「È più forte di me」というセリフが、昨今、気になっている。直訳だと「それは自分より強い」。「それ」が何なのかはともかく、自分より強い力が働いていて、自分にはどうしようもできない、という意味で使われる。
イタリアのシンガーソングライター、 リガブーエの歌のタイトルにもなっていて、ここでは恋に翻弄され、ままならない心を表現している。
しかしこのセリフ、ごく普通の、日常的な場面でもよく使われる。例えば…。
例その1。食事時。おかあさんが子どもに野菜を食べさせようとしている。
「お肉ばかり食べないでピーマンも食べなさい。」
「いやだ」
「食べなさい」
「Noooo! È più forte di me. ムリ! ムリなものはムリなんだ!(ピーマンが食べられないのはボクのせいじゃない)」
例その2。おとうさんが高校生の息子に、
「ラテン語の試験、今回は受かるよな?家庭教師までつけてやったんだから、絶対受かれよ」
「No. Non sono in grado. È più forte di me. ムリ。何やったって、できないものはできない。(オツムが悪いのはオレのせいじゃない)」
こんな感じで、自分ができないこと、したくないことの言い訳に使われることが多い。「È più forte di me」により、「わたしのせいじゃない」感が強く出る。責任転嫁できる。開き直れる。これがミソである。
このセリフ、なんと、職場でも使えることが判明した。イタリアで公務員をしている知人から聞いたエピソード。同僚が上司に人事異動を命じられたときのことだそうだ。
「〇〇さん、春から経理に異動してほしいんだが」
「 む、無理です。自分にはできません」
「そう言わないで、トライしてみてもいいでしょう?」
「でもアタシ、数が数えられないんです。E’ piu’ forte di me. どうしようもないんです…」
ご当人は四十才ぐらいの女性。それで数が数えられないって、なかなか尋常ではない口上であるが、上司もめんどくさくなったのか、黙って引き下がったそうだ。彼女は見事、望まない異動から逃れたのである。
それで通るんだ…。まあ、めったにないケースだとは思うが、驚いた。そんな使い方もあるのかと。
イタリアに住み始めて間もないころは、軟弱な言い訳だって思ってた。最初からあきらめてどうする、ちょっとはがんばれないのかって、イラついた。だけどまわりのイタリア人は、まあしかたないって感じで、わりとあっさりこのフレーズを受け入れている。理解できずにイタリア人の友人に聞いてみると、
「なんで? 自分の力量を超えることはできないでしょ? しかたないじゃん」
「しかたないって…。そう簡単にできないって決めつける前に、トライしてみないの? 案外、できるかもしれないじゃん?」
「あはは!マゾヒストだね。」と笑われた。
もちろん、イタリア人みんながこうなわけではないが、個人的経験では、「È più forte di me」が身についている人は多い気がする。自分にだけじゃなく、相手にも、あまり無理強いをしない、あきらめが早いという印象だ。
以前はそれを歯がゆく感じていたのだが、このところ、考えが変わってきた。先述の女性公務員の例のように、このセリフがなかなか使えることがわかってきたのだ。このセリフをモノにしたい。そして自分も楽になりたい、イヤな要請やパワハラを撃退したい…。
「È più forte di me」と、何度か唱えてみる。ふーん、悪くない響きだ。イタリア人との仕事の攻防で使えないかな、と、機会を狙っている。
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