「女性の美しさは、都市の美しさの一部です」そんな広告のコピーが昔あった。イタリアでカフェテラスにすわり、行きかう人々を見ていると、まさにその通り、と、うなずきたくなる。
きりっとしたスーツ姿で足早に歩く、ミラノのビジネスウーマン。犬を連れて優雅にお散歩の、ヴェネツィアのマダム。長い髪をなびかせ、自転車で通り過ぎるフィレンツェの女学生。いろんな個性が美を咲かせるさまを目にするのは、ほんとうに楽しい。
もちろん、同じことは男性にも言える。メニューにこそないが、カフェテラスでいちばんおいしいおつまみは通行人ウォッチングだ。イタリアの人は目がはしこく、男でも女でも素敵な人が通ると、みんなの視線がいっせいにそっちにスーッと動く。それを見るのもまたおもしろい。
彼らは批評眼も鋭く、シビアに品定めもする。「ボトックスで顔がこわばってる」、「メイクが盛りすぎでイタい」、「あのカップルは不倫だな」など、好き勝手なことを言って楽しんでいる。まあ、それはどこの国の人も同じだろう。しかし、きわめてイタリア的なのは、この通行人ウォッチングの楽しみが一方通行ではないところ。通行人を見物するという楽しみだけでなく、通行人に見物されるという楽しみもあるようなのである。
「さあて、カフェにぼくらを見せびらかしに行こうか」
悪びれもせずそう言ってのけたのは、友人のマルコ。もうずいぶん昔の話だが、初めてこのセリフを聞いたときは目が点になった。彼はごくふつうの容貌の四十男。ついでに言うと頭は禿げてるし、お腹も出てる。わたしも十人並み。なのにぼくらを見せびらかしに行くの?
そのうち、これが決まり文句なことがわかってきた。散歩やディナーなど外出の際、ふだんよりちょっとおめかしした二人が会うと、「Come siamo belli! Andiamo a farci vedere(ぼくたちとってもイケてるね!さあ、みんなに見せに行こう)」というふうに使う。定番の言い回しなのだ。
お出かけのときのちょっとした心の高揚をあらわす表現で、文字通りの意味よりはライトなニュアンスだが、
「ぼくたちとってもイケてるね!さあ、みんなに見せに行こう」
好きだな、この明るく健康な精神。人生を楽しむのに、なにもモデル並みの容姿は要らない。ルックスの欠点なんて、そもそも本人以外は誰もたいして気にしちゃいない。むしろ、ふつうは欠点とされるものがその人の場合は魅力になっている−−そんな独自性こそが高く評価されることが多いのがこの国のいいところだ。
友人のマルコをはじめ、さえないルックスでも人前に出るのが好き、というイタリア人を何人か知っているが、わたしの経験ではたいてい魅力的な人だった。人前に積極的に出ていくことが、見て目を肥やし、見られて身の丈を知り、と、男、女を磨くいい機会になっているのかもしれない。
「見て、見られて」を気軽に楽しむ。そんな空間であるカフェテラスが街のあちこちにあるせいか、イタリアではふつうの人でも佇まいに緊張感を欠いていないのは、美しい眺めである。
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UnsplashのMikail Duranが撮影した写真 (カバー)
UnsplashのNicolas Mejiaが撮影した写真 (ページ中) Thank you!