異文化コミュニケーション

日本の次世代がグローバル社会で生き抜くために必要なこと

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日本人が欧米人との交渉で不利な理由

なぜ日本人は欧米人との交渉で損をするのか?長年、アメリカ人、イタリア人たちと仕事をしてきた経験から、わたしにはそれが日本人の権利意識の低さに起因するように思われる。

日本では子どものころからまわりに迷惑をかけないようにとやたら責任感ばかり刷り込まれるが、自分の権利についてはあまり教えてもらえない。一方、欧米は協調性より個人主義の社会だから、欧米人は自分の権利を主張するのに迷いがない。すると交渉は、権利の主張に不慣れな日本人に、どうしても不利になってしまう。

権利の主張がデフォルトの欧米人。権利の主張に不慣れな日本人。

わたし個人もそれでさんざん苦労してきた。アメリカとイタリアの会社で長年働いてきて、欧米人同僚と仕事の配分、どっちの休暇を優先させるかなどで毎回揉めるのだが、わたしも含め、日本人の同僚は貧乏くじを引かされることが多い。ひかえめで責任感が強いゆえ、日本人は相手に配慮してしまうが、欧米人は自分の権利を主張するのにブレがない。それで日本人は欧米人においしいところを取られがちなのだ。

何度もくやしい思いを重ねるうち、わたしもある程度は自分の権利を主張できるようになったが、そもそものデフォルトの違いは大きい。文化と教育の刷り込みは個人の力で矯正できるようなものではない。生まれた時から権利を主張慣れしている人たちにはなかなか勝てない。

外交でも権利の主張ができず、不利益を被っている日本

個人レベルのことは国家レベルでも起きている。一例を挙げよう。

長年住んでいたイタリアはきわめて郵便事情の悪いところで、郵便物の遅延は日常茶飯事(クリスマスに日本から送られたエアメールが3ヶ月に届いたり)だし、荷物が紛失することもしばしばだ。個人でイタリアの郵便局に抗議しても埒があかない。

そこで在伊日本人たちは、日本政府からイタリア政府に改善を申し入れてもらうため、イタリア郵便の被害を訴えるホームページを立ち上げた。日々アップされる数々の苦情。しかしわたしたちが日本政府から得た答えは「イタリア政府に重ねて申し入れましたが回答が得られませんでした」のみ。これでは子どものお使いだ。

権利意識が薄く、相手のいいように利用されてしまう例は、日本とアメリカの関係にも明らかだ。アメリカから使えない武器を買わされたり、基地をめぐる折衝で不公平な条件を飲まされ続けたり……。

日本の次世代の権利教育が喫緊。

海外とのビジネス、移民の流入等、世界のグローバス化は止まらない。日本の謙譲精神は奥ゆかしく、うつくしいが、外国人と利害を争う場面では圧倒的に不利だ。わたしは長年それで不利益を被ってきたが(わたし自身の非力もあるが)、これから社会に出る次世代の日本の若者たちに同じ思いをさせたくない。

そのためには子どものころから権利について教え、権利意識を高めることが喫緊だ。それも概念だけではだめで、その具体的な行使方法まで教えるべきだと思う。漠然とだけれども、小学校と中学校で、市民教育のような科目のなかで、権利について教えることはできないだろうか?

う〜ん、むずかしいんだろうな。権利への意識がおとな社会でよほど高まっていない限り、そんな授業が初等教育で行われるようにはならないだろう。権利という概念は、日本人にはまだもひとつなじみが薄い…。

しかし今日では、留学したり、外国人とビジネスをする日本人も著しく増えたから、わたしのようなくやしい経験をしたひとも少なからずいるのではないか。少しずつでも日本人の権利意識が高まり、外国人との折衝で有利に運べるようになるといいなと思う。

英語学習を通して堂々と主張する方法を学ぼう。

小学校での権利教育の授業の実現はむずかしいかもしれないが、すでに小学校教育に取り込まれている英語教育のなかで、権利意識を高めることはできないだろうか。

たとえば、ひとは英語を学ぶとき、必然的に英語的考え方を学ぶ。

あなたも中学校で英語を習ったとき、教わりませんでしたか?人に何かプレゼントするとき、日本では「つまらないものですが」というが、アメリカでは「これはすばらしいものだから君にあげる」。感謝するときは「すみません」とは言わず、「ありがとう」というと。

そう、英語ではへりくだらないのだ。最初にそれを習った大昔、目の前にまったく新しい世界が開けたと感じた。そうなんだ!英語では堂々と主張していいんだ!と……。

英語を教える際、教える側がそういう視座を持って導けば、生徒たちに自然なかたちで、英語では堂々と主張していい、いや、主張すべきなのだということを教授できるだろう。先に挙げたのはすごく初歩的な例だけど、TOEICの試験などには権利を主張する場面はたくさん出題されている。

外国語の学習はとかくコミュニケーションツールとしての表層的な面のみ着目されがちだが、言葉というのはそんなに浅いものではない。ひとつの単語には民族の歴史、文化、特徴が詰まっている。小学校の英語教育で、そんなことまで伝えられたらいいなと思う。

湊夏子

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ABOUT ME
湊夏子
長いイタリア暮らしを経て、帰国。日英伊の3か国語でメシの種を稼ぎ、子どもを育てているシングルマム。
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