10月からの入国制限緩和でイタリア人もようやくビザなしで日本に来られるようになった。さっそく来てくれた友人たちと街をぶらぶらし、なんとはなしに入った本屋でひとりがつぶやいた。「日本の女の子がみんな同じ顔に見えるのは、こういうのがあるからなんだ」
彼女が手にしているのは女性向けのファッション雑誌。ほかのふたりもページをのぞきこみ、なるほど〜と妙に納得。ひとりはいみじくも「いい女ロボット養成マニュアル」、そう称した。
いわれてみれば確かに、モテ顔の作り方、シチュエーション別コーディネートといった写真と図解入り解説の徹底した細かさは、イタリアの雑誌にはないものだ。
だとしても、「いい女ロボット養成マニュアル」なんていわれ方をして、ちょっと心外。もっときれいになれるというなら進んで試してみよう。いいアイディアがあるというなら取り入れよう。少しでも向上の余地があるのなら、と、努力しているだけじゃないか。
でもその結果、日本の女性−特に女の子−がみんな同じに見えてしまうのも事実だ。日本にいると気がつかないけど、あらゆる民族や文化の混ざりあうイタリアのような国で見ると、ほんとうにみんな、型で押して作ったロボットみたいに見えてしまう。せっかく個性的なおしゃれをめざして一生懸命、勉強したにもかかわらず。
わたしたち、無意識のうちに、お仕着せのいい女像にとらわれてしまっているのかな。ボディーはスリムでなければとか、顔は小さくなければとか、いけてる女というのはどこかよその場所にいて、自分は「勉強」してそこにたどり着かねばならない。そのようにいつのまにか、洗脳されてしまっているのかも。
そういえば、日本に駐在しているイタリア人の女友達、パトリツィアがいっていた。
「わたしは日本の同僚の男性に嫌われている。日本人の女の子たちみたいに化粧もしないし、電話に出るときも声をワントーンあげたりしないから」
マイペースな彼女の態度が傲慢とうつるのか。それとも恐怖を与えるのか。イタリアでは彼女はモテるひとだったのだけど。
少しでも改善の余地があれば見逃さない日本人の向上意欲は、世界に誇ってよい資質だ。しかし、万事においてそれだと疲れる。
もっときれいになれるはず。もっと素敵になれるはず。その「もっと」が、わたしたち自身を追い込む、諸刃の刃となってはいないだろうか?
完全になんかならなくっていい。いや、自分はこのままで完全なんだからこれでいいのだと、ある程度開きなおって自分を受け入れてやることも必要だ。お仕着せの刷りこみというのは強力なものだから、その呪縛から自由になるのは決してラクなことではないけれど。
わたし自身はそんな年齢でもなくなり、そんな呪縛から解放されてほっとしている。と、思いきや。
また別の呪縛が待っていた。今度はアンチエイジング😱。これはまた切実な問題だ。なんとかしたいのは山々だけど、お金をかけられないとなると、やれることはしれている。そうはいっても開き直れないで、いまさらUVケアに励んでみたり、保湿パックをしてみたり。なんのかのいってもがんばっちゃうのは、やっぱり、日本人のDNAなのかなぁ。
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Patricio GonzálezによるPixabayからの画像 (カバー写真)Thank you!