こんにちは!
トリリンガル・マムです。
さて、前回、イタリア人が会話でよくことわざを使う話をしました。
ことわざは、イタリア人のものの見方、生活の知恵を短い言葉で生き生きと表現しており、イタリア的なるものを理解するのに大変役立ちます。
これらのことわざが実際にどのような場面で、どのように使われているのか。
イタリアのことわざを紹介するシリーズの、今日はその二です。
Aiutati che Dio t’aiuta.
問題が起きたらじぶんで解決するようにしてみなさい。そしたらきっとおのずから解決しますよ、という意味。
「神は自らを助くものを助く」と言いますよね。それと同じ。
God helps those who help themselves、と英語にもあります。
使われ方実例
神は自らを助く者を助く
以前勤めていたイタリアの会社で、そのひと一人にだけ仕事が集中している女性社員がいました。同じ部署のほかの人間はひまそうにしているのに、そのひとにのみ過剰な量の仕事が振られているのです。
日本人なら「手伝おうか」とか、声をかけますよね?
ところがイタリア人同僚たちは案外冷たく、知らん顔で、コーヒー飲んだり、おしゃべりしたり。彼女がひとりで残業しているのを横目に、みんな定時で帰っていきます。
見かねてひとりの同僚に聞いてみました。
「彼女ひとり残業してて気の毒。なんとかならないのかな?」
「上司に相談したり、残業を断るよう、忠告したんだけどね」
「じぶんで上司に言えないのかも。ねえ、あなたが代わりに言ってあげたら?」
そしたら彼は次のように言ったのです。
「Aiutati che Dio t’aiuta. 神は自らを助く者を助く。じぶんの問題はじぶんでなんとかしなきゃ」
ふうん。けっこう冷たいんだ…
「冷たくなんかないよ。ちゃんと上司に話すように忠告したしね。でも、そこから先は彼女のチョイスだ。イヤならイヤと言わなきゃ。そうしないのは現状を受け入れてるってことだろ?」
彼女のチョイス、ねえ…
反撃しない人間はsenza palle
確かにイタリア人は、”reagire”、”反撃”しないひとに否定的です。ひどい目にあわされてただ黙って耐えているひとに同情しない。むしろ「なんで反撃しないんだ」と、イライラするようです。
日本だと、ことあるごとに声を上げていると、うるさいとか、めんどくさいヤツだと思われがち。お騒がせをよしとしない文化です。
粛々となにかに耐えている姿が讃えられたり、黙っていても見ているひとは見ていていつか大義がくだされるとか、そういう受け身な感受性が文化的にある。
でもイタリアでは、黙っていたら一生浮かび上がれません。声を上げねば、反撃せねば、senza palle(”タマなし”の意。失礼!弱虫という意味)と見下される。
冒頭の彼女も、自らアクションを起こせないでいることに、全く同情はされないのです。
神さまを味方にする一番の近道は?
Aiutati che Dio t’aiuta。神は自らを助く者を助く。
だれかが助けてくれるのを待っていないで、じぶんから積極的に、じぶんのために行動する。
イタリア人に言わせると、それが神さまの助けを得るための一番の近道だそうです。
ではまた。See you! A presto!
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