映画

シェルタリングスカイ 虚無と漂流

 

坂本龍一氏の健康状態が心配される今日この頃、氏が音楽を担当したベルナルド・ベルトルッチ監督の「シェルタリングスカイ」を久しぶりにまた見た。なぜか心惹かれる映画で、若い頃ロードショーで見てからも、1、2回、折に触れて見ている。昔見たときは、不毛なラストに突き放されたような気持ちになったのが、なぜか今回はしっくり来た。生きることは漂流なのだと、悲観的な気持ちではなく、腑に落ちた。

人は人生に意味を探る生き物だ。自分の人生にストーリーを作ろうとそれぞれにがんばるが、同時に、自分でもよくわからない衝動や欲望に翻弄される。熱中しては飽き、失望してはあがく。そして混沌のなか、流れる。人の生のそんな恣意性を、悲しいのでもなく、肯定するでもなく、そういうものだということが、ただ、沁み通っていった。

映画の舞台はモロッコ。時は第二次世界大戦後まもなく。ニューヨークのスノッブな作家と作曲家の夫婦が、友人の男と3人でモロッコに旅に出る。人生にも、お互いにも倦怠してしまっている二人は、生きる実感を感じたい、あわよくば夫婦関係を立て直すことができるのではないか。そんな淡い希望を抱いてあてもなく旅をする。

夫は好奇心から女を買い、トラブルに巻き込まれたり。妻のほうは友人の男となりゆきで寝てみたり。遠くまで来てみても、見えるのは自分の虚ろな心ばかり。サイクリングに出かけた山岳地帯の大自然のなかで、二人は一瞬、愛を取り戻せるかと思うが、その後、思いもよらぬ過酷な運命が彼らを待ちかまえている…。

主人公たちが富裕な有閑階級という設定でお金の悩みがない分、実存そのものの危うさが際立つ。

旅において人はしばしば、知らなかった自分を発見する。特にアフリカやインドといった、遠く離れた未開の地では、ふだんの生活とつながるものが何もない。異界の、なじみのない色や匂い、音にさらされ、アイデンティティーが眩暈のように崩れ落ちる。そんな危険を孕んではいても、旅は、生に倦んだ心には新鮮だ。それを起爆剤とし、自分の生を活性化させたい。映画の主人公たちがそう期待するのも、よく理解できる。

しかし、必ずうまく行くとは限らない。外的な要因もあるが、なにより自分自身の心がもっとも思う通りにならなかったりする。エキゾチックな相手と一晩を過ごしても、雄大なサハラ砂漠を見ても、ふと立ち止まれば、虚無が暗い口を開けて待っている。そんな心模様のときもある。

答えはない。少なくともわたしにはわからない。わかっているのは、こうして坂本氏の美しい音楽を聴いていられる時間にも、必ず終わりが来ることだけだ。

坂本龍一氏の回復を心から祈る。

 


シェルタリング・スカイ 無修正版 [デブラ・ウインガー/ジョン・マルコヴィッチ] [レンタル落ち]

 

ABOUT ME
湊夏子
長いイタリア暮らしを経て、帰国。日英伊の3か国語でメシの種を稼ぎ、子どもを育てているシングルマム。