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心神喪失になるほど疲れているのに、夫に家事を頼めない
「どうして家事と子育ては女の仕事なんでしょうね…」
そう言って深いため息をついたのは、同僚の、30代半ばの女性。2才の子どもを育てながらフルタイムで働いているワーママ。
ダンナさんは家事や育児をやれないのかたずねると、
「仕事で帰りが遅いんで・・・わたしがやるしかないんです」
けなげに言ったものの、目から涙がこぼれ落ちた。
「だ、大丈夫?」
「疲れました。子どもはかわいいけど、疲れた。もう死にたい」
「えっ、ちょっ、ちょっと待って」
突然泣き出した彼女の肩を抱き、近くの椅子に座らせる。細い肩を震わせて泣いている。
死にたいなんて、これはもう単なる疲労ではなく、心身喪失状態。
「ぜんぶ自分で抱え込んでしまったら倒れてしまう。ここはダンナさんに話して、早く帰れるようにしてもらえないのかな?シッターさんをお願いするとか、家事代行を頼んだりはできないのかしら?」
「夫のほうはどうしても早く帰れないらしいんです・・・シッターさん頼むのはお金もかかるし、子どものことを他人に任せるのはちょっと…」
「そうかな?シッターさんはうちの子のとき何人もお願いしたけど、みんなちゃんとした人たちだったよ。よく会っていい人を選べばすごく助かると思うよ」
「・・・そうかもしれませんね」
そう言って彼女は涙を拭いたが、表情に明るさは戻らなかった。夫の帰宅時間を早めることも期待できないし、子どもを他人の手に託すことへの抵抗感も拭い去れないのであろう。
「あ、お迎え行かなきゃ」
保育園のお迎えの時間のようで、あわただしく席を立った彼女。どんなに疲れていても子育ては待ってくれない。
長時間労働、伝統的価値観、権利意識の薄さ……日本の女をしばる数々の刷り込み
「男女共同参画社会」や「女性が輝く社会」などの社会政策が作られても、男女の家事負担の差はなかなかうまらない。
OECDの近年のデータによると、日本の男性が家事や育児といった無報酬の仕事に費やす時間は40.8分で、OECD国で最低だ(次に低い国は韓国の49時間。OECD平均は136分)。
https://stats.oecd.org/index.aspx?queryid=54757
先のわたしの同僚もそうだが、もっと強く夫に家事育児の負担を迫っていいはずなのに、そうしないで自分で引き受けてしまう人がまだまだ日本には多いのはなぜなのか。
まずガンなのが長時間労働。夫が早く家に帰って家事育児をしたいと思っても、それを許さない企業風土やインフラの問題。そして社会インフラや法律等の不整備の問題もあろう。
しかし、その他にも日本の女をしばっているものがある。伝統的・社会的刷り込みと権利意識の薄さである。
男の子には小さいときから「家事・育児は自分コト」と認識させたい
「男は外で稼ぎ、女は家を守るもの」
「生徒会長になるのは男で、女は副会長」
そのような、前世紀的な、儒教的な価値観の刷り込みが残ったまま、共稼ぎ家庭が増えた。
男も女も外で働くのは同じなのに、まるで女の側の仕事は副次的なものかのように、家事や育児、介護が押し付けられてくる。同僚のような、がんばり屋さんのまじめな女性ほど、ぜんぶ自分で抱え込んでしまい、自分を追い詰めてしまう。
わたしも元夫が丸投げの人だった。赤ちゃんが泣いたらあやすとか、食事の後片付けやそうじなど彼にもやらせようとしたが、自分の仕事と認識していない相手にそれをやらせるのは至難の技だった。
これからは、男の子には小さい時から「家事、育児は自分コト」と認識させていきたいものだ。他でもないわが子のために…
メディアが発信する「カッコいい女」像。サブリミナルに刷り込みされて…
また、テレビや雑誌、広告などのマスメディアが放つ女性像に刷り込みされる、というのもある。
それもひと昔前なら、「良妻賢母」か「キャリアウーマン」など、ひとつの役割ぐらいしか振られてなかったのが、今では「いいママ」で、「魅力的な妻」で、「できる職業人」で、「女としてイケてる」ことまで求められて…。
女が活躍の場を広げたのはいいけれど、その結果、やることも増えた。一部の恵まれた立場にいる女性は外部の助けも借り、マルチに活躍もできるだろう。しかし、そんな人はごくわずかだ。
頭ではそうわかっていても、メディアの発するサブリミナル効果は侮れない。無意識のうちに自分もそうあらなければと、自分で自分にプレッシャーをかけていたりする。
自分個人の生き方に自信が持てればいいのだろうが、なんといっても同調圧力の強いお国柄。「人は人、わたしはわたし」と胸を張るのも簡単ではない。
学校教育で積極的に権利意識を育ててほしい
また、日本に特徴的なもうひとつの刷り込みとして、会社や制度などに申し立てをしても仕方ないという、非力感の刷り込みがあると思う。
たとえば父親が育児のために定時に退社したいとする。ごくふつうの人間的なニーズであり、権利であるはずなのに、それさえ切り出せない企業風土が日本には根強い。
そもそも日本の学校では義務に関してはしつこく教えられるが、権利に関してはあまり教えてくれない。
外国人と仕事で関わり合いを持つわたしなんかは、権利意識の高い外国人にしょっちゅう言い負かされていて、悔しいったらない。
義務同様、権利も守られるべきものであることをもっと口酸っぱく小さいときから教えてくれていればよかったのにと、恨み節のひとつも言いたくなる。
次世代の男女格差をなくすため、今、親ができること
わたし自身、たくさんの刷り込みをされてきて、家事や育児を押し付けられ、長時間労働にもなかなかNOと言えなかった。本当にくやしい。今回、若い同僚の涙を見て、もうこんなことはいい加減終わりにしたいと心から思う。
そのためにはどうしたらいいのか。
社会の価値観は一朝一夕には変わらない。
とはいえ地球全体のプラスティックゴミの問題も、例えばレジ袋を使わないという、消費者ひとりひとりの決心から始まるのであれば…。
ひとりひとりの親が、わがコトとして、わが子に男女平等の意識を刷り込んでいけば、次世代の女の子たちが家事・育児の過重負担に泣くこともなくせるのではないか。
結果、女性の力や才能がより発揮されることになり、子どもの虐待を減らすことにもつながる。
親が、男の子にも、女の子にも、平等に家事をやらせる。兄弟がいれば育児を手伝わせる。
特に男の子には家事の大切さを教え、女の子には男の子の副次的な存在とならないことの大切さを頭に叩き込む。男の子だから、女の子だからという刷り込みをしないよう親が注意するだけでも、かなり違ってくるのではないか。
小中学からの市民教育で、デモや請願の仕方を具体的に教えて!
日本人は男女ともに権利意識を高める必要があると先ほど述べた。しかし、権利をしかるべく主張できるためには、小さいときからの啓蒙と訓練が必要だ。教わったことがないことを、突然、大人になってやるのはむずかしい。
北欧などでは市民教育がさかんで、中学生にもなればデモや請願の仕方を教えたり、シミュレーションするなどして、権利を主張する民主的な方法を具体的に教えるそうだ。
「あなた自身の社会 - スウェーデンの中学教科書」出版社:新評論 (1997/5/1))。
グローバル化が進み、日本でも外国人が増えた。海外に移住する日本人も増えている。
異文化の人とつきあう際には特に、自分の権利をはっきり主張できないと不利益をこうむる。日本の次世代を不利な立場に立たせたくはない。
悲しいことに世界は格差でいっぱいだが、せめて家庭内ぐらいは平等であってほしい。夫が妻の時間や労力を不当に奪うようなことがない世の中になってほしいと切に願う。
ではまた。See you! A presto!