イタリア食べ物

リゾットの思い出、あれこれ

 

寒い日がつづくと、リゾットが食べたくなる。そして昔、夫の母が作ってくれたのを思い出す。

暗くて寒いヴェネツィアの冬、霧が立ち込めるような日には特に、リゾットが格別おいしく感じられた。食べ終わるころにはからだがあたたまり、気もちもよりくつろいでいる。

義母が作ってくれたのは、かぼちゃ、ポルチーニ茸、トレヴィーゾ特産の赤いチコリなど、野菜のリゾットが多かった。かぼちゃは日本でも手軽に手に入るのでわたしもたまに作る。が、どうしても同じ味にならない。

その理由の一因らしきことが、ある日わかった。東京在住のイタリア人の友人、Vが、ミラノ名物のサフランのリゾットを作ってくれたときのことだ。

Vが料理するわきでワイン片手におしゃべりしていて、ふと、目がVの手元に釘付けになった。なんと、400グラムのバターのかたまりの、その半分強もを鍋にぶちこもうとしている。

「ちょ、ちょっと待って」と叫んだ。「それはいくらなんでも多すぎでしょ?」

Vが振り返る。「なにが?」

「バターよ。そんなに入れたら、からだに悪くない?」

「大丈夫だよ。こういうのは使うときは使わないと、おいしくならないんだ」

そう言って、手の中のバターを鍋に放り込んでしまったのである。

できあがったリゾットは、たしかにおいしかった。義母が作ってくれたのとよく似た、リッチな味わいだった。ということは、義母のリゾットにも、こんな大量のバターが入っていたということか。

日本では、バターやオイルなど油脂類は取りすぎるとからだに悪いと聞いて育った。その刷り込みで、ずっと必要最小量しか使ってこなかった。

それがイタリアに行くと、おどろくほど大量にオリーブオイルを使う。パスタやサラダ、ゆで野菜なんかにふんだんに使うだけでなく、なんと、赤ちゃんの離乳食までオリーブオイルをかける。さすがにそれには抵抗があり、わたしが拒否反応を示していると、義母に言われた。「オリーブオイルはすごくからだにいいのよ」。

たっぷりとバターを使ったVのミラノ風リゾットはとてもおいしかったが、その夜、わたしは胃薬を飲む羽目になった。若いころは大量のバターも気づかぬうちに消化できていたのかもしれないが、今はもう、からだがついていけないようだ。お義母さんと同じ味にはならないが、あっさり味のリゾットでがまんするしかない。

そういえば、日本ではときどき、残ったご飯でリゾットを作るレシピを見かけるが、あれはイタリアではやらない。必ず生米から作る。米は洗わず、そのままオリーブオイルで炒めてから、具や、出汁のスープを足していく。そして米が鍋にひっつかないよう、かきまぜつづける。

お米が炊けたらできあがりだが、お米の固さは好みが分かれる。

基本、やわらかすぎるのはダメ。ちょっと芯が感じられるぐらい——パスタで言えばアルデンテ——でなければならないが、そのアルデンテも、人によって感じ方がちがう。

かすかに芯を感じられる程度、という人もいれば、生煮えに近いぐらい、固い芯が残らなければならないという人も。それぞれ一家言あってうるさいので、ある人はそれを「リゾットポリス 」と評していた。日本の「鍋奉行」のリゾット版か。言い得て妙だ。

リゾットに選ぶお米は、Carnaroli、Arborio、Vialone Nano という米を使うことが多い。糊化しやすい種類で、とろっとなりやすいからだそうだ。まあ、そこは好みで、人それぞれ。お米がたくさんある日本で、わざわざイタリアの米を使う必要はない。

出汁というか、ブイヨンも、市販のコンソメで大丈夫。もちろん、骨付き牛肉や玉ねぎで一から出汁をとればより美味なのだろうが、イタリアでもリゾットのためだけにそこまでやる人はまずいない。普通の家庭では市販のコンソメを使っている。

ただ、仕上げに入れるパルメザンチーズだけは、イタリア産の、24ヶ月熟成のパルミッジャーノがあるといい。わたしなどが雑に作っても、パルミッジャーノがコクと旨味を加えてくれて、イタリアらしい味に仕上がる。

リゾットの具は、春ならえんどう豆、アスパラガスなんかもいい。

ヴェネツィアでは、えんどう豆のリゾットは「Risi e bisiリジ・エ・ビジ」と呼ばれる、春の旬の料理だった。春にえんどう豆が八百屋さんの店先にならんだら、ヴェネツィアのそれを思い出して、リゾットにしてみる。自分はバターは控えざるを得ないのだが、それでもパルミッジャーノをたっぷり使うと、思い出の味にかなり近づく。

一方で、自分では絶対作れないリゾットもある。あるいは、ぜひもう一度食べたいと思っていたのに、それがかなわなくなってしまったリゾットも。

ひとつは、ゴー(gò)という魚のリゾット。ゴーはハゼの一種で、ヴェネツィアの潟に生息する小魚だ。雑魚の類なので商品価値が薄く、小骨ばかり多い魚だが、ヴェネツィアではそれから出汁をとり、ていねいに身をほぐしてリゾットにして食べる。

ヴェネツィアでは行きつけの小さな家族経営のレストランで、そこのおかみさんがよく作ってくれた。魚好きの日本人にとってはうれしい、なじみやすいおいしさで、おかみさんのあたたかく、素朴な人柄とも相まり、大好きな一品だった。もう一度食べたいと思っているうちに、おかみさんは引退してしまった。

もうひとつは、リゾット・コエ・セコエ。risotto coe secoe 。セコエとはヴェネツィア弁で、牛の背骨からこそぎ落とした肉のこと。肉をさばいたあとに出る残り肉を煮込んだスープで作るリゾットである。

ヴェネツィアの下町にある、地元の人しか来ないような食堂に連れていってもらい、そこで一度食べた。前は肉屋さんだったというおかみさんが作るそれは、髄液も入っているということで、とても濃厚なおいしさだった。もう一度食べたいと思っていたら、そのあと、イタリアを狂牛病が席巻し、食べられなくなってしまった。

どちらも、まだイタリアが貧しかった時代によく食べられた、捨てるような食材を生かして作った庶民的なリゾットだが、作ってくれたおかみさんたちの人間くさい存在感と相まって、忘れがたい味だった。

またヴェネツィアに行けば、どこか出してくれる店もあるのだろうか。そうしたら、またぜひ食べてみたいような、いや、食べないで、記憶の味をそのままとどめておきたいような……。

 

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ABOUT ME
湊夏子
長いイタリア暮らしを経て、帰国。日英伊の3か国語でメシの種を稼ぎ、子どもを育てているシングルマム。
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