「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」は、衣服にお金を惜しまない京都人と、飲食に贅沢をする大阪人の、それぞれの気風のちがいを揶揄した慣用句。それに加え、「奈良の寝道楽、神戸の履き道楽」などとも言うらしい。
似たような言いまわし——古くから口承されてきた民謡の一節——が、ヴェネツィアを中心としたヴェネト地方にもあって、それがなかなかおもしろいので紹介したい。
Veneziani, gran Signori; Padovani, gran dotori; Visentini, magnagati; Veronesi… tuti mati;
ヴェネツィア人は大旦那、パドヴァ人は大学者。ヴィチェンツァ人は猫食いで、ヴェローナ人は皆イカれてる (拙訳)
大旦那、大学者はいいとして、猫食い、イカれてるとはなんだ? いったいどうして、そんなあだ名がついたのか?
それはあとで説明するとして、まず、「ヴェネツィア人は大旦那」。
この慣用句は、ヴェネツィア共和国の絶頂期、その富と力で領土を広げていた時代のもの。ヴェネツィアは統治者で、街には豪奢な館が立ち並び、華麗な祝祭典や宴が繰り広げられた。それで、ヴェネツィア人は大旦那、というわけ。
その誇り、心意気が現代にも生きているのか、ヴェネツィア人には気前のいい、というか、見栄っ張りの人が多かった。バールなどでちょっと一杯いっしょにやると、「Veneziani, gran Signori——ヴェネツィア人は大旦那だから」と、よくおごってくれた。ヴェネツィア人同士の場合は、どちらも相手より早く、スマートに払おうとする。見ていて、まるで早撃ちみたいだ、と思ったのをよくおぼえている。
二つ目の、「パドヴァ人は大学者」は、文字通り。パドヴァには世界で二番目に古い大学があり(最古はボローニャ)、ガリレオ・ガリレイやダンテが講義したり、コペルニクスが学んだことで有名だ。世界で初めて女性の大卒者を輩出したことでも知られる。
さて、では、猫食いと、イカれ頭は?
ヴィチェンツァはルネッサンス期の偉大な建築家、パッラーディオが手がけた壮麗な邸宅群で知られる。ヴェローナは古代ローマ時代の円形劇場と、「ロミオとジュリエット」の舞台として有名だ。どちらも近年、世界遺産に登録されたほどの町なのに、こんな言われ方をするのはなぜなのか。
両都市を治めていたヴェネツィア人の、上から目線を反映しているのかもしれないが、由来は諸説あるようだ。
まず、好奇心をそそる「ヴィチェンツァ人の猫食い」について。
由来その一は、17世紀、ペストが蔓延した時代にねずみを駆逐するため、ヴェネツィア政府がヴィチェンツァの街に猫を放った。それで街が猫だらけになった、というもの。さらに、ペストで飢饉になり、その猫を食べざるを得なくなった、という説もある。
その二は、ヴィチェンツァ方言で「飯を食ったか?」というのを「gatu magna’」というが、それが音声的に「猫 食う」に似ているから。その三は、この地方の豪族が昔、gati gotiと呼ばれていたから(gatiは猫の複数形)なのだとか。
次に、「ヴェローナ人は皆イカれてる」。
これも諸説あり、その昔、カーニバルの際の狂乱ぶりが尋常ではなかったから。精神病院があったから。また、山から吹いてくるこの地方の、肌を刺すような風のせいで、みんなちょっと変わってるから——などと言われている。
古い言い伝えで、どの説も真偽のほどはわからない。
しかし、こんなふうに言われて、ヴィチェンツァやヴェローナの人はどう思うのか?特に「猫食い」はひどい。気を悪くしたりしないのか。
ヴィチェンツァ出身の友人に聞いてみると、ハッハッハッと笑われた。
「気を悪くなんかしないよ。うちには猫がいるんだけど、その猫に言うの。『わたしはヴィチェンツァ人だからね、食われないよう気をつけてね』って」
変なあだ名をつけられたことを、むしろおもしろがっているようだ。
この慣用句、ここまではよく知られており、わたしもしばしば耳にした。が、調べてみて、つづきがあることを知った。以下がそれ。
Udinesi, castelani co i cognòmj de Furlani; Trevisani, pan e tripe; Rovigòti, baco e pipe; i Cremaschi fa coioni; i Bresàn, tàia cantoni; ghe n é ncora de pì tristi… Bergamaschi brusacristi! E Belun? Póre Belun, te se proprio de nisun!”
ウーディネ人は城自慢、苗字は”フリウリ人”。トレヴィーゾ人はパンとトリッパ(胃、ミノ)。ロヴィーゴ人は酒飲みのタバコ喫み。クレモナ人はアホ。ブレーシャ人は裏切り者。もっとひどいのが、ベルガモ人の十字架燃やし。で、ベッルーノは?かわいそうなベッルーノ、おまえさんはのけ者。 (拙訳)
アホとか、飲み助とか、裏切り者とか、からかい方がハンパない!
ここに挙げられている町は、当時はヴェネツィア共和国の領土だった。が、今では、ウーディネはフリウリ州、クレモナ、ブレーシャ、ベルガモはロンバルディア州に属する。
参考にしたサイトでは、民間伝承なので正確なことはわからないとしつつも、以下のように解説している。
「ウーディネ人は城自慢、苗字は“フリウリ人”」——ウーディネには立派な城があり、住民の自慢だった。その一方で、ヴェネト人からは、「フリウリ人はおなか、おっぱい、尻」とからかわれていた。
「トレヴィーゾ人はパンとトリッパ(胃、ミノ)」——トレヴィーゾは、肉でも捨てる部分である胃しか食べられない、貧しい町だった。(今日ではベネトンやデロンギの本社があり、ヴェネトでは豊かなほうだ)
「ロヴィーゴは酒飲みのタバコ喫み」——ロヴィーゴは沼地の多い場所だが、昔はタバコ畑があり、グラッパも生産していた。
「かわいそうなベッルーノ、おまえさんはのけ者」——ベッルーノは山の中の孤絶した場所で、特筆すべきことがなかった。
クレモナ、ブレーシャ、ベルガモの由来は、諸説ありすぎ、複雑なので割愛するが、どれもちょっとした特徴、エピソードをとらえて、おもしろおかしくからかっているようだ。
ロヴィーゴとベッルーノには知り合いがいるので、そんなふうに言われていることについて、どう思うか聞いてみた。
——ロヴィーゴ人は酒飲みでタバコ喫み?
ロヴィーゴ人のA君は、ちょっとムッとして、
「酒飲みはロヴィーゴだけじゃないよ。ヴェネトの人間はみんなそうだ」と、まずは否定。
「でも、それってつまり、酒を飲んだり、タバコを吸ったりするしかない、退屈な土地だってことなんだろうな。まあ、確かにそうなんだ。歴史上、置き去りにされた、ちょっと不運な土地なんだよね」と、遠い目に。
——かわいそうなベッルーノ?
ベッルーノ人のPさんに聞くと、まあね、と、仕方なさそうにうなずいた。
「地理的に辺境地で、アクセスも悪い土地だった。移民で大勢出ていき、過疎が進んだ。1960年代にルクソティカが眼鏡工場を作ってから、変わったけどね」
案外、淡々と受け止めている。
さて、先日、この慣用句を使う機会があった。
今、トレヴィーゾ出身のB嬢といっしょに仕事をしているのだが、そこに最近、上述の、ロヴィーゴ人のA君が加わった。
A君は初めての外国暮らし。慣れない日本で緊張していたが、B嬢のヴェネト訛りを察知、わたしもヴェネツィアに長かったと知り、同郷人がふたりもいることがわかって、いっきにホッとしたという。
その気持ち、よくわかる。わたしも外国で大阪弁が聞こえてきたりすると、一瞬で大阪で高校生だったころにトリップする。イタリアでもそれは同じで、ローマの空港でなつかしいヴェネト訛りが聞こえてくると、思わず頰がゆるむ。ふるさとの訛りなつかし——なのである。
A君はそれまで標準語のイタリア語でしゃちほこばっていたのが、緊張が解けて、ヴェネト方言も口をついて出るようになった。「ロヴィーゴ、トレヴィーゾ、ヴェネツィアで、『ヴェネト同盟だ』」と、うれしそうだ。
でも、ちょっと待って。そんなに急になつかれてもなあ……。「やだ。いっしょにしないでよね」と水を差す。
「あなたは酒飲みのタバコ喫み。Bはトリッパしか食べられないけど、わたしは大旦那なんだから」
ふざけて言うと、A君もB嬢も大笑い。でも、
「じゃあ、昼メシは大旦那のおごりね」と迫られた。
余計なことを言うんじゃなかった……。
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UnsplashのStacy Ropatiが撮影したヴィチェンツァの写真, Thank you!