イタリア

秋の日のラプサンスーチョン

 

今日のようなうつくしい秋の日には決まって思い出す。二十数年前、ローマのとある香水店で出会った香り。

その店はふつうの香水店ではなかった。『香りのバー』と名乗り、独自の厳選された上質な香りのコレクションを揃えていた。

店に入るとカウンターに座るよう案内され、店員さんが香りのバーテンダーよろしく好みや気分を聞いてくれる。いくつかの香りが選ばれ、特殊なグラス型ツールで試香するあいまに、それぞれの香りの表現する世界を語ってくれる。

今ではこんな店も目新しくはないのだろうが、当時は新しかった。老舗の香水店が打ち出した新しいコンセプトの店だったようだ。雑誌の取材で行った。ヴェネツィアから来たといったら同年代の女店員さんは、そんな遠くから!と目をまるくしていたっけ。

数種類の香りを嗅がせてもらったが、なかでも忘れられないのが「秋の日のラプサンスーチョン」だ。

それは本当はそういう名前ではなかったかもしれない。なにせ昔のことではっきりと思い出せない。が、その香りと彼女が語ってくれたストーリーは強く記憶に刻まれている。それはこんな話だ。

秋も深まってきた週末、街を離れて田舎の別荘で恋人と過ごす。いいお天気で外は晴れているけど、家のなかは肌寒い。暖炉に火を入れ、大きな長椅子でくつろぐ。テラスの向こうには赤茶けた秋の庭が見える。
静かだ。暖炉の火がちろちろと燃えている。聞こえるのはときどき爆ぜる薪の音ぐらい。そんな静かな午後、ふたりで温かいラプサンスーチョンを飲んで過ごす——。
これはそんなおだやかな幸せのひとときを表現した香りなのです……

わたしはラプサンスーチョンがなんだか知らなかった。聞くと、欧米では有名な紅茶の銘柄だそうだ。中国産で独特の燻製香があり、英国貴族に好まれたという。イタリアの秋の親密で落ち着いた情景を、なんともエキゾチックな響きを持つ紅茶があざやかに彩っている。

ラプサン、スーチョン——わたしはその名をたどたどしく復唱すると、その情景にうっとりとした。その香りのアロマキャンドルを購入し、ヴェネツィアに持ち帰った。

家でつけてしばらく楽しんだが、日々の煩雑さのなかで最初に感じた感動はだんだんと薄れていった。まもなくキャンドルは燃え尽き、これがきっかけで飲んでみたラプサンスーチョンもそれほどおいしいと思わなかった。なのに秋晴れの日にはこの香り、このストーリーを思い出した。ヴェネツィアでも、東京でも。

秋の静かな午後、暖炉には火が燃えていて、恋人とあたたかい紅茶を飲むひととき。そんななにげない幸せは、いつでもそこにありそうで、そうそうあるものではない。つかまえようとするとつかまえられない、でも気がつくとそこにある。この香りはそんな幸せというもののあり方をとらえ、かいま見せてくれたように思う。

秋の日のラプサンスーチョン。日本でも、どこでも、それはきっと楽しめる。自分がその感覚をキャッチさえできれば、それはたぶんここにある。

 

 

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ABOUT ME
トリリンガル・マム
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