ひまわりの苗をもらった。六センチぐらいの苗が三本、ペットボトルを切って作った鉢に植わっている。日本での赴任をもうじき終え、今度はアフリカに赴任するという同僚がくれた。
「持ち帰ったら鉢に植え替えてね。大きな花が咲くよ」
気もちはうれしいが、育てられるだろうか。ひよひよとか細い苗を見て心配になった。ちょっとした風にも折れそうだ。
自転車で持って帰るというわたしのために、同僚はまたペットボトルで今度は風よけのカバーを作り、かぶせてくれた。「はい、これで道中大丈夫」と。
にもかかわらず、一本はすぐに折れた。カバーに守られ、まだ風にあたってもいないのに。ベランダに置き、カバーをはずして様子を見ると、数日してまた一本折れている。がっかりだ。ひまわりって強い草のイメージがあったのに、こんなに弱いものなのか。めんどくさくなって植え替えもせず、そのまま放っておいた。
それから一週間、二週間たったころ、気づくとベランダに緑の草が伸びている。
ひまわり、一本だけ生き残ったひまわりだ。
なんの世話もしてないのに、これだけは生き残った。ひよひよの苗だったものは直径七ミリぐらいの茎になり、多少風が吹いてももう折れることはなさそうだ
なんにも特別扱いしていないのに一本だけ生き残ったひまわり。この差を作るのはなんだろう?
昔、イタリアで大きく報じられたニュースをふと思い出した。
もう三十年も前のことだ。フィアット一族の御曹司が新婚そこそこで病気で亡くなるということがあった。フィアットの富をもってしてもその死をとどめられなかったのかと、人々は神妙な顔でうわさした。
一方、アフリカからボロボロの船でイタリアをめざす難民たちがいた。海上で見つかったら連れ戻される、もうこれまでと観念した親が赤子を抱いて荒海に身を投げた。親は命を落としたが、赤子は救助され、生き残ったという。
死ぬ運命ならどんなに手を尽くしても死ぬし、生きる運命なら死のうとしても死ねない。
ひまわりの苗を見ていて、そんなことを思い出した。そして、ヴェネツィアで交流のあった、ある日本人女性のことを……。
知り合ったころ、彼女はまだ二十代半ばだった。わたしもヴェネツィアに住み始めてまだ二、三年のころだ。
夫と近所の運河沿いの道を歩いていると、もうかなり年配の、白髪頭の男性に声をかけられた。男性は夫に親しげな笑顔を向け、
「以前、あなたのおとうさんの会社で働いていた者です」と声をかけた。義父は昔、ヴェネツィアで船会社を経営していた。
「そのあとアメリカに渡り、あっちで長年働いていたんですが、このたび定年になって帰ってきました」
そしてわたしに視線を移し、またニコッとほほえむと、
「奥さん、日本の方なんですね。ぼくの妻も日本人なんです。よろしくお願いします」
そう言って握手の手を差し出した。そのうしろで、まるで迷子のようにきょとんとしている。それが彼女だった。
それからときどき彼らを見かけた。ヴェネツィアのような小さな町だと、買い物や用事に出るたびに知り合いに会う。
だんなさんは明るい気さくな人で、知り合いが通ると声をかけたり、笑顔で挨拶したりしている。一方、彼女はその背中に隠れるようにして、なんというか、狐につままれたような顔をしている。そのコントラストが印象に残った。
近所ということもあり、ばったり顔を合わすことが重なると、いつしか言葉をかわすようになった。彼女はぽつり、ぽつりと、自分のことを話し始めた。
「父にはすごく可愛がられた。でもその父が高校生のときに亡くなって、そのあと、もともと折り合いのよくなかった母とぎくしゃくするようになったの」
なんとなく居心地が悪くなり、母にすすめられるままアメリカ東部に留学する。でもアメリカでも居場所がないと感じていたところ、だんなさんと知り合い、結婚した。まもなくだんなさんが定年になり、だんなさんの故郷のヴェネツィアに二人して帰ってきたのだそうだ。
すごく年上のだんなさんのどんな点に惹かれていっしょになったのか、突然ヴェネツィアに住むことになったのをどう思っているのか、その淡々とした口ぶりからはわからない。
話を聞いていて、風に乗って運ばれる草花の種を思った。
その後もときどき顔を合わせると立ち話などした。あるときは建築事務所で仕事を見つけたと話してくれ、またあるときは子作りを考えていると聞いたこともある。話はいつも断片的で、たまにしか会わないのでそれらの話がどう発展したかわからずじまいだった。が、彼女なりにこの地で自分の道を探そうと模索していることは伝わってきた。
ある夏、道端で立ち話をしていたら夕立がやってきて、彼女の家で雨宿りをさせてもらったことがある。
階段をのぼり、彼女が扉を開けると、木目調の家具でととのえられた、居心地のよさそうなリビングがあった。中央に置かれたテーブルに、ひまわりが数本、いけてある。それも飾り用の小ぶりのものではなく、畑に生えているような大きなひまわりだ。
それまでヴェネツィアでひまわりなど見かけたことはなかった。潟のなかにあり土地の限られたヴェネツィアでは、庭のあるような家は少ないからか。
「わあ、ひまわりだ。珍しいね。どうしたの?」
彼女はふっと頰をゆるませ、「もらったの。夫の親戚が本土に住んでいて、庭にいっぱい咲かせてるんだって。昨日、それをもらってきてくれたの」
「そうなんだ。ひまわり、久しぶりに見たよ。きれいだね」
「うん、大好き。いちばん好きな花かも」
それはちょっと意外だった。彼女は楚々とした容姿で、トルコ桔梗やくちなしのようなひっそりした花が似合うような人なのに、この、花というよりは野菜のような、大地の匂いのする花が好きだとは。
頬を少し紅潮させ、まぶしそうにひまわりに見入っている彼女。その顔の大きさぐらいある黄色い花。その組み合わせの妙が印象的で今も記憶に残っている。
わたしが日本に帰ってからは、彼女とはそれっきりになった。もともと親しいというほどではなかったし、東京での新しい生活に忙殺されていてそれどころではなかった。ただ、ふしぎな雰囲気の人だったせいか、残業中や、深夜の帰り道など、思いも寄らぬ瞬間に彼女の面影が頭をよぎることがあり、自分でもおどろいた。
どうしてるだろう——?
彼女のたたずまいにわたしはいつも、一抹のあやうさのようなものを感じていた。が、若いときってだれもそんなところがある。自分だってそうだった。彼女も今では年を重ね、自分と折り合いをつけておだやかに暮らしているだろう。
そんなふうに思っていたのに、最近、彼女の消息を知り絶句した。何年か前に自ら命を絶って亡くなったという。
くわしいことはわからないが、なにかに悩み、苦しんでいたらしい。まわりの日本人の知り合いたちが助けようとしたが、彼女は聞く耳を持たず、まともな話ができなかったという。
そんなある日、だんなさんが帰宅すると彼女は息絶えていた——。
聞いたとき、胸のなかに風がひとすじ、すっと吹き抜けていった。そうか、あの人はもういないのか……。
若かったころの、なんとなく生きづらそうだった彼女を思い出した。いたましい気持ちでいっぱいになる。いや、でもそんなふうに思うのは僭越かもしれない。彼女は生きられるだけ生きたのだ。きっと彼女の精一杯を生きたのだ……。
小さくため息をつき、ベランダに目をやると、一本だけ生き残ったひまわりの苗が目に入った。三十センチぐらいに伸び、茎も太くなったものの、まだまだひよっこだ。数枚しかない葉っぱが強い風に揺さぶられている。
無事に育つだろうか……。
わからない。風から守ってあげるぐらいのことはできるけど、あとはこの子の運命だ。
風に揺さぶられたり、雨を浴びたり、蝶々や虫を呼び寄せたりしながら、生きられるところまで生きるんだろう。
さて、と。水をやらなきゃ。
ジョーロに水を入れてベランダに行く。あれ? 茎の先端の部分が少しふくらんでいるようだ。真上からよく見てみると、直径一センチほどの花のつぼみができている。超ミニチュアだが、ひまわりの、あの特徴的な花の萼のかたちが見てとれる。
いつのまにかこんなに育っている……。
思わず顔がほころんだ。さっきまでなるようにしかならないと半分投げていたのに、つぼみを見たら俄然、花が咲くのを見たくなった。なんだか元気が湧いてきた。げんきんなものだ。
お願い、生きてね。ひまわりにつぶやき、いつもよりていねいに水をやる。
夏の青空の下、ベランダに大きな黄色い花が咲く。そんな情景を想像しながら、無事に花が咲いたら写真を撮って、アフリカの同僚に報告しようと思った。
〜終わり〜
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UnsplashのKaralyn Arnettが撮影した写真, Thank you!
