本・作家

岸恵子さん、異文化に生きる気概と孤独

 

岸恵子さんが亡くなった。さびしい。悲しい。その華やかな存在と自由な精神で、長い間、わたしたちを照らしてくれた。もうこの世にいらっしゃらない。そう思うとがっくり来た。意識していなかったが、これまで岸さんのご本や生き方からたくさんのことを受け取ってきたのだとあらためて痛感した。

類い稀なる美貌というのは、岸さんのためにあるような言葉ではなかろうか。日本ではみんなが憧れる銀幕の大スターだったのに、その地位をあっさり捨て、イブ・シャンピ監督といっしょになるためフランスに渡った。まだ戦後十二年しか経っていない、海外渡航の困難な時代にである。

わたしが最初に岸さんの存在を知ったのは小学校高学年のころだったと思う。新聞やテレビでそのうつくしさ、稀有な生き方を知り、子ども心にも憧れた。親よりも上の世代の人なのに、自由に日本とフランスを行き来して生きている。それにおどろき、感銘を受けた。それで興味をもって、岸さんのエッセイを読むようになった。

最初に読んだのは『巴里の空はあかね雲』だった。パリでの生活や離婚のいきさつ、シャンピ監督の急死に至るまで、女優、女性、母として生きる心情、日仏ふたつの異質な社会に身を置いて生きる葛藤が書かれていて夢中になって読んだ。

なぜか印象に残っているのが、岸さんが田舎の別荘で野うさぎの肉をぶった切って炒めると書かれていたくだりだ。なぜそこ?と突っ込まれそうだが、当時の自分はそれにすごく異文化を感じたのだった。


巴里の空はあかね雲 (新潮文庫 き 6-2)

離婚後、一度は日本への帰国を希望したそうだ。が、娘さんが日本国籍を取得できず、彼女が成人するまでフランスにとどまることを決意する。以降、六十過ぎになるまでパリを拠点として日仏で活躍した。政治的関心も高かった岸さんは、俳優業だけでなく、ジャーナリズムの世界にも足を踏み入れて行った。それを、『砂の界へ』、『ベラルーシの林檎』といったエッセイで知った。


ベラルーシの林檎 (朝日文芸文庫 き 12-1)

大スターなのになぜそんな危険な地域にわざわざ足を伸ばすのか。その原点には自身の戦争体験があるようだ。十二歳のとき横浜で空襲を受け、子どもは防空壕に入れといわれて入った。が、すぐに直感的にここは危ないと思い、飛び出して助かったという。一方、防空壕に入った人たちは亡くなった。岸さんはこの日、「今日で子どもはやめよう」と決意したそうだ。

岸さんが小さいころなりたかったのは「物語をつくるひと」だった。若い女優だったときから自分が出る役は自分で決めたいとプロダクション作りを計画していたという逸話からも、その片鱗がうかがえる。四十歳以降はエッセイを数々発表し、そののちは小説も書いた。

2013年の「わりなき恋」はベストセラーになった。69歳の女性の恋を性愛まで含めて描いて話題を呼んだ。が、書くことになった動機が「憤り」だったというのはあまり知られていないのではないか。少なくともわたしは知らなかった。

岸さんは介護施設のドキュメンタリーで映されていた高齢者の映像にショックを受け、この小説を書くことを決めたのだという。以下、スポーツ報知のインタビュー記事を引用する。

「生きているとは思えないような顔が大写しにされて、ひ孫みたいに若い介護の方が赤ちゃん言葉であやしている。この方の身内に、キャメラの前に立ちはだかって『やめて』という人はいないんだろうか」

まったくもって同感だ。わたしもこの手の報道の仕方には虫唾が走る。孫でもないのに「おばあちゃん」と呼んだり、赤ちゃん言葉を使ったり、聞くに耐えない。

岸さんはこのような高齢者の扱いに憤りを感じ、「年を取って、輝くまではいられなくても、人生の夕暮れ時にパーッと虹が立つような話があるといいと思って」この小説を書いたのだそうだ。そしてそれは大成功した。思わず快哉をあげたくなるような、胸のすく話ではないか。


わりなき恋

この気概は生来のものなのだろうが、フランス暮らしの影響も大きいと思う。高齢になっても個人は個人。「おばあちゃん」ではなく「マダムXX」と呼ばれる。年をとっても個人の尊厳が——たとえ形式だけでも——守られる。日本もそうあってほしいと思う。

そういうことはさておいても、「わりなき恋」はいい小説だった。岸恵子じゃないと書けない、岸恵子じゃないと説得力を持たない小説ということもあるが、文章もうつくしかった。

岸さんの文章には彼女が異文化のはざまで何度も味わったであろう深い葛藤を想起させる、独特の、肉体的と称してもいいほどリアルな表現がある。たとえばわたしは『孤独という道連れ』という本の以下の文章にとても惹かれた。

「ひとつの国の言葉にはその国の長きにわたって培われたエスプリや、可笑しみや、毒や華が複雑にくぐもり、宿っている。雨風の匂いや、土の匂い、空気に潜むその国独特の気配のようなもの……それはそこに生まれ育った者のみが嗅ぎとることのできる、言霊のようなものかもしれない。フランス語のそれはわたしの娘が持ち、母親であるわたしが持ち得ないものなのだ。

だからわたしたち母娘は心底わかりあってはいない。その手の届かない苛だたしい分野に、お互いの深い思惑や願望やらが入り込み、誤解かもしれない摩訶不思議な了解が愛情になって溶け込むのだ」


孤独という道づれ (幻冬舎文庫)

 

これを読んで身につまされた。わたしはイタリアに長年暮らしたあと、娘を連れて帰国したのだが、その娘の言語の問題に悩んだ。最初はイタリア語も日本語も同様に使えていたのが、日本での暮らしが長くなるにつれイタリア語は忘れていった。別れた夫には絶対イタリア語を忘れさせないと約束したのに、守れなかった。義父が送ってくれたイタリア語の百科事典を使えるようにしてあげたかったが、できなかった。言語というのは環境の力が大きくて、その環境をつくれないとどうしてもキープすることができない。

幸い、六歳までの記憶とその後のイタリアの家族との行き来で最低限はキープできた。大学に入ってからはイタリア語講座も受講した。だからいちおうわかるし、話せるのだが、こみいった話はむずかしい。

岸さんの文章を読んで思った。岸さんがいくらフランス語が堪能でも、自分の母国語である日本語で娘さんと話せなかったのはさびしかっただろう。わたしは同じ思いをイタリアの別れた夫、義理の両親にさせてしまったのだ。つらく、申し訳ない思いが残る。

ちょっと話が逸れてしまったが、そんなことからも、ヨーロッパ暮らしの大先輩として岸さんを尊敬していた。異文化のなかで外国語を使って生きることの孤独を、見事に自分の言葉で表現されていて見事だと思った。

高齢になってからも背筋を伸ばし、華やかな笑顔で、ハイヒールで歩いた。遠くから見ているだけでもその存在に触発され、励まされていたことを、失ってあらためて知った。

大輪のバラのような人。最後まで気骨を見せてくれた人。岸恵子さん、ありがとう。どうか安らかにお眠りください。

 

 

★最後までありがとうございました。ブログランキングに参加しています。よかったら応援クリックしていただけるとうれしいです。
にほんブログ村 外国語ブログ イタリア語へ
にほんブログ村

ABOUT ME
トリリンガル・マム
初著書「ヴェネツィアの家族」が書店・Amazonで発売中。詳しくは『プロフィール』をクリック
こちらの記事もおすすめ!