イタリアのことわざ・気になる表現

すべての道はローマに通ず ー 裏道で行け!

 

Tutte le strade portano a Roma.  すべての道はローマに通ず。

どんな状況にも常に解決策はある。遠回りになる道、避けて通れない道もあるかもしれないが、目的に到達させてくれる道は必ずある、という意味。

Pietro Migliorini “Il grande libro dei proverbi”より引用

 

なにかやるとき、裏道で行く、という発想がない。正攻法しか思いつかないわたしのような人間は、イタリア人からすると救いようなくアタマが堅い。つきあいの長い友人には、「いい加減学べばいいのに、その年になってまだ青いことを言っている」と半ば憐れまれている。

「愚直」という言葉が肯定的に使われる日本のような国で、その言葉を文字通り行く親、先生たちに育てられると、イヤでもそうなってしまう。一方、イタリアは「furbo(ずる賢い、抜け目ない)」ということが賞賛されるお国柄。裏道から入って汚い手を使っても、成功すればそれでよし。道徳的批判を受けることはあまりない。目的のためには手段を選ばない、マキャベッリの国なのだ。こんな国で正直者が生きるのはマジ、容易ではない。

ひとつ例をあげよう。

イタリアでも日本同様、公務員になるにはコンコルソと呼ばれる公募試験に合格する必要がある。受験のための参考書などが販売されており、それで勉強するようだ。イタリアの会社で働いていたとき、ひとりの同僚が公務員試験を受けると聞いた。しかし、全然勉強している気配がなく、しかも来週ローマに行くという。ふしぎに思い、別の同僚に聞いた。

「なんで大事なときにローマくんだりまで遊びに行くの?勉強しなきゃいけないんじゃないの?」

「わかってないなあ。彼は『就職活動』に行くんだよ」

「『就職活動』って?」

「コネがあるんだろ。試験に受かるよう、ローマのおえらいさんにお願い参りに行くんだよ」

「ええーっ! 信じられない」

目を丸くしているわたしを同僚は鼻で笑い、

「信じられないどころか、れっきとしたイタリアの慣習なんだ。ローマ帝国の時代から脈々と続いてるのさ」

「ローマ帝国の時代から…」

気が遠くなった。イタリアではコネ入社をねらうのは裏道入社でさえない、正攻法だということだ。

「でも、そんなことばかりしてたら、能力のある公務員がいなくなっちゃう。正直者がいなくなって、国がダメになっちゃう」

同僚はふーっとため息をつき、

「とっくの昔にそうなってるの、わからない?」

このコンコルソ(公募)に関しては苦い経験がある。以前、ヴェネツィア大学で日本語講師のコンコルソがあったとき、わたしは受ける資格がないと思い、受けなかった。応募資格に「某月某日より働けること」と書いてあり、ちょうどそのころ子どもが生まれる予定だった。さすがに生まれてすぐは働けないと思い、受けなかったのだ。

後日、別のタイミングでコンコルソに合格し、講師として働き始めてから、なんとはなしにその話を同僚にしたら呆れられた。

「そんなものはね、とりあえず受けておくの。働けるかどうかなんて、受かってから考えればいいのよ」

「えっ?でも、応募要項にそう書いてあったよ」

「ああもうまったく、そんなの鵜呑みにしてどうするの?受かれば候補者リストに1年は名前が残る。その間にまた別の欠員が出るとか、状況が変わるかもしれない。子どもも1才にもなれば保育園に行けるでしょ?そんな先のこととか、まわりのことなんか考えなくていい。自分のためにだけ行動すればいいの」

なるほど、そうだったのか。わたしは愚かにも応募資格を文字通り信じて、自分の大事なキャリアの1年を棒に振ったのか…。バカ、ほんとうにバカ!同僚と別れて帰り道、頭を叩いて自分の愚直さを呪ったのであった。

 

二つ目は、われわれの暮らしに身近な郵便の例。

イタリア郵便は基本、機能していない。20年前は日本から送った大切な本を紛失されたし、何年か前もクリスマスカードが真夏に届いた。コロナ禍では他の数多くの国でも郵便が滞ったが、イタリアはそれが特に長く続き、ついこないだまで船便しか送れなかった。

イタリア郵便の遅延、紛失に関しては、村上春樹が「遠い太鼓」というエッセイ集でも書いている。うろ覚えだが、イタリアへの郵便物はブラックホールのようなところに吸い込まれてしまっているのではないか、というのが作家の推量であった。実際、そうなんだと思う😅。

イタリアに住んでいたころ、わたしはイタリア郵便を憎んでいた。大事な荷物が届かず、郵便局で泣きわめいて抗議したこともある。さらにゆるせなかったのが、このことに関するイタリア人の態度だ。元夫に怒りをぶちまけると、

「郵便なんか使っちゃダメ。大事なものはUPSとか、フェデックスとか、クーリエ(国際宅配便)を使うのがジョーシキだよ」

「はあ?そんなのおかしい。まずは郵便をしかるべく機能させるべきでしょう?」

「そんな非現実的なこといっても時間のムダ。クーリエを使いな」

「(怒!)まったくこの国って…。郵便も機能しないのに、よくもずうずうしくG7にいられるわね!郵便こそあんたたちイタリア人が国民一丸となって、ストでもして改善させるべき一丁目一番地でしょう!」

怒りでわなわな震えているわたしを横目に、夫は肩をすくめて行ってしまった。そんな後ろ姿を憎々しく見ながら、怒りがおさまらなかった。

なんで問題を根本から解決しようとせずに放置して、UPSやらFedexやら裏道にまわるのか。長年の行政の腐敗、錯綜、アナーキー化と硬直化で、改革など望めないという諦念か。でも、そうして裏道ばっかり行くから、社会の枢要インフラである郵便がいつまでたっても機能しない…と批判していると、別の友だちがいった。

「それでもいいの。まともな国を作るより、今日、自分が生き延びるほうが先だから。現実的になるしかないの」

ふーむ。そういわれてしまえば、まあ、そうだ。だって現に郵便は使えないんだもの…。

すべての道はローマに通ず。表から入れないなら裏から、あるいは横から入るまで。

プラグマティックなイタリア人を真似して、もっとソツなく生きなくちゃ、と、もう四半世紀も自分に言い聞かせているのだが、三つ子の魂百までというように、性分というのはなかなか変えられない。裏道から行けるイタリア人をうらやましく思いつつ、複雑な気持ちだが、自分はやっぱり表から行ってしまうのである。

 

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UnsplashRobert Forcadillaが撮影したカバー写真 Thank you!

 

 

 

 

 

ABOUT ME
湊夏子
長いイタリア暮らしを経て、帰国。日英伊の3か国語でメシの種を稼ぎ、子どもを育てているシングルマム。
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