イタリアのことわざ・気になる表現

おなかで考える

 

ちょっと気がふさぐことがあって、旧知の友人のイタリア人に、「わたしの人生、なんでこうなっちゃったかなあ」とぼやいていたら、「自分で選んだんでしょう」といなされた。そうかもしれない。が、そうでもないんだなぁ。

方向性を決めたり、計画を立てたりはした。しかし、その通りに行ったことはあまりない。そのせいか、自分で選んだといえるほどの自信はまるでない。

十分恵まれていたとは思うが、それほど選択肢があったわけでもない。おぼろげな好み、試験の結果、ご縁などに導かれ、なんとなくそちらの方向に吹かれていったという感じ。イタリアに行ったのだってたまたまだ。

そういうと、彼が言った。「きみは『おなかの人(persona di pancia)』なんだね」

えっ?『おなかの人』?

「頭よりおなか、つまり、論理より直感や感情でものごとを判断する人のこと。きみは頭で選んでないかもしれないけど、おなかで考えて決めたんだ(hai ragionato con la pancia)」

おなかで決める——。ふーん、そんなふうにいうんだ。

そういえば、日本語の「腹」にも「こころ」という意味がある。「腹心」、「腹がおさまらない」、「腹に落ちる」等、「腹=こころ」という意味で使われている。イタリアでもおなじなんだな、と、おもしろく思った。

でも、ちょっと待って。わたしだって頭は使っている。

あまりよくない頭だけど、それなりに一生懸命考え、推論、計算し、計画を立てて行動している。自分は十分「頭の人」でもある。

ただ、なかなか思ったとおりにはいかない。人生には想定外がつきもので、しばしば、こちらの論理や計画を吹っ飛ばしてしまう。

また、どんなに頭を使って練り上げてみたところで、腑に落ちなければ実行できない。からだがついてこなければ、その方向には行けない。自分の場合、特に大きな決断においてそうだった。反対に、合理的に考えるとありえない道でも、これというときは、すでにからだがそちらの方向に進み出している……

そういう意味において、最後の決断はたしかに、「頭」ではなく、「おなか」でしているかもしれない。で、「おなか」つまり「こころ」は、頭とちがって、森羅万象とより自由につながっているように思うから、わたしは自分の歩みを、自らが選んできたというより、大きな力に突き動かされていったように感じるのかもしれない。

でもそれは捉え方のちがいであって、みんな多かれ少なかれ、「頭」も「おなか」も使って決めているだろう。ちがう?

そう訊くと、友だちも、「まあ、そうね。実際は、頭だけの人もいないし、おなかだけの人もいない。どちらかというと、という話」

 

さて、この「おなかで考える=直感で判断する」だが、一聴しただけでは非科学的に聞こえるが、近年の研究で、科学的な根拠があることがわかってきたそうだ。

腸は単なる消化器官ではなく、第二の脳と呼ばれるぐらい、感覚と感情を知覚できる神経組織があるそうだ。また、幸せのホルモンとして知られるセロトニンの90%は腹部で作り出されるらしい。おなかで考えるというのは、これら感覚や感情を考慮に入れた選択をするということなのだろう。

また、直感には、人生において学んできた長年の知識や、吸収してきた社会的価値がある。直感で行動するということは、それら深い知恵にゆだねるわけであって、我々の想像以上に我々を導く力がある、と。

頭、おなか、こころ……。人は刻々と変わる世界のなかで、いろんな器官をセンサーとして使い、日々、バランスを取って生きているんだな。

反対にいうと、心身の調子が悪くなると、バランスを取れなくなり、生きづらくなるということだ。つまらないことで気がふさいでしまったのは、疲れているということなのだろう。元気なときなら笑い飛ばせることを、深刻にとらえて憂いてしまう。

残暑きびしいこの季節、頭も、おなかも、いたわってあげたいですね。

 

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トリリンガル・マム
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