イタリア人的考え方

古代ローマの奴隷とkaizen

 

kaizenと英語になっているほど、トヨタ式改善は、世界に知られる日本式仕事術。ヒラ社員から経営陣まで全員が、仕事の流れのなかで改善できる点を見つけ、効率と生産性を上げていく。合理的な考え方だと思うし、日本人としてそれを誇りにも思っていた。

が、長年イタリア人たちと働くなか、これは使えない、いな、むしろ、墓穴を掘ることがわかってきた。なぜか。理由は古代ローマ時代にさかのぼる。

古代ローマの奴隷たちも、井戸掘りや建築現場で日々働くなか、kaizenの芽はあちこちに見つけていたそう。ただ、それを上司に報告はしなかった。便利になり、効率的になったらなったで、空いた時間にはまた別の仕事をあてがわれ、余計に働かされるのが目に見えていたからだとか。

奴隷たちの知恵は、現代のイタリア人にも受け継がれているようだ。みんながみんなではないが、お役所仕事のようなところはそう。彼らはkaizenが自分の得にならないとわかっているのでやらない。理由は古代ローマの奴隷と同じ、そんなことして効率性が上がったところで、どうせ功績は上司に取られ、空いた時間には別の仕事をあてがわれるのが関の山。自分にはなんのメリットもないからだ。

しかし、kaizenを生んだ国で生まれ、教育を受けたわたしは、やっぱりkaizenの芽を見つけてしまう。それである日、職場のウェブサイトを使いやすくしようと熱中していたら、イタリア人の同僚に注意された。

「ほどほどにしときなさい。そんなにがんばってサイトを良くしても、その恩恵を受けるのはたぶん、きみじゃないよ。ここは異動が多いからね」

そして現実はその通りだった。わたしは突然異動になり、わたしががんばって改善したサイトやその他のシステムの恩恵を受けたのは、別の人であった。ふだんから仕事は部下に丸投げだった上司は、わたしがもたらしたkaizenなど、気づきもしなかった。

kaizenは働く全員がそれに意義を見出し、メリットを得るとき、そのように組織が構築されている場合には有効だ。しかし、そうでない場合に自分ひとりkaizenに励んでも、消耗させられるだけ。それを思い知らされた。

でも、イタリア人の名誉のために言うが、彼らは決して怠け者でもなければ、モラルが低いわけでもない。総じて創造性の高い、才能豊かな人たちだ。ここぞという時には、日本人にも出せないぐらいの馬鹿力を発揮する。

しかし、それはあくまで自分自身のため、自分がそうしたいと思ったときに限られる。自分の特にならない場合は、言われたことしかやらない。それも最低限度。状況を醒めた目で見きわめているリアリストなのだ。

 

「権力はそれを持たないものを消耗させる  “Il potere logora chi non ce l’ha”」

イタリアで長い間政権を握り、マフィアとも関係があると噂されていた、アンドレオッティ元イタリア首相の言葉だ。目を背けなくなるような、痛い真実である。

権力を持たない者は、だから、頭を使って自分を守らなくてはならない。わたしのように、kaizenの芽を見つけて、おめでたく自動的に反応していてはいけないのだ。それが自分にとってどういう意味を持つのか、一度立ち止まり、よくよく考えてみることが必要だ。

自分のkaizenはしかるべく評価されるのか、あるいはただ搾取されるだけなのか。そこをよ〜く見きわめないといけない。だいじな自分の時間とエネルギーを、自分のことなど歯牙にも掛けない他人や、企業に、やすやすとくれてやることはない。古代ローマの奴隷たちに見習おうではないか。

 

宅配のドライバーさん、新幹線の掃除を5分でやるという清掃員さん、彼らが走って仕事をこなそうとしている姿をよく見かける。コンビニの店員さん、ファストフード店の店員さんも、一秒もむだにせずに働いている。わたしはそれを見るのが苦痛だ。

そこまでしないと回らないのは、制度が悪いからだ。制度の不機能を、現場の個人に負わせているからだ。このように犠牲を負わされている働き手の人には、一度立ち止まって考えてみてほしい。その自己犠牲はほんとうに必要なのか。ほんとうに自分が欲してやっていることなのか。家族や健康、自由時間を犠牲にするだけのメリットを、もたらしてくれているのか。

また、わたしたち市民ひとりひとりも、無節操に利便性を求めるのはやめたい。サービスを享受するにあたり、もっと謙虚でいたい。わたしたちひとりひとりが、搾取される働き手の立場になってものを考えられるようになったら、そして不便さや遅さを受け入れることができたら、きっと企業も変わる。もっと働き手をだいじにする制度になるはずだ。

 

メシの種を稼ぐだけなのに、滅私奉公なんてやってられないーーそれが一般的なイタリア人の考え方だ。古代ローマの奴隷たちの例を見ても、イタリアでははるか昔から、自分はだれのために働いているのか、それは自分個人にメリットをもたらすのか、冷静に見きわめるメンタリティーがあった。

それを全面肯定するわけではないが、参考にはなると思う。働き方が大きく変容している今、日本の従来の考え方や習慣では、働き手が不利益を被ったり、苦い思いをすることも多い。わたしのkaizenが雇い主から黙殺され、奪い取られていったように…。

なんのために、だれのためにそれをするのか。古代ローマの奴隷たちを見習って、今後はしっかり意識していきたいと思った。

〜〜〜終わり〜〜〜

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UnsplashNiccolò Chiamoriが撮影した写真

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トリリンガル・マム
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