イタリアのことわざ・気になる表現

自分と平和 アラ還の出会い

 

今年還暦をむかえる女友だち、ロベルタに、彼氏ができた。先日ローマから電話がかかってきて、うれしそうに打ち明けられた。

ロベルタは高校生の娘と、ローマでも海に近い、緑の多い住宅街で暮らしている。九年前に離婚してから、カントリーダンスという趣味を見つけ、「すっごく楽しいからオトコはもういいや」なんて言ってたのに、人生はわからない。新しい彼氏はロベルタが通うダンスクラブに会場を提供している、近所の学校の経営者だそうだ。

彼はときどき見かけるロベルタの、心底楽しそうに笑ったり、踊ったりしている姿に惹かれたという。共通の知人に、「あの笑顔が素敵な女性をぜひ紹介してほしい」と繰り返し頼んだが、ロベルタはなかなか首を縦にふらなかった。「だって、今の生活に満足してるし、新しい出会いをもとめてないし……」

それでも彼はあきらめず、一年後、ようやくお茶でもということになった。
「会ってみると意外に楽しかった。いや、それどころか、今まで別々に生きてきたのがふしぎなぐらい馬が合った」と、ロベルタ。以来、毎日のように会っているという。

ロベルタはキャビンアテンダントとして、長年、世界中を飛んできた、自由で、自立していて、すらっと背の高い美人。いつも快活で、さわやかな風をまとっているような雰囲気のひとだ。
海を愛し、太陽に愛されつづけた結果、今では顔にしわもできたが、魅力的な笑顔は変わらない。時折インスタなどで目にする彼女は、海で、ダンスイベントで、旅先で、娘や友だちに囲まれ、まるでティーンエイジャーのようにくったくなく笑っている。

還暦を目前にこうも邪気なく笑えることに感心し、「ほんとうに楽しそうだね」というと、
「ほんとうに楽しいもん」
「でも、心配事とかないの?問題とか?」
「そりゃあるよ。人並みにはね。でも、いうじゃない?問題の何パーセントかは自分で作ってるって。わたしは考えてもしかたがないことは考えないようにしてるの」

言われてみると、たしかにロベルタはそういうひとだ。知り合ってもう云十年になるが、一度も泣きごとを聞いたことがない。

ヴァカンス中に空き巣に入られ、おばあさんから受け継いだという宝石をごっそりと盗まれたときも、三十五年務めた会社をリストラされた一昨年も、ま、いいわよ、しかたないって感じで、肩をすくめただけだった。だんなさんと別れたときも、あっさりと事後報告があっただけだ。

子どもの教育なども同様で、もうちょっとがんばらせてもいいのでは、と思えるような場面でも無理強いはしない。結果、娘さんは物怖じしない、元気いっぱいの子に育った。親子関係も良好のようだ。

新しい彼氏というのは同年代で、何年か前に奥さんを病気で亡くしたやもめなのだそう。地位もお金もあるいい男なので、まわりの女たちがねらっていたらしい。それがロベルタとつきあいだしたので、「若くてきれいな女が山ほどいるのに、あんな年増とくっつかなくても」と陰口をたたかれているそうだ。

ロベルタが住んでいるのはローマでも人気のエリア。金持ちや芸能人が多く、容姿に気を使うひとが多い。くちびるにコラーゲンを入れてふくらませたり、ボトックスでしわを消したりはあたりまえで、セクシーな美女がわんさかいる。にもかかわらず、彼の心を仕留めたのは、年相応のしわを刻んだロベルタだった。

新しい恋人はロベルタに惹かれた理由を次のように語ったという。
「Sei in pace con te stessa」
直訳すると、きみはきみ自身と平和な関係にある。つまり、自分自身を受け入れている、肯定しているという意味だ。そんな彼女といっしょにいると、楽しいし、疲れないと。

ああ、ホント、それは言えてる。ロベルタといると疲れない。こだわらないから、こっちもリラックスしていられる。

それはさておき、この「essere in pace con se stesso」という言葉、いいなあ。
自分自身と平和な関係にある——これを聞いて、頭のなかに青空が広がった。どこまでも広い、よく晴れた青い空。空気は澄み渡り、心地よい風が吹いている……。

残念ながら、わたしはそんな境地になったことはいまだない。ロベルタと同じアラ還になっても、まだ欲や意地にとらわれ、ジタバタしている。日々生じる問題に頭を抱えている。
でも、ロベルタが言うように、問題はわたし自身が作り出しているのかもしれない。彼女のように問題を問題としてさらっと流してしまえば、自分がこだわらなければ、今の自分も生活も、実はすでに平和で完全なものなのかもしれない。

それにしても、そんなロベルタの魅力に目を留めた新しい彼氏というのは、なかなか目が高いではないか。そう言うと、「あら、目が高いのはわたしのほうよ。彼はひとの気もちがよくわかる、とっても素敵なひとなの」とのろけられた。

ジリリリリ。電話の向こうで呼び鈴が聞こえる。
「あ、彼が来た!また進展を報告するね」
ロベルタが弾む声で電話を切った。電話口の向こうにさわやかな風を感じた。

 

 

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トリリンガル・マム
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