本・作家

カズオ・イシグロ「クララとお日さま」

 

グテーレス国連事務総長が、先日、AIのリスクを管理するための国際的なルール作りが必要だと訴えました。わたしもそう思いますが、利害が異なる国家間で、具体的な同意がタイムリーに得られるでしょうか。そう言っているこの瞬間にも、この分野の技術は歯止めの効かない速さで進化しています。倫理的な議論は間に合うのでしょうか。

生成AIが世界で物議を醸しているなか、ようやく読み終えました。カズオ・イシグロの「クララとお日さま」。

主人公は高度なAIロボット、クララです。クララは「AF(人工親友)」として、家電販売店の店先で売られています。そのクララが、からだの弱いティーンエイジャーの女の子の家庭に買われていくところから、物語は始まります。

「わたしを離さないで」もそうでしたが、当作品も、人間のエゴイズムの話です。人間が科学技術を利用し、おのれの果てない欲を満たそうとする。強者が、身も蓋もなく、弱者を利用する話です。

登場人物たちはAIロボットに「親友」という大役を押し付けながらも、「機械」だと見下しています。友情も、使い捨てのコモディティーなのです。

その一方、AIロボットのクララは、人の気持ちを細かく観察し、学習するうち、人間よりよほど気高い心を育みます。そして、主人である女の子、ジョジーに、誠実に尽くすのです。

愚かな人間たちがくり広げる不毛な世界のなかで、クララの純真が光ります。

イシグロの筆致は本作でも静かです。限りなく人間に近いAIロボットが人間のパートナーとなり、人間の暮らしを支えている近未来。一見、平和でおだやかに見えるのに、荒涼が感じられる。幸せに見えない。なぜなんだろう?いったいなんの話なんだろう?

不穏な気配を感じながら読み進むうち、ストーリーが少しずつ明らかにされていきます。

舞台となる国や町がどこか、明らかにはされていませんが、カナダかな?という印象を受けました。近未来の英米文化圏?おおっぴらには語られないものの、超格差社会です。

ここでは、中流以上の家庭の子どもは、クララのような「AF=親友ロボット」を所持しています。それも、裕福な家の子は最新型を買い、そうでない家の子は型落ちでがまんです。

そして、「向上処置」なるものを受けます。向上処置を受けない子ども、親友ロボットを持っていない子どもは、見下げられ、仲間はずれにされる。

では、裕福な家庭がそれらを手にして幸福に暮らしているかというと、そうでもない。クララが買われていった家の母親は、病弱な娘が死んだら?という恐れにとらわれています。そんな事態に自分は耐えられそうにない。それが母親に、前代未聞の計画を練らせるのです。

科学技術の進化、という恩恵を、人間は手にしました。でも、われわれは弱いから、愚かだから、節度を保てない。つい乱用してしまう。

欲望にふりまわされる人間のエゴイズムが作り出す、グロテスクな現実。そのなかで、クララのひたむきな献身が胸を打ちます。優秀なAIロボットは、献身、という、並みの人間にはなかなかできない、今の世の中ではたいして評価もされなくなった、地味な、しかし最も崇高な美徳を獲得するに至ったのです。

「親友」の任務を果たすため、少女の幸せだけを考え、行動するクララ。無私の心を持つクララ。わたしのなかで、AIロボット、クララと、贖罪のため十字架を背負ったキリストの像が、ふと、重なりました。

 

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ABOUT ME
湊夏子
長いイタリア暮らしを経て、帰国。日英伊の3か国語でメシの種を稼ぎ、子どもを育てているシングルマム。