人間関係でイヤな思いをし、しばらく食事も喉を通らないぐらいショックを受けた。
もうなにもかもイヤ。なんにもしたくないし誰にも会いたくない——。
なんとか外面はつくろい、仕事もこなしたが、しばらくしつこい怒りにさいなまれつづけた。
生きてれば理不尽な目にも遭う。いやそれどころか理不尽なことばかりが人生だ。そんなことは百も承知のはずなのに、どうしても水に流せない。心のなかで怒りは反芻され、十倍にも百倍にもなって自分自身をさいなむ。そんなかたくなな自分の性格を呪いつつ、どうすることもできない。
こういうとき、若かったころは闇雲にあがいてまわりまで巻き込んだ。いい年してさすがにもうそんなことはできないが、外に発散できない分、怒りは沈滞し、一層心を苦しめる。
しかたない、嵐が過ぎ去るのを待つしかない……。
なんにもする気になれないので早々と床に入る。ふて寝ってやつだ。こんなとき、ふつうは寝られないのだろうが、さいわいよく寝れる体質。闇のなかで目をつぶれば意識がなくなる。眠りは天からのマナ。眠っているあいだは苦しみから解放される。
夜中に目が覚めると怒りもまた目覚めるが、そんなときはまた目を閉じる。息をひそめ、寝床のなかでまるくなって身を守る。なんとか怒りを追いやろうとする。
でも起きたらまた怒りがそこにいる。胃のあたりが固くなり、石のようだ。
コーヒーの味がわからない。いつも聞いているクラシックのピアノ曲をかけ、その音色にわずかになぐさめられる。
出勤の支度をして出かける。心そこにないまま、なんとか仕事をこなす。同僚たちがとなりで談笑しているのが遠い映画の場面のように映る。
なんにも身が入らないのでなんにもできない。意識をなくしたいので帰宅したらすぐに寝る。眠れなくても寝る。すべてをシャットアウトして闇のなかに閉じこもる。
しばらくそんな感じで死んだように過ごしたが、ある日帰宅したら、散らかった部屋が目に入った。脱ぎ散らかした服、あちこちに散らばった本、散らかったキッチン、埃のたまった棚、観葉植物は水やりをしてないせいで土が乾いてしまっている。
それを見てびっくりした。これはなに? いつもはきれいに整理整頓されている自分の家と思えない——。
ようやくスイッチが入って、片付け始めた。服をたたみ、本を棚に戻し、キッチンを磨いた。洗濯機をまわし、埃をはたき、掃除機をかけ……。洗濯物を干すころに、頭のなかの風通しがちょっとだけよくなった感覚があった。
そしておなかが空いたのに気づいた。ここしばらくちゃんと食べていない。
買い物も行ってないので冷蔵庫はがらがらだったが、冷凍していたお魚があった。それを解凍して焼き、ごはんを炊いてお味噌汁を作って食べた。久々においしいと思った。
日常茶飯事、という言葉がある。お茶を飲んだり、ごはんを食べたり、日々のありふれたこと、という意味だ。
ふだんは日常茶飯事なんて気にかけない。シングルマザーで忙しかった自分は、家事はしてもやっつけだった。家事さえなきゃもっと時間を有効に使えるのに、もっと大事なことに使えるのにといつも苛立っていた。
怒りに心がとらわれているあいだ、家事はできなかった。日常茶飯事は失われていた。それで時間が有効に使えたかというと、なにもできなかった。時間は失われただけだ。
一方、その日、散らかった家を見て家事を始めたら、手を動かし、からだを動かしているあいだ、少しだけど怒りが遠のいた。重かった頭が軽くなり、風通しがよくなったような。胃のしこりがほどけ、おなかがすいた。ごはんを食べ終わるころには、これで前に進めるかもしれないというかすかな希望が淡く湧いた。
お茶を飲み、ごはんを食べるという日常茶飯事。それについてまわる掃除洗濯、調理、後片付けといった家事。頭でっかちな自分はこれらを当たり前のこととして軽視していた。が、そうではなかった。自分の気持ちにとらわれ、ほかのことが見えなくなっていたのを、服をハンガーにかけようね、お皿を洗わなきゃいけないよと、視線をほかに逸らしてくれた。家を片付け、ごはんを作っているうち、心は怒りや苦しさから離れ、家事の行為に移っていった。
神経質で何事にも思い入れの強い自分は、わかってほしいとか、こうあってほしいという思いが激しく、自業自得だけどおだやかな人生が送れなかった。これからも先が思いやられる。つらいがしかたない。自分は自分でしかない。どうしようもできない。
ひとつだけ、忘れないようにしよう。とりあえずはそこにやるべき家事がある。どんなに気持ちが乱れても、そこに戻ればなんとかなるかもしれない。
〜終わり〜
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UnsplashのDan Goldが撮影した写真, Thank you!
