イタリア人的考え方

駅員のひと目惚れ  

 

ヴェネツィアの駅で切符を買うために窓口に並んだ。行列の前の人たちがひとりひとり消えていくのを辛抱強く待ち、ようやく窓口の先頭に。

「ボンジョルノ。15時発のフィレンツェ行き急行を一枚お願いします」

たどたどしいイタリア語で頼むと、ガラスで仕切られたカウンターの向こうで男性駅員がほほえんだ。

車両は一等?二等? 帰りの切符も買いますか? 短いやりとりのあと支払いをし、切符を受け取ろうと手を伸ばしたら、受け渡し口の穴から手が出てきてその手をつかまれた。びっくりして窓口の向こうを見ると、駅員さんがちょっと恥ずかしそうに、あのー、僕とデートしてくれませんか?

これ、わたしではない。知り合いの女性、Y子さんに起きた実際の話。駅員さんはY子さんがあまりにも好みのタイプだったため、勤務中にもかかわらず窓口を閉め、外に出てきて口説いたそうな。ふたりはその後交際し、めでたく結婚。もう三十年以上仲良く暮らしている。

ふとそんなことを思い出したのは、渋谷駅のみどりの窓口に並んでいるときだった。その日は外国人観光客が多くていつも以上に混んでおり、イライラしながら並んでいて、Y子さんと駅員さんのことを思い出した。

ヴェネツィア駅の切符売り場は今も昔も混んでいる。三十年前のその日だってふつうに混んでいただろう。それでもY子さんにひと目惚れした駅員さんはなりふりかまわず窓口を閉めた。小心者のわたしなどにはとても真似できないが、その後ふたりが幸せな結婚生活を送っていることを思えば、人もたまには常識や責務を忘れたほうがいいのかもしれない。

まあイタリアは個人主義で、会社の決まりも社会規範も目安に過ぎないようなところがある(いい例が信号。イタリアの歩行者は信号をいちいち生真面目に守ったりしない)。人々の行動も自然に逸脱していくようなところがあるから、Y子さんのだんなさんも気がついたら窓口の外に飛び出していたんだろう。

一方、渋谷駅みどりの窓口の駅員さんたちは——。
激混みで殺気だった客の群れを前に、全員が足並み揃え、一秒もむだにすることなく応対している。いやあ、この雰囲気のなか持ち場を離れて自分を優先する勇気はないな。Y子さんのだんなさんだってここでは無理だろう。彼の行動はそれを受け入れる環境や文化があってのことなんだと思った。

とはいえイタリアも変わった。日本やアメリカ同様、コンプライアンスや政治的正しさに注意して発言、行動することを求められるようになった。業務中は特にそうだ。いくらアモーレの国でも今じゃ駅員が窓口で女性客の手をつかむなんてことはできないだろう。

ハラスメントやコンプライアンスといった意識が高まったのはいいことだと思う。しかし、なにが適切でなにが不適切か、ほんとうに知るのは不可能だ。人間ひとりひとり物事への考えも認識も異なるし、状況だって千差万別。業務中なら業務マニュアルに従えばいいのだろうが、マニュアルに書いてないことが起こるのが人生だ。

コンプラ社会では、N子さんたちのようなドラマチックな出会いは減るのだろうなと思うと、ちょっとつまらない気がする。

 

 

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ABOUT ME
トリリンガル・マム
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