ヴェネツィアに住んでいたころ、地元の名士を自宅にお招きする機会があった。1990年代後半のことだ。
当時ヴェネツィアのホテル協会の会長だったS氏に仕事でお世話になり、S氏が和食を食べてみたいというので、夫妻でお招きすることになった。
自分は料理が得意とはいえず、まして和食はハードルが高い。が、当時ヴェネツィアには和食のレストランはなく、お店にお連れするというオプションはなかった。
料理の本を見て何品か作り、和食器だけは揃えていたので、なんとかかたちだけはととのえることができた。
ついでに、着物も着てみた。
着物は結婚したとき、母が持たせてくれた。でも、着付けなど習ったこともなく、ひとりでは着られない。で、クロゼットにずっとしまったままだった。
こんなことでもなければ着る機会もないし……と、見よう見まねで着てみることにした。ここは外国、テキトーでもばれないだろう……。
やってきたSさん夫妻は、案の定、着物を見て歓声を上げた。柄のうつくしさ、絹の光沢を口々にほめたたえる。わ、成功かな?
奥さんのほうは初対面だ。が、応接間に案内し、食前酒のお代わりをお持ちしたころにはすっかりくつろいで、そばに来て、着物をつぶさに観察し始めた。
「不思議なドレスよね。胸はつぶしちゃってるし、ベルトは太いし……」
ベルト、ねえ。帯のことね?
今度はわたしのうしろにまわると、背中の帯のお太鼓結びをしげしげと観察し、
「どうしてこんなものをしょってるの?」
しょってる?
「しょってるって……? いや、それは『背負ってる』んじゃなくて、帯をそういうかたちに結んでいるんです」
「ふうん……」
奥さんはちょっと首をかしげ、
「ドレスというのは女性のからだを美しく際立たせるためのものよね?西洋の服はデコルテを大きく開けて胸を、ウエストをきりりと絞って腰の細さを強調する。でも、キモノはちがう。これはどういうコンセプトのものかしら?」
まるで小学生のようにまじめな顔で、ぶしつけな質問をぶつけてくる。
苦笑しつつ、考えてみた。
「えーっと、なぜかな? 日本人はあからさまなことを嫌うんです。だからかな。日本ではあからさまに曲線を見せつけたりしないのです」
奥さんはまだ首をかしげたままだ。
「ほら、着物の襟から、少しうなじがのぞきますよね?」と、わたしは自分の首のうしろを奥さんに見せた。
「日本では、こういう、ちらっと見える部分に色気を感じるようです」
奥さんはわたしのうなじをしげしげと見たが、納得していない面持ち。もう、いいや。
会長も、奥さんも、それなりの社会的レベルの人だし、日本の文化や美意識について、ある程度、知識を持っているだろうと思っていた。が、そうでもなかった。がっかりしたが、そのおかげで、着物への正直な感想を聞けたのはおもしろかった。
着物といえば、もうひとつ、忘れられない思い出がある。上述の和食ディナーから十年余の月日が流れ、離婚し、帰国した日本で。
当時働いていた会社の上司の男性は、イタリアから日本に赴任して間もなかった。が、上述の奥さんとはちがって、着物をセクシーだ、エレガントだと賛美していた。日本人女性が着物を着ると品格がぐっと上がる、みんな着物を着るべきだ、などと力説する。
「だけど……」
上司が突然、顔をしかめた。
「だけど、なんですか?」
彼は苦虫でも噛みつぶしたような顔をし、
「あの、白いソックス。あれはいただけないねえ」
「白いソックス……? 足袋のことですか?」
「そう、それ。着物はあんなにすばらしいのに、なぜ白いソックスなんか履くかねえ。あれではまったく興ざめだ」
「あら、そうですか? きれいじゃないですか。着物には白足袋って決まってます」
彼はさらに顔をしかめ、
「いやいや、あんな小学生のソックスみたいなもの履かれたらげんなりだ。しかも、あの履物。なに? 草履っていうの? あんなべたっとした靴じゃ、せっかくの着物が台無しだ。男はね、きれいにペディキュアした足、華奢なハイヒールサンダルにぐっと来るんだ。なぜ着物にハイヒールサンダルを履かないかなあ、残念だなあ…」
めちゃくちゃ言っている。
まあ、なにをうつくしいと思うか、なにに色気を感じるか、個人差もそうだが、文化のちがいは大きい。イタリアの女優さんなどは、これでもか、これでもかと胸を強調し、露出の高いドレスを着る。芸能界だけじゃない、ニュースキャスターや政治家も堂々と胸の谷間を見せている。無難な服を着ているNHKのアナウンサーとは大ちがいだ。
世界中でファストファッションが席巻し、どこの国でも似たようなものを着ている今日でも、胸開き、スリットの深さには、その国のテイストが反映されている。日本ではイタリアほど大胆なカットのものは売っていない。
そんなことを考えていて、久しぶりに、九鬼周造の「いきの構造」をひもといた。
本書は、東京・芝に生まれ育ち、ドイツやパリで哲学を学んだのち、京都帝国大学教授として京都に移り住んだ著者が、日本民族独自の美意識である「いき(粋)」の構造を、フランスの「シック」など西洋のそれと比較考察しながら解明した本。
「いき」のような日本固有の概念を、西洋哲学の手法で分析した本はめずらしいとされており、初版が昭和五年に岩波文庫から出版されたのち、新版も何冊か刊行され、長く読みつづけられている。日本文化論の傑作とされ、英語版も出ている。
そういえば昔、フィレンツェからヴェネツィアに行く電車で、本書を読んでいる外国人男性を見かけたことがあったっけ。二等の席が取れなくて、しかたなく一等の車両に乗ったときだった。
コンパートメントのなかで向き合った外国人男性が、なんと「The Structure of “Iki”(いきの構造)」を読んでいる。びっくりして、イタリア人かとたずねたら、アルゼンチン出身の留学生だといっていた。
あまり読みやすい本ではない。「いき」という、日本人ならおなじみの概念を、わざわざ内包的・外延的構造から分析したり。渋み、野暮、上品といった美意識を六面体に図解化したり——。読むのが面倒な部分もある。
しかし、これを読むと、なぜ日本人が着物の襟足からのぞくうなじ、裾から一瞬かいま見える足肌といった部分に色気を感じるのかが論理的にわかる。われわれ日本人が無意識に感じていることを、著者は文化的土壌、歴史、宗教的側面から解き明かす。
自分はヴェネツィアのホテル協会会長夫人に、「日本人はあからさまなのを好まない」と説明したが、その理由までは示せなかった。九鬼はそこの部分を本書で徹底的に解説している。
九鬼によると、「媚態」、「意気地」、「あきらめ」の三つが、「いき」という現象を生み出す主な契機だという。
以下、引用する。
「いき」は武士道の理想主義と仏教の非現実性とに対して不離の内的関係に立っている。運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向って悩ましい憧憬を懐く民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしむることはできない。
つまり、「いき」とは、垢抜けしていて、誇り高く距離を保つ色っぽさ、ということのようだ。
九鬼はまた、本書を次のように締めくくっている。
「いき」の核心的意味は、その構造がわが民族存在の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解とを得たのである。
難解だ。「いき」は、日本民族の歴史、生きてきた体験について知らないとわからないという意味か?であれば、冒頭で紹介したイタリア人のホテル協会会長夫人や元上司が、なぜ着物や白足袋の色っぽさが理解できなかったかがよくわかる。彼らはそれらを色っぽいと感じる日本人の、民族的文化的歴史的土壌を知らないのだから——。
九鬼によると、言葉というものにはその国の文化と歴史、民族の意識が刻まれている。「森」という言葉ひとつとって見ても、それが想起させるものは、日本で、ドイツで、フランスでちがってくる。「いき」という言葉を、それに似た「シック」といった言葉で便宜上、置き換えたりはしても、それぞれが指すことが完全に重なることはない、と。
この指摘には膝を打ってしまった。やっぱりそうかと。
イタリア人をはじめ、外国人と働いていると、ロスト・イン・トランスレーションはしょっちゅうである。その感性、考え方のちがいから、ひんぱんに齟齬が生じる。おたがいのちがいをおもしろいと思えるときもあるが、受け入れられないこともしばしば。正直、絶対に理解しあえないと感じることのほうが多い。(まあ、人は理解しなければいっしょにいられないというものでもない。)
話は変わるが、九鬼周造は、その出自からしてドラマチックな人であった。
九鬼周造の父、隆一は、近代日本の最初の文部官僚で、最初の駐米特命全権公使。フェノロサや岡倉天心の美術研究の後援をおこなった。母、波津子は祇園出身。
父の隆一はアメリカ赴任中に身ごもった妻が日本で出産できるよう、当時部下だった岡倉天心に妻の付き添いを託し、横浜行きの船に乗せた。が、妻と岡倉は長い船旅のあいだに恋仲になってしまう——。
それが原因で夫婦は別居。のちに天心との関係が公となって事件になり、離婚。波津子は事件がきっかけとなって精神に破綻をきたし、亡くなっている。
岡倉天心は、ご存知、近代日本における美術史学研究の開拓者であり、思想家。茶の湯を通して日本特有の美意識、世界観を英語で紹介した「茶の本 The Book of Tea 」で有名だ。(明治39年にニューヨークの出版社から刊行)
九鬼周造はそんな父、母、岡倉天心とのスキャンダルの渦中で生まれた。岡倉天心に父を感じつつ、不在の母への恋慕の念を生涯持ち続けた。その生い立ちからして、日本とヨーロッパの美について考察することが運命のような星の下に生まれた人なのである。
最後に、後日談を。
足袋を小学生の白いソックスと呼び、散々こきおろしていたイタリア人の元上司。その後、茶道をやっている女性と知り合い、恋に落ちた。以降、考えが変わったようだ。彼女が歩くとき、着物と、白い足袋のあいだの足首がかすかにのぞく。それにぐっと来るようになったと、うれしそうに打ち明けてくれた。
なるほどね……。恋の魔法は文化的ちがいをなぎ倒し、個人の嗜好をくつがえすほどの威力があるんだなぁ。
田舎の出身で、どちらかというと無骨なタイプの彼が、白足袋に美を見出すようになった。その変化に感心したものだ。
その後、勤め先が変わって、彼とは疎遠になってしまった。だから、ふたりがどうなったかは知らない。今もいっしょにいるのか。それとも、魔法が解け、彼はもとのハイヒールサンダル派にもどったか……。
だとしても、一度は異界に入り、未知の美を発見した。そんなことはだれにでも起きることではない。
彼がそれを僥倖と今も思っているかどうかは、わからないけれども——。
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