雑記

猫に学ぶ 幸せに過ごすためのヒント(=^x^=)

 

あなたは犬派?猫派?

わたしはずっと犬派だった。猫を飼ったことがなかったので、猫はちょっとこわかった。だけど、子どもにせがまれて根負けし、5年ほど前に猫を飼うことになった。名前は「まる」。

愛猫、まる。純ジャパな名前がミスマッチな、グリーンアイズのクールビューティー。

 

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猫に教わる、人生をよりよく生きるヒント

猫ってふしぎな生き物だ。かわいがってもよろこばないし、抱っこしても逃げていく。そのくせ、気が向いたときだけやってきては人のからだをフミフミし、喉を鳴らしてラリってる(ように見える)。家のなかばかりじゃ退屈だろうと外に連れ出してあげても、いやがってキャリーバッグから出てこない。なに考えてんのかよくわからない。

しかし、まると年月を過ごすうち、まるからたくさんのヒントをもらっているのに気づいた。人との距離の取り方、時間の使い方、マイペースであること、心地良さへのアンテナの高さ…まるを見ていると反面教師的に、これまで自分をしばってきた思考の癖に気づくのだ。そして、そんな思考はもう手放してもよいと思えるようになり、解放感をおぼえるのだ。

てなわけで、今日もまるに人生を教わっている。50も半ばを過ぎ、もう遅いかもしれないが、残りの人生をよりよく生きるのに遅すぎることはない(と信じたい)。

「まる先生」の日々の教えは次のようなこと…。

なにもしてないのにえらそうにしている

そうか、それでいいのか。売り上げを上げたからえらいとか、いい成績をとったからえらいんじゃなくて、なにもしなくても生きてるだけでえらい、存在しているだけで尊いんだ。まるを見てるとそう思えてきた。

一日寝てる

あれをしなきゃとか、これをしなきゃとか、貧乏くさいこと考えない。生産的じゃないことに不安になったりしない。寝たいときは寝る。本能に素直。人間はロボットじゃない。寝ることだって生きることなんだ。

心地よい場所を見つける天才

シーツを洗って干し、ベッドメーキングして、今夜は洗い立てのベッドリネンで気持ちよく眠れるなって思ってたら、目を離した隙にもうまるがシーツの上におさまっている…。心地良いことに超はしこい。それだけじゃない、クローゼットにちゃっかり忍び込み、きれいに畳んでおいたカシミアのセーターの上で昼寝してた。ちょっとムカつくけど、心地よいことへの感度の鋭さ、それを遠慮なく自分のものにする自己肯定度の高さ、正しい。見習いたい。

お礼を言い過ぎ?もっとさらっとでいいかも

朝、起きたら水。流水のフレッシュな水しか飲まないので、浴室の水栓をひねってあげないといけない。餌は自動給餌器から出たままはイヤ、らしい。人間の手でかたちよく整えよ、と。ベランダに行きたいときはまた、窓を開けよと鳴きなさる・・・まる姫は要求が多く、しもべは大変だ。こっちがいくら尽くしても、当然という顔でゆうゆうと去っていかれる。そんなまるを見ていて、わたしは自分が人にいちいち馬鹿丁寧にお礼を言い過ぎかなって気がしてきた。もっとさらっと当然って顔で受け取ってもいいのかも。

自分の気分が最優先

まるはわたしと娘のことを家族だと思っているようだ。こっちが寝ているときにからだの上に乗ってきたり、腕枕で寝たり、自分がスキンシップを求めているときはやりたい放題なくせに、こっちが抱っこしたいと思っても絶対にさせてくれない。抱っこされるのは好きじゃないし、気分が乗らないときは好きな人でも妥協なく拒むのだ。見てて気持ちいいほど、自分の気分を最優先。うらやましい。ぜひ真似したい。

絶妙な距離の取り方

まるは基本、自分の気分で、自分のいたい場所で過ごしている。しかし同時にわたしと娘の動向にアンテナを張ってもおり、わたしたちが二人で笑っているとやはり気になるのか、いつのまにか近くに来ていたりする。気づかれない程度の距離をあけて近づいている。

寝るときもそう。わたしのベッドからちょっと離れた机の下にいたり、ベッドの足元で寝ていたりするが、こちらが気がつくほど距離を縮めることはない。常に付かず離れずの距離を保つのだ。まるを溺愛しているこちらにすれば、それはちょっと物足りないのだが、逆に奥ゆかしく、まるのことがさらに愛しくなる。そう、べったりはよくない。適度な距離はいい関係を続けるには必要なものだ。

フミフミ・フガフガに生きる

「人はみな泣きながら生まれてくる」とは、シェークスピアの言。いつまでもおかあさんの温かいお腹のなかにいたいのに、生み出されてしまう。きびしく、つらいことばかり多いこの世に。

そんな言葉を思い出すのは、まるが毛布やわたしのお腹などを前脚でフミフミし、喉をフガフガ鳴らして恍惚としているときだ。ほかの猫さんもそうだろうが、まるもこのフミフミ、フガフガをよくやる。しょっちゅうしている。そんなときはいつも半目の恍惚とした顔をしている。

専門家によると、このフミフミ・フガフガは、おかあさんのそばでお乳を飲みながら過ごしたころをなつかしがっているのだという。日に何度もフミフミ・フガフガしているまるは、大人になってもずっと、一生のほとんどを、おかあさんのそばで過ごした幸せな日々をなつかしがって過ごしているということ?それって、大人になって自分の人生を送ることなどかえりみないということ?

これはまったく興味深い。さすがに真似することもできないが、その気持ちはわかる。だれしも母の胸のなかで愛しまれた幼年時代への郷愁はある。そしてそれは自分が生きた残りの大人としての人生を上回るほどの、まったき温かい幸せな思い出だったりする。そう考えると、生きるってなんだろう?大人は働いて、社会参加するのが義務だと刷り込まれているが、はたしてそうなんだろうか?そこにばかり価値をおかなくてもいいんじゃないか。そんなことも思うのだ。

人生の歩み方に正解はない。まるが正解を知っているわけでももちろんない。しかしわたしにとっては、まるの行動が、より自由に生きるための新しい目を開く一助となってくれているのである(=^x^=)。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました!

ではまた。See you!  湊夏子

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トリリンガル・マム
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