イスラエルとパレスチナの戦争が始まって、もう一年。爆撃やガザの惨状、両国の人々の苦しむ姿を報道で目にしない日はない、どうしようもない非力感とかなしみのなかで、イエール、あなたの面影を思い出す。そして、あなたの無事を祈ってる。
今もテルアビブに住んでいるのかしら? 無事かしら? この事態をどう受け止めているのだろう。どうか無事でいてほしい……。
あなたはわたしより数ヶ月遅れて、アメリカ、ミシガン州の、田舎の小さな高校にやってきた。そう、あなたも交換留学生だった。
わたしのホストファミリーのおとうさんは「今度来る女の子は英語が上手だと思うよ、イスラエル人だから」と言った。
なぜイスラエル人だと英語がうまいんだろう……?
当時の自分はほんとうにものを知らなかった。アメリカとイスラエルが緊密な関係にあること、その民族的歴史からコスモポリタンな人が多いということも……。
わたしなんかアメリカに来て3ヶ月はろくに話せなかった。東洋人がひとりもいない田舎町で物珍しそうにじろじろ見られたり、「slanted eyes 吊り目」ってからかわれても言い返せなかった。なのにイスラエルから来る子は最初から英語が上手だという。
比べられるとみじめ……。会ったこともないあなたに焼きもちを焼いた。
最初の日、先生に連れられて教室に入ってきたあなたは、黒い髪に小さくととのった顔、とても小柄なのにすでにおとなの風格があった。顔にはゆるやかなほほえみを浮かべ、物腰も口のききかたも落ち着いている。ホストファーザーの予想通り、とても流暢な英語であいさつをした。
それを見て、おなじ交換留学生でフィンランドから来ていた男の子、ジャリが、「あんなに英語が話せるなら、留学なんかしなくたっていいじゃん」と、ボソッと言った。ジャリもわたしと同じで英語があまり話せず、苦労していた口だった。わたしもうんうんうなずいた。
そんなふうに心せまくあなたのことをそねんでいたのに、イエール、あなたはハローって、親しげに声をかけてくれたね。それでわたしも、なにか言わなくちゃとドギマギして、どうして留学に来たの?と聞いてみた。
「どうしてって……。なんというか、見聞を広めるためよ。アメリカはどんな国なのか見たかったから」
「ふうん、なるほど……」
「あなたは、きよこはどうして来たの?」
「うーん、同じかな」
ほんとうはそんな、見聞を広めるなんてとこまで行ってなかった。日本の高校で勉強に身が入らず、そんな自分を持て余していただけだ。
英語が上手なあなたと比べられるとイヤ、なんて怖れてたけど、結局、そんなことにはならなかった。あなたとわたしではあまりにちがうせいか、おなじ留学生でもいっしょにされることはなかった。
それにあなたとは結局、そんなにひんぱんに顔をあわせる機会もなかった。わたしにはわたしの、あなたにはあなたのホストファミリーがあって、学校の行き帰りもそれぞれの車で送ってもらっている。
だけど、学校でばったり会うと、どう?って感じで、どちらからとなく話をした。さすがにわたしも3ヶ月も経つと英語に慣れ、友だちもできてきた。でも、留学生としての悩みごとを話せるのは、おなじ留学生のジャリとあなただけだ。
とはいえ、ジャリは男の子で無口、話しにくかったから、たまにあなたに会うと、ことばが堰を切ったようにあふれ出た。
ホストファミリーにはとてもだいじにしてもらってるけど、やっぱりなんとなく肩身がせまい。たいして年のちがわないホストシスターたちにえらそうにされるとカチンと来る。電車がないからひとりで動けず、常にだれかに頼らねばならないのが憂鬱。よその国にいて、ことばも母国語のように使いこなせないから、対等にわたりあえなくて歯がゆい——。
あなたはそんなわたしの愚痴に、だまって耳を傾けてくれたけれど、最後にポツンと言った。
「わたしたちなんて、ずっと自分の国がなかったよ」
わたしははっとして、あなたの顔を見た。そうだ、あなたはユダヤ人だった……。
「大丈夫。きよこは留学生として選ばれてきてるんだから、堂々といればいい。堂々と頼ればいい」
あなたはそう言って、わかった?と確認するように、わたしの目をやさしくのぞきこんだ。
自分の知らない世界から来て、知らないものを背負っている人がいる——それが強く印象に残ったできごとだった。
また、ある日、あなたと廊下で立ち話をしていたときのこと。いつものニキビ面の男の子が近づいてきて、「吊り目~」と言って、人差し指で両目を吊り上げ、わたしの顔を見てにやにやした。
入学したときからやられているので、もはやわたしは気にしていなかった。またやっている、ぐらいに思って無視していたのに、あなたが反応した。
「Leave her alone. 彼女にかまうのはやめなさい」
そんな反撃を受けるとは思わなかったのか、ニキビ面は一瞬ひるんだ。が、すぐにあなたをにらみ、
「このユダヤのーー」
あなたはそれをさえぎって、強く、はっきりとくりかえした。
「ほっといてあげてね。Please」
あなたはニッコリと、しかし毅然とほほえんだ。ニキビ面はちょっとうろたえ、チッと舌打ちをして去って行った。
わたしはあなたに、「いいのに。気にしてないのに」と言った。
「だからといって、好き勝手言わせておいていいわけじゃないわ」
痛いところを突かれた。やられっぱなしで言い返せないでいた自分の弱さを突かれたと思った。
「……。あいつ、なにを言いかけたんだろう?」
「さあ。なにかしらね」
あいつは最後まで言えなかった。あなたがその風格で口封じしてしまったから……。
自分もふくめ、総じて子どもっぽい級友たちのなかで、あなたは別格の雰囲気を発していた。あなたの存在はいつも気にかかっていた。だからもっと積極的に近づけばよかったのに、なんとなく気後れして、自分から距離を縮めることはしなかった。
そして別れの日はあっというまにやってきた。短期のプログラムでやってきたあなたは、わたしより早く帰るのだ。
最後の日、わたしのクラスまであいさつに来てくれたあなたは、
「そういえば、聞きそこねてた。日本語でハローって、どういうの?」
「こんにちは、だよ」
「コン、ニ、チ、ワ?」
「そう。こんにちは」
「コン、ニチワ」
わたしたちは顔を見合わせ、ほほえんだ。
「じゃあ、イスラエルの言葉では、ヘブライ語ではなんていうの?」
「シャローム」と、あなたは言った。
例のごとくRとLの聞き分けに苦労しているわたしは、「ロ」の音をRで発音し、あなたに正された。「ちがう、RじゃなくてL。Shalom」。
今度はLを意識して発音する。「Shalom」
あなたはほほえんで、「そう、シャローム」とうなずいた。
別れるときになって、こんにちは、なんて……。人生ってほんとうに順番通りに行かないものね。
日本に帰ったら一年下のクラスに編入された。元の学年の同級生たちはすでに受験モードで忙しそう。ちょっとさびしかったけれど、新しい学年の級友たちが温かく迎えてくれ、日本での学校生活がスムーズに再開できた。と、思っていた矢先……。
靴箱の中に手紙を見つけた。変に思って首をかしげながら開けてみると、白い紙にただひとこと、「アメリカに行ったからっていばるな」とあった。いばる?わたしが?
青天の霹靂で愕然とした。級友たちとの笑い、おどけに彩られた日常が、突然色を失ったように感じた。
いばるなんて、つゆほども身におぼえがない。外国で一年苦労して、それまで気づかなかった日本のよさが身に沁みてわかった。日本の高校のことも、級友たちのことも、前よりずっと大事に誇らしく思えるようになったのに……。
たいしたことではないと思った。もはやこんなことで傷つくような自分ではないと。でも、この件は意外に根深く、あとになってボディーブローのように効いてきた。
こんなふうに思われるちゃうんだ……。アメリカで吊り目って言われたときより、むしろショックは大きかった。なんかいやだなぁ。もう日本じゃなくて、アメリカの大学に行こうかなぁ……。そんな考えも頭をよぎった。受験に向けて勉強しなければならないのに、また勉強に身が入らない。
そんなときに、イエール、あなたからの手紙が届いた。写真を見てびっくり。あなたはカーキ色の軍服を着て、よく知らないけれど、駐屯地?みたいなところでほほえんでいる。
おどろいて手紙を読むと、これから兵役なのだと書いてあった。イスラエルでは女も男も18になったら兵役に就くのだと。
あなたの軍服姿を見たら、つまらないことでもやもやしている自分が情けなくなった。小さい。ほんとに、なんて小さいんだろう。こんな平和な国に住んでいて、自分次第でなんだってできるのに、被害妄想におちいっている場合ではない……。
アメリカから帰った直後はこのように、何度か手紙を交わしたこともあったけど、時とともにいつのまにか途絶えてしまった。大学、就職、結婚、子育てと、あわただしい日々に取り込まれ、あなたのことを思い出すひまもなかった。あなたもきっとそうだったんでしょうね。あなたからの便りもなかったから……。
一度だけ、イタリアに住んでいたとき、二十年ぶりにあなたと連絡がついたことがあった。あなたは今もテルアビブに住んでいて、数学の先生になり、ふたりの息子がいるという。
わたしがイタリアに住んでいるというとおどろいて、近くなったね、この距離だといつか会えるね、と、再会を約束しあった。なのに、わたしは離婚で、また遠い日本に帰ることになってしまった。
それからは生活再建に必死で、もうあなたのことを思い出すひまもなかった。たまになにかの折に一瞬、あなたの顔が浮かぶことはあったけど、追いかけることはしなかった。帰国のドサクサのなか、アドレス帳をなくし、パソコンも変わって、メールアドレスもわからなくなってしまっていた。
皮肉なことに、このたびの戦争があなたのことを再び思い出す契機となった。
朝に夕にくり返される、パレスチナとイスラエルの戦況の報道——空爆、戦車、銃弾戦。泣き叫びながら戦火を逃れる人の群れ、瓦礫の下じきになった身内を血眼で探す人、家をなくし地べたに寝そべる疲れ切った家族、難民キャンプで配給を待つ長い行列、家族を人質にとられ、泣いて解放を訴える人たち——。
親愛なるイエール、こんなことになるなんて……。あなたは無事なの? SNSで探してみたけど、あなたらしい人は見つからなかった。
あなたが無事でありますように。あなたのご家族も無事でありますように。同時に、この戦争についてあなたがどう思っているのか聞いてみたい。ネタニエフはハマスに対して「怪物を根絶やしにする」といっているけど、ガザではこの一年で4万人以上もの民間人が殺されている。
豊かに繁栄しているあなたの国とちがって、壁ひとつで隔てられたとなりのガザでは、人や物資の移動が制限され、人々が貧困と失業にあえいでいる。戦争が始まってからは街は破壊、病院まで爆破された。水や食料が不足し、劣悪となった衛生状態のなかで、とっくの昔に撲滅されたはずのポリオのような病気さえ発生している。それはあなたの目にどのように映っているのかしら。
イスラエルだって爆撃を受け、死者が出、人質が解放されていないのは知ってる。両国のあいだには長い複雑な歴史があり、それに世界の覇権争いがからまり、争いの根が果てしなく深いことも……。でもこのままだと、ガザはほんとうに根絶やしにされてしまう。
十代のころからあんなに賢く、思慮があったあなた。いじめっ子からわたしを守り、親切にしてくれたあなた。わたしにはあなたが、なにに対しても正しい対応の仕方を知っているように見えた。そんなあなたは今、この事態について、どんな思いでいるのかしら……。
親愛なるイエール、日々、戦争の報道を目にするたびに、あなたの面影がよぎる。短いふれあいではあったけれど、あなたはわたしにあざやかな印象を残した。黒い髪、小さなととのった顔。小柄なのに大きく見える、少女のものとも思えない風格……。
親愛なるイエール、遠く離れた空の下から、あなたの無事を祈っている。もしいつか会える日が来るのなら、今度こそは出会いのときに、シャロームと言いたい。
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UnsplashのCole Keisterが撮影した写真, Thank you!