するだけの価値があることだと思う。しかし同時に、声なき声、沈黙の重さを忘れないでいたい。それを忘れた途端、また、バベルの塔の不毛に戻ってしまうからだ。

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Alexander LesnitskyによるPixabayからの画像 (Grazie!)

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湊夏子
湊夏子
長いイタリア暮らしを経て、帰国。日英伊の3か国語でメシの種を稼ぎ、子どもを育てているシングルマム
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