嵐が丘の舞台、ハワースを訪ねて

 

ずっと行きたいと思っていた、イギリス・ヨークシャー地方のムーア(moor 荒野・湿原)。このたび念願かなって、ようやく訪れることができた。ムーアに関心を持ったのは、子どものころに読んだ本、「ひみつの花園」と、「嵐が丘」がきっかけだ。

ムーアという言葉にはじめて出会ったのは、子どものころに読んだバーネット夫人の少年少女向け小説、「ひみつの花園」(1911年刊)だった。

インドで暮らしていた主人公の少女、メアリーは、両親をなくして孤児になる。それで、イギリス・ヨークシャー地方に住む叔父さんに引き取られるのだが、叔父さんの屋敷に向かう馬車の、窓の外の闇から、「なにかがうなるような気味の悪い音」を聞く。付き添いの家政婦さんは、このあたりはムーアといって、どこまでもつづく湿り気の多い荒野。音はその荒野を吹く風の音だと説明するが、読んだとき、暗い野原を龍のような魔物が吠えながら飛びまわる光景が頭に浮かび、子ども心に忘れがたい、強い印象を残した。

次にムーアに出会ったのは、エミリー・ブロンテの小説、「嵐が丘」(1847年刊)。こちらは男女の愛憎と復讐の物語で、同じくヨークシャー地方のムーアが舞台だ。原題は「Wuthering Heights」。 「wuthering」というのはこの地方の言葉で、風が轟々と吹き荒れるさまをあらわす形容詞。

人里離れた、寒風吹きすさぶ荒野の丘の上の一軒家、嵐が丘で、兄弟のように育った主人公のヒースクリフとキャサリン。ふたりはいっしょにムーアを走りまわって遊ぶ仲良しだが、キャサリンが嵐が丘の主人、アーンショー家のお嬢さまであるのに対し、ヒースクリフはキャサリンの父が道端で拾ってきて偏愛するジプシーの子。ふたりはやがて愛し合うようになるが、キャサリンは身分違いのヒースクリフではなく、近隣の名家、リントン家の跡取り息子と結婚してしまう。しかし、激しく、荒ぶる魂の持ち主であるヒースクリフとキャサリンの愛はそこで終わらず、両家のあいだに次々と憎しみと不幸を生んでいく…。エミリー・ブロンテの筆による、荒涼としたムーアと、そこに吹く、まるで人間の情念が乗り移ったかのようなすさまじい風の描写に心を奪われた。

ムーアって、どんなところだろう?ムーアを覆っているというヒースの花を、この目で見てみたい。うなるような、と形容される風の音を聞いてみたい……。長年、そんな願いを抱いていたところ、このたび、娘といっしょにイギリスを旅する機会を得た。絶対ムーアを見に行こうと心に決め、まず、小説の舞台となった場所を調べてみた。

 

「ひみつの花園」に関しては、花園のモデルとなったとされる場所はいくつか見つかったが、いずれもヨークシャーではなく、ムーアの近くでもなかった。

一方、「嵐が丘」は、ウエスト・ヨークシャーにあるハワースという小さな村が、嵐が丘ゆかりの地だとわかった。作者のエミリー・ブロンテをはじめ、「ジェーン・エア」を書いた姉のシャーロット、「アグネス・グレイ」を書いた妹のアンの、小説家ブロンテ三姉妹は、父が牧師を務めるこの村の牧師館で育ったそうだ。周辺には広大なムーアが広がり、その先の小高い丘の上に、小説「嵐が丘」の舞台である、アーンショー家のモデルとなったと考えられている家の廃墟があるという。

しかし、ハワースって、いったいどこ?そもそもイギリスに行くのも初めてなのに、そんな内奥の僻地までたどりつけるだろうか。車で行けば楽なのだろうが、運転は自信がないから、電車とバスと歩いて行くしかない…。

嵐が丘を訪れた先人たちのブログを読むと、嵐が丘の舞台とされている廃墟、トップ・ウィゼンズ(Top Withens。Top Withinsともいう)までは、ハワース村の中心から歩いて2時間もかかることがわかった。めったに人も通らないような場所なので、夕方から出かけるのは危険とも書いてある。「どこまでもつづく荒野」なのだから、まあ、それはそうだろう。「天候が悪そうなら行ってはダメ」と宿の人に言われたと書いている人もいた。わたしの足で行けるかな?無事に行って、帰ってこられるかな?不安が高まる…。

先人たちのブログによると、最寄りの鉄道駅はキースリー(Keighly)。キースリーからバスで15分ほどでハワース村に着く。そこから徒歩で3−4時間かけて、ムーアのなかのゆかりの地点をまわるという行程がスタンダードらしい。

見所は3か所で、一つ目は小説の舞台のモデルとなったと考えられている丘の上の廃墟、トップ・ウィゼンズ。二つ目はブロンテ姉妹がよく散歩に行き、遊んでいたといわれる、ブロンテの滝とブロンテ橋。三つ目が、ハワース村中心にある、ブロンテ一家が住んでいた牧師館。

参考にさせてもらったOnlineジャーニーというブログによると、これら3箇所の回り方はいくつかあって、ハワースのバス停から歩き始めてもいいし、廃墟のトップ・ウィゼンズに最寄りのStanburyというバス停から始めてもいいとのこと。後者のコースが歩く距離も短く、初心者にはおすすめとあったので、後者を選んだ。荒野のなかで迷う可能性もあるし、負担は少なくしておきたかったからだ。ただし終点のStanburyバス停まで行くバスは1時間に1本しかないから、それも念頭に予定を立てねばならない。(*バスの時刻表ほか、参考にしたブログやウェブサイトは文末に列挙したので、そちらをご参照ください)

ここまで調べてから、宿はヨークシャーの交通の拠点、リーズ(Leeds)という町に決めた。最寄り駅のキースリーには目ぼしいホテルがなかったし、スーツケースを持っての移動は大変なので、リーズから日帰りで行くことにしたのだ。

さて、当日。わたしたちは、朝7時33分リーズ発の普通電車に乗り、7時51分にキースリー駅に着いた。ここからバス駅まで約10分歩く。朝の通勤・通学時間帯だったが、道行く人はインド系の人が目立つ。こんな田舎でも、イギリスは人種のるつぼなんだなあと感じる。

キースリーのバス駅は想像していたより大きかった。駅には「ブロンテ・カントリー」と、この地域がブロンテ姉妹ゆかりの地であることをアピールする表示があった。バス会社の名前は「ブロンテ・バス」。

それを見て、このあたりの人はみんな「嵐が丘」がどこにあるか知っているのだろうと思い込み、バス会社の係員に、「Wuthering Heights (嵐が丘)」に行きたいんですが…」とたずねたら、首をかしげられた。「嵐が丘」を知らないようで、通じなかった。「ブロンテ・バス」なのに…。それで「Stanburyに行きたい」とバス停の名前をいうと、今度は通じた。

事前に時刻表で確認していた通り、8時25分発のB1のバスがあった。乗車券は前もって買わなくても、コンタクトレスのクレジットカードでピピッとやれば買える。便利だ。

8時50分には終点のStanbury に着いた。今度は運転手さんに、「Wuthering Heights (嵐が丘)」に行きたいんですが、どの方向に歩いて行けばいいですか?」と聞いてみた。が、またもや首をかしげられた。

不安なまま、バスを降りると、だれもいない。さて、どっちの方角に行ったものかとまわりを見渡したら、農道のような坂道が見えた。娘がグーグルマップで調べると、この方向で合っているらしかったので、とりあえず歩き始めた。すると運良く、向こうから年配のご婦人が歩いてきた。「Wuthering、 いや、Top Withens?」とたずねると、「ああ、Top Withensね」とうなずき、この先まっすぐよ、と教えてくれたので、少し安心した。

まだ9時前で、時間は十分ある。天気は悪くないどころか、晴れている。ラッキーだ。わたしと娘は元気に歩き始めた。

舗装していない、でこぼこした土の道を行く。その道以外、まわりはすべて、羊の放牧地だ。四方を見渡すと、緑の地面に無数の白い点々が見える。それが全部、羊。こんなにたくさんの羊を見るのは初めてだ。右を見ても左を見ても、羊、羊、羊。

道を歩いているのはわたしたちしかいないせいか、通るとき、羊たちがいちいち、わたしたちを見る。よそ者が来た、とでも思っているのだろうか。また、羊たちは柵の外にも出るようで、道も羊の糞だらけ。前方も見なくてはいけないが、足元にも注意しないといけない。それにしてもうつくしい風景だ。360度、水平線がひらけていて、ゆるやかな緑の丘陵で羊たちが草を食んでいる。

先人たちのブログに書かれていたとおり、木で作られた道標も見つけた。相当古ぼけて読みにくくなっているが、Howarth、Top Withens等の道案内が読める。「嵐が丘」は昔から日本のファンが多いのか、日本語で「歩道」と書かれている表示も見つけた。それを頼りに進んだが、なかには道に倒れていたり、書いてある通りに道がなかったりするときもあり、そういう場合は仕方ないので勘で進んだ。

途中で二軒ほど、大きな農場の建物があった。地図に載っていたLower Heights、 Upper Heightsと名付けられた農場だ。車が止まっているが、人の気配はない。

半時間ほど行くと、景色が変わった。放牧地がなくなり、ちょっと赤茶けた、低い潅木のような木におおわれた土地になった。よく見ると、これらの灌木には、無数の赤紫色の小さな花がついている。ヒースだ!盛りは終わり、色は褪せていたが、これが話に聞いていた、ムーアに咲くというヒースの花だ。ということは、これがムーア?

そう、これがムーアだった。もう少し進むと、色褪せた赤紫のヒースに覆われた荒野の、ゆるやかな丘陵が、壮大なカーブを描いているのが見えた。感動した。そうか、これがムーアか…。どこまでもどこまでも広がる、ヒースの野原…。お天気がいいせいか、小説に描かれていたような、凄まじい感じはしない。遠目には、色のついた砂漠のように見えなくもない。

 

ムーアのなかを1時間ぐらい歩いたろうか。ようやく、先人たちのブログの写真で見た、廃墟の前に立つ木が、遠くに小さく見えてきた。きっとあれがトップ・ウィゼンズだ。もうすぐだ、と思ったが、見えてからまだかなり歩く。ゆるやかな傾斜をいくつも超え、ようやくトップ・ウィゼンズにたどり着いた。

 

丘の頂上にあるのは、大きな木と、建物の壁だけ残った家の廃墟のみ。壁にプレートが埋められていて、次のように書いてあった。

「この農家はエミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』のアーンショー家と関連づけられてきたが、元の完全な形だったときでも、ブロンテが描写した家とは似ていない。ただ、ブロンテがムーアの丘の上という設定で物語を書いたとき、この場所が頭にあったかもしれない。たくさんの質問に答えるため、このプレートをつけた。1964年/ブロンテ・ソサエティー」

つまり、「嵐が丘」のアーンショー家のモデルとなった館が実際にあるわけではないが、この農家の建物が立地的に、小説で描かれた世界に近い、嵐が丘を彷彿とさせるもの、ということのようだ。

ヒースにおおわれた荒野にそびえる小高い丘。荒野のほかになにもないから、空が大きい。雲が常にダイナミックに動いている。晴れたり、曇ったり、空は刻々と表情を変える。幸い、滞在中はひどい雨嵐にはあわなかったが、通り雨にはあった。空が急に暗くなったかと思ったら、次の瞬間にはまた太陽が出てきて、雨に濡れた草木を照らす。天気が一日のなかでしょっちゅう変わる。

 

wutheringと形容される風に吹かれてみたい。そう思っていたが、風もおだやかな、お天気のいい日であった。それでも、森の近くを通ったときには、木々や葉っぱがざわざわと、それまで聞いたことのないような音を立てていた。北風が吹く冬、雨嵐の夜には、風はそれこそ「なにかがうなるような気味の悪い音」を立てて、ムーアを吹きすさぶのだろう。そんな日だったら、とてもこんなのんきに歩いてなどいられなかった。それどころか、吹き飛ばされていたかもしれない。まわりには身を守ってくれるような建物もなにもない。

人もいない、家もないこんな隔絶された場所で暮らせば、まわりの自然だけがつきあう相手だ。性格も、気持ちも、自然に似るかもしれない。「嵐が丘」の主人公たち、ヒースクリフとキャサリンの気性が激しいのは、こんな荒々しい自然とともに生きていたからかもしれないと思った。

 

と、ここまで道中、だれにも会わなかったが、ついてみたらなんと先客がいた。四十ぐらいの男性で、大きなリュックを地べたにおろしてくつろいでいる。あいさつをして、ちょっと会話をかわした。彼の名はダミアン。モロッコ系のイギリス人で、マンチェスターに住んでいるという。

なぜ「嵐が丘」に来たの?と聞くと、「嵐が丘って?」と聞き返された。話を聞くと、ダミアンはムーアを野宿する旅をしていて、偶然ここに出くわしたのだという。思うところあってひとり旅に出て、もう十日もムーアで野宿をつづけている。水は湧き水を濾過して飲んでいるという。

彼もムーアの風景を砂漠にたとえていた。「これは湿った砂漠だね。大昔、木を伐採しすぎて、土地がこのように荒れてしまったんだ」と。真偽は知らないが、ムーアに対して、そのような見方もあることを知った。

彼は「嵐が丘」という小説があることを知らず、わたしが日本から「嵐が丘」の場所を見に来たというと、驚いていた。題名をノートに書いて、というので、日本語と英語で「嵐が丘 Wuthering Heights」と書いてあげたら、今度、読んでみるという。

 

ダミアンと別れ、廃墟から引き返すころ、お昼近くになると、何人かハイキング姿の人たちとすれちがうようになった。あわせて十人ぐらいか。

 

わたしたちは二つ目の目的地、ブロンテの滝、ブロンテの橋を目指した。先人ブログによると、ブロンテ姉妹たちがよく散歩に来ていた場所なのだという。

そちら側に行くには、「放牧地の柵の木戸を開けて入り、放牧地を横切っていく」と、先人ブログに書いてあったが、それがどこなのかわからない。運良く、犬を連れて散歩している女性が通りかかったので聞いてみると、「あの森の下のほうだと思う。道標があるはずよ」とアバウトな答えが。それにしたがって進むと、ほんとうに道標が見えてきた。柵の木戸も見つかったので、開けて中に入る。

 

放牧地を横切るようにしてどんどん下っていくと、谷のようなところまで来た。小さな清流があり、その上に石の橋がかかっている。これがブロンテ橋らしい。その近くに、ブロンテの椅子、というのもあった。エミリーやシャーロットたちブロンテ姉妹が、この椅子にすわって小説の構想を練ったのかもしれない。そう思うと感慨深かった。また、樹木が重なるなか、目をこらして探すと、上のほうにブロンテの滝も見つかった。こちらは、気をつけて見ないと見過ごしそうな小さな滝であった。

ブロンテ橋があるのは、谷のなかの、木々に囲まれ、清らかな小川が流れる、ちょっと奥まった場所だ。ちょうど「狐の嫁入り」、つまり、雨が降っているが同時に太陽も照っているときにここに居合わせ、濡れた樹木の葉や草が日の光にきらきらと光り、ほんとうにうつくしかった。こんな静かな、きれいなところで、姉妹たちは遊んだり、想像したり、自然と交流していたのだ。

ブロンテの滝からハワースまでは雨に降られ、道はぬかるむし、羊の糞だらけで、転ばないように歩くだけで精一杯だった。が、ハワースに近づいたころ、雨がやみ、空に大きな虹がかかった。360度地平線が広がる場所なので、虹が欠けることなく、180度、全部見える。今までに見たなかで最も大きい虹で、娘とふたり、感動して見入った。

 

突然、泥道が終わり、舗装の車道が現れた。その道をしばらく歩いていくと、まもなく村にたどり着いた。牧師館の案内が出ている。どうもここがハワースらしい。

ブロンテ一家が住んでいたという牧師館は、こじんまりした古い建物だった。ブロンテ一家が住んでいた当時の様子を再現してある、とガイドブックで読み、楽しみにしていたのだが、なんと休館日で閉まっていた。がっかりしたが、しかたない。つめが甘かった。

あきらめて周囲を探検した。すぐ近くに、ブロンテ姉妹の父が牧師を務めていたというパリッシュ教会と墓地、そして、姉のシャーロットが教えていたという学校の建物があった。

訪れたのが平日、ということもあったかもしれないが、ほんとうに静かで、時が止まっているかのようだった。木々に囲まれた墓地には苔むした墓石がいくつも並び、その上に木漏れ日が静かにふりそそいでいる。いくつかの墓石に刻まれた文章を読んでみると、幼くして逝った子どもたちのお墓が多いことに気づいた。ブロンテ姉妹が生きた時代、このあたりの平均寿命は本当に短かく、25、26歳だったそうだ。エミリー・ブロンテも30歳で亡くなっている。ただ、エミリーのお墓はこの墓所にはない。末娘のアンを除くブロンテ一家のお墓は、教会の地下墓所におさめられている。

教会を出たらすぐ、ブロンテ姉妹の兄、ブランウェルが飲んだくれていたというパブ、「Black Bull(黒牛)」があり、通りに沿っていくつかのカフェやお土産屋さん、小さな宿屋などがならんでいる。わたしたちが行った日がブロンテ牧師館の休館日だったせいか、観光客は数えるほどしかおらず、閉まっている店が多かった。ただ、ムーアを歩いてみて気づいたのだが、嵐が丘とは関係なく、ハイキング目的でムーアを訪れる人もいる、いや、そのほうが多いかもしれないので、週末や夏などはこの村もそれなりににぎわうのかもしれない。

 

ハワースを訪れたのは9月末で、まだそれほど寒くもなく(とはいえ、薄手のダウンジャケットは必要だった)、お天気に恵まれたおかげで、ムーアもおだやかなうつくしさに見えた。しかし、これが冬や荒天の日であれば、印象はまったく変わっていただろう。

辺鄙な場所で、ヒースの生い茂る広大なムーア以外、なにもない。そんなさびしい場所で、姉妹はほかにつきあう相手もなく、自然や動物を遊び相手に育った。エミリーは特に内気で、生涯、友だちも恋人もいなかったという。なのに、男女の激しい愛憎と復讐についての物語を、想像力だけで書いた。そして、それが出版されることも、のちに世界の三大悲劇や、世界の十大小説のひとつと評されるようになることもつゆ知らず、たった30歳で亡くなった。

物語のなかで主人公のキャサリンは、「ヒースクリフはわたしです」と、ヒースクリフと自分は魂で結ばれているのだと叫ぶ。わたしはムーアに立ったとき、その一節を思い出して、エミリーはムーアなのだ、と感じた。

ヒースにおおわれた広大なムーアは、わたしたちが滞在した何時間かのあいだにも、太陽の傾きや風向き、雲や雨で刻々と表情を変えた。まるで情念を持っている壮大な生き物のようだ。ムーアとエミリーの命は呼応していて、ムーアがエミリーに「嵐が丘」を書かせたのではないか。そんなことを考えながら、ハワースを後にした。

ー終わりー

参考にしたサイト:

Onlineジャーニー (Top Withensへのハイキングルートと地図が記載されています)https://www.japanjournals.com/feature/holiday/15945-haworth.html

lilyさんのハワース旅行記 (アクセスが具体的に書かれていて参考になりました)https://4travel.jp/travelogue/11258833

ブロンテ・バス時刻表 (キースリーKeighleyバス駅からハワースHaworth、 スタンブリーStanburyまでの時刻表。スタンブリー行きはB1のバスで1時間に1本)https://www.transdevbus.co.uk/keighley/services/KDT/B1

ブロンテ牧師館博物館 (Bronte Personage Museum  ブロンテ一家が暮らした牧師館)https://www.bronte.org.uk/

Top Withens トップ・ウィゼンズ(「嵐が丘」のアーンショー家のモデルに近いと考えられている元農家の廃墟についての説明)https://wuthering-heights.co.uk/locations/top-withens

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ABOUT ME
湊夏子
長いイタリア暮らしを経て、帰国。日英伊の3か国語でメシの種を稼ぎ、子どもを育てているシングルマム。
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