こんにちは!トリリンガル・マムです。
さて、「急がば回れ」とか、「泣き面に蜂」とか、日本では会話によくことわざが使われますよね。イタリア人も同じで、日常的に実によくことわざを使います。
イタリアのことわざはイタリア人のものの見方、生活の知恵を短い言葉で生き生きと表現していてとってもおもしろいですし、イタリア的なるものを理解するのにも大変役立ちます。
これらのことわざが実際にどのような場面で、どのように使われているのか。わたしは興味があって、長年、観察してきました。このブログでこれから少しずつご紹介していきたいと思います。
今日はまず、その一。
Cattiva erba non muore mai.
雑草は死なない。どこにでもはびこり、いくら刈っても除去しきれないことから、イヤなヤツ、悪いヤツを排除することはできないの意。「憎まれっ子世にはばかる」とほぼ同義。
使われ方実例
以前勤めていたイタリアの会社の相談窓口で、たくさんのひとが並んでいるなか、並ばない客が横入りして来ました。さらに勝手なことを言ってごねてきます。
そんなとき、日本人ならふつう、決まり、規則があることを説明し、ちゃんと並んでもらおうとしますよね。ルールを守らない客、「悪い雑草」にルールを理解させようとする。
ところがイタリア人の上司は「いいからさっさと済ませろ」っていうんです。なんで?並ばせないの?すると彼は、
「Cattiva erba non muore mai(悪い雑草は踏んでも死なない)って言うだろ?こういう輩にはいうだけムダなんだ。いいから入れて、さっさと済ませろ」
「でも、それではルールを守らない人間を増長させることになるし、ちゃんと並んでいるひとに対して不公平じゃないですか」と反論すると、
「そんな原則論は役に立たない。めんどうなことはさっさと済ますのが一番」と一蹴されました。
決まりや秩序を守る日本人からすると、どうも腑に落ちないやり方なのですが、信号にしろ、就業規則にしろ、決まりは目安にしかならないイタリアでは、めんどくさい現実には目をつむってしまうほうが早くてラク、ということなのです。
一方こちらは幼稚園のころから、集団生活のなかで決まりを守ることを骨までたたき込まてる日本人。めんどうくさいヤツには抗わずさっさと譲る、こういうイタリア流処世術は確かに現実的なのかもしれないとは思うものの、どうも受け入れがたい。そういうあなたたちの「長いものには巻かれろ」的節操のなさが、イタリアを無秩序でストレスフルな社会にしてるんじゃないかと、上司を睨んでしまう。こういう感覚は民族のDNAに刻まれたもので、意識的に変えようとしてなんとかなるものでもありませんしね。
自分とはちがう価値観、ちがう感性のひととつきあうのは、思わぬ気づき、発見が得られておもしろい一方、こちらの価値観、感性を揺すぶられたり、否定されたりするわけですから疲れますし、痛みも生じます。
多様性の共存、ということが昨今よく取り上げられますが、実際は前述の例ひとつとってみても、口で言うほど簡単なものでもなさそうです。
ではまた!See you! A presto!
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