イタリア語

膣は男性名詞?女性名詞? イタリア語のオスメス問題

 

Netflixのドラマ、「エミリー、パリへ行く」、ご覧になりました?ヒロインは、シカゴのマーケティング会社に勤める若いアメリカ人女性。彼女がパリ支社に赴任となり、仕事や恋愛、友情を通して文化のちがいを体験していくラブコメなのだが、こんな場面があった。

シニア女性用膣潤滑剤を担当することになったエミリーは、フランス語で膣、vaginが男性名詞であることに首をかしげる。そしてフランス人の女上司、シルヴィーに、「膣は女性のものなのに、なぜ男性名詞なの?」とたずねる。それに対するシルヴィーの答えがふるっている。「女性が所有するものだけど、男性が支配するものだからかしら?」

フランス語やイタリア語などラテン語系の言語では、名詞に雌雄の性別がある。たとえばイタリア語では大地 terraは女性名詞、海 mareは男性名詞というふうに、すべての名詞はオスかメスかに分けられる。母国語者は生まれたときから自然に覚えるので意識もしないかもしれないが、外国人学習者、特に英語や日本語など名詞に性別がない言語の国の学習者の場合は、名詞のオスメスの分類基準がもひとつよくわからない。エミリーが不思議に思うのももっともなのだ。

たとえば「花」。女性らしいイメージなのに、イタリア語でfioreは男性名詞。では花は全部男性名詞なのかというとそんなことはなく、バラはrosaで女性名詞。また、冒頭の「膣」はフランス語では男性名詞だが、イタリア語ではvaginaで女性名詞。同じラテン語系でもちがう。

この、名詞のオスメス問題には、長年わたしも頭を悩ませてきた。名詞が人や動物など生物の場合は、自然の性と文法上の性はだいたい一致するのでまあよい。(例 父 padre(男性名詞)、母 madre(女性名詞)、 猫 gatto(男性名詞)、 雌馬 cavalla(女性名詞))

問題は無生物名詞だ。冒頭の「膣」もそうだが、花、樹木、山、海、曜日、方向、金属、都市、国……。これら無生物名詞の男女の分類基準はどうなっているのか。確か昔、文法書で説明を読んだ気もするが、もう記憶がさだかでない。

ググってみると、「三省堂 辞書ウェブ編集部による ことばの壺」というサイトで、「フランス語教育歴史文法派」と名乗る3人の専門家がわかりやすい説明をされていた。

 https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/ghf07

「男性/女性といっても、それは文法的な約束事でしかなく、雌雄の性別とは別物」

「無生物についての男性/女性の割り当ては恣意的で、性と単語の意味とは関係ない」

 

「恣意的」、つまり単語の性の振り分けは言ってみればデタラメで、論理的必然性はないということだ。

したがって、「膣が女性のからだの一部だから女性名詞」というエミリーの類推はバツ。シルヴィーの「女性が所有するものだけど男性が支配するものだから男性名詞?」という、いかにも恋愛の国フランスの、大人の女らしい推考も不正解。わたしも勝手に、フランス語で海はmerで女性名詞だけれど、イタリア語ではmareで男性名詞。それはフランス人とイタリア人の海への感受性のちがいかな?などと想像をふくらませていたが、これも妄想。オスメスの振り分けにロジックはないのだ。

 

しかし、しかしである。フランス語教育歴史文法派の先生方は、最初からそうだったわけではない、ともおっしゃっている。名詞の男女の振り分けには長い歴史的経緯があり、遠い昔には、性別の分類にもっとはっきりした基準があったそうだ。以下、前述サイトより引用。

「インド=ヨーロッパ祖語において、名詞は男性/女性/中性の3つのカテゴリーに分類されていたと推定されている。この3つのカテゴリーのうち、男性/女性は雌雄のある生物を示す名詞に用いられ、無生物名詞は中性のカテゴリーに登録されていたと考えられている」

「後に言語が変化して枝分かれする過程で、中性のカテゴリーに割り当てられていた無生物の名詞の一部が、男性/女性名詞に振り分けられた。なぜそんな振り分けが行われたかというと、無生物や抽象概念を言語で表現するにあたって、それらを擬人的にとらえ、男女のメタファーとして提示する精神の働きが作用した結果ではないかと考えられているんだ。フランス語の直接の先祖に当たるラテン語では、男性/女性/中性の3性の分類だけど、たとえば果実をつける樹木は女性的なものと考えられていて、ラテン語の樹木名は女性名詞だった。こんな具合に類推によって中性名詞だった多くの無生物名詞が、男性ないし女性名詞に振り分けられたのではないかと」

 

「果実をつける樹木は女性的なものと考えられていて、ラテン語の樹木名は女性名詞だった」というのだから、膣は女性のものだから女性名詞、とエミリーが考えたのももっともだ。しかし、そこからさらに長い長〜い時が経ち、ラテン語からフランス語、イタリア語へと分かれ、それぞれ独自の発達をしていくうちに、この論理性は損なわれてしまった、ということのようだ。

で、とどのつまり、名詞のオスメスはひとつひとつ覚えていくしかないのだろうか?

フランス語教育歴史文法派の先生方は、フランス語では意味からの類推はむずかしいが、語尾のかたちである程度検討がつくものがあったり、他にも手がかりになるものはある、とおっしゃっている。

確かにイタリア語もそうだ。男性名詞の語尾はだいたい「-o」で終わり、女性名詞の語尾はほぼ「-a」で終わる。ほかにも、「-one 」で終わるものは女性名詞が多いとか(例 informazione 情報、conversazione 会話、generalizzazione 一般化)、「-mento」で終わるものはだいたい男性名詞だとか(例 sentimento 感情、divertimento 楽しみ、procedimento 進行)、経験を積むうちにデータが頭のなかに蓄積され、見分けが楽になっていく。

また、イタリア語の大家、故坂本鉄男先生はその著書「現代イタリア文法」で、ざっくりだが見分け方のカテゴリーを教示している。樹木、花、山、海、金属、方向等は男性名詞であることが多く、果実、都市や島の名前、国名・地方名などは女性名詞であることが多いそう。ただ例外も多いので、結局、最初はひとつひとつ覚えていくしかない、というのがわたしの実感だ。そのうち経験値が上がってきて、ようやく頭に定着する感じ。

フランス語教育歴史文法派の先生方も、「学び始めはそもそもボキャブラリーがないから、単語ごとにひとつひとつ男性/女性を覚えていくのが実は効率がいいかもしれない」とおっしゃっている。う〜ん、やっぱりなかなか近道はないようだ。

最後に、名詞に男女の性別があるのは、フランス語やイタリア語などラテン語系言語だけではないそうだ。ドイツ語やインド語など、インド=ヨーロッパ語族の言語の多くが同様なのだとか。アラビア語にもあるのだそうだ。長年、イタリア語のオスメス問題に悩まされ、こんな厄介な言葉を学習する羽目になって、と、恨めしく思ったりもしたが、これはわたしの早とちり、とんだ被害妄想だった。

 

「三省堂 辞書ウェブ編集部による ことばの壺」

「フランス語教育 歴史文法派」の3人の専門家の先生たちにより、なぜフランス語には性別があるのか、フランス語史、語源などからわかりやすく解説されています。「フランス語の名詞の男性/女性名詞の振り分けは恣意的」といっても、そこには歴史的経緯があることがわかります。同じくラテン語を親とするイタリア語学習者が読んでも参考になります ↓ 

https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/ghf07

 

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UnsplashDainis Graverisが撮影した写真 (ページ中)Thank you!

 

 

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