英語

発音記号と初恋の卵

 

先日、高校の還暦同窓会があって帰阪した。久しぶりの再会にドキドキしながら会場に入ると、百四十名近い元同級生たちの大半が、すでに集まっている。笑ったり、しゃべったり、にぎやかだ。

十五年前の同窓会で一度再会を果たした人たちもいたが、卒業以来、実に四十年ぶりという人も多かった。

みんな立派に生き抜いてきたんやなあ……。なつかしい面々を見て、誇らしい気持ちでいっぱいになる。同じ中学や塾出身の子たちもいて、中学時代の話にも花が咲いた。

同窓生たちと話すときは、大阪弁。ふるさとの言葉、母国語だ。

母国語って、なんて甘いんだろう……。その晩は、おとなになってから使うようになった標準語も、努力して獲得していった英語も、イタリア語も忘れ、久々に大阪弁の響きにあやされた。そのほんわかとやわらかい抑揚、あたたかさにつつまれて、それまでずっと忘れていた人のことを、ふと、思い出した。

 

中村先生——。中学生のとき通っていた英語塾の先生だ。ご自宅で、十人ほどの生徒に教えてらした。親近感を感じさせるタイプではない。思春期の子ども相手でも手加減しない、威厳のあるマダムだった。

大きなテーブルのある、応接間のような部屋。そこが教室で、お香を焚いているのか、ティーンエイジャーには理解不可能な渋い香りが、いつも室内にただよっている。

時間になると、先生はドアを開けて入ってこられる。静かに着席すると、早速、授業が始まった。生徒とおしゃべりしたりはしない、あまり笑顔を見せることもない、クールな人だった。

なんでそこに通うことになったのか。母にたずねても、もうおぼえていないという。場所もうろおぼえで、よくわからない。

何度か車で送っていったという父にだいたいの場所を教えてもらい、翌日、ふと思い立って、そのあたりをたずねてみた。

 

桜並木の川沿いにある住宅街。先生のお宅は、川沿いの道から一本中に入った道にあった。前には大きな公園があったはず……。

父に教えてもらったとおりに行くと、公園が見つかった。先生の家は、川沿いの道と、公園のあいだにあったはずだ。中村姓の表札を探した。が、どうしても見つからない。この辺のはずなのに……。

周辺を何度もぐるぐるし、もうあきらめようと思ったそのとき、庭先で花の手入れをしている、七十代ぐらいの上品な奥さま風の女性の姿が目に入った。勇気を出して、聞いてみることにした。

「すみません、このあたりに、中村先生という、英語を教えてらした先生のお宅があったはずなのですが……」

「中村先生?」

女性はちょっと驚いて、わたしの顔を見た。

「中村先生やったら、そこ、すぐそこにずっと住んではったわ」

女性は斜め向かいの、四角い茶色の建物を指差した。なにかのセンターのような建物で、個人の住宅のようには見えない。

女性はちょっと気の毒そうな目でわたしを見ると、やさしく、ためらいがちに、

「長いことそこにひとりで住んではったけど……かなり前に亡くなりはりました。家も持ち主が変わってしもたようです……」

「!」

わたしは絶句したまま、あろうことか、泣き出してしまった。知らない人の前で。いい年をして。いったい、どうしちゃったのか。自分でもびっくりするほどこみあげてくるものがあって、おさえられない。

先生は当時すでに六十歳ぐらいだった。もうご存命ではないだろうと想像はしていた。わかっていたはずなのに、なんなんだ。なぜ自分は、知らない女性の前で、身も世もなく泣いているのか——。

女性はそんなわたしを見て、なぐさめるように、

「先生のこと、そんなふうに思ってくれてはったんやねぇ」と、同情するように言ってくれた。

わたしは泣きながら首を横にふった。本当は、今までずっと忘れていたのだ。女性はさらに、感慨深そうに、

「今はご活躍されているんやろうねえ」とやさしくつづけた。

わたしはまた首を横にふり、

「いえ……。でも、先生にはよく教えていただきました」

 

話しているうちに、発音記号を思い出した。発音記号、今も教えるのだろうか。

発音記号とは、言語の発音を体系的に表記するために作られた記号のことで、これを知っていると英語の発音が認識できる。ひいては、リーディングやスピーキング能力の向上につながる。

たとえば、「cat /kæt/」の「æ」はアとエの中間、口を思い切り横に引いて出す音を表す。「three /θriː/」の「θ」は、舌を上の歯と下の歯ではさみ、その間から息を出す。「dish /dɪʃ/」の「ʃ」は唇を丸くして突き出し、息だけで「シュ」と発音する音を表している。これらの記号をおぼえれば、その単語を聞いたことがなくてもある程度想像でき、再生できるのだ。

先生にはこれら発音記号を徹底的に教え込まれた。

特に上述の「cat /kæt/」。「æ」の音を先生がまじめな顔で、口裂け女みたいに口を思いっきり横に引いて発音してみせるので、わたしたちはおかしくてくすくす笑った。先生はそんなガキどもの反応にはおかまいなしに、「Repeat after me」と、つづいて発音するよう促す。わたしたちは恥ずかしくて、少ししか口を横に引けない。先生はにこりともせず、「cat /kæt/」と繰り返し、わたしたちに復唱させるのであった。

発音記号はとても役に立った。電子辞書も、インターネットもなかったあの時代、初めて見る英語の単語をどう読めばいいのか、皆目、想像もつかない。それを発音記号が道しるべとなり、助けてくれた。

高校のとき、アメリカに留学したときも。東京の、英語ネイティブの人ばかりが行く大学に進学し、ついていくのに困ったときも、発音記号にはおおいに助けられた。今でも英語の単語を見ると、発音記号が目に浮かぶ。

なのに、わたしと来たら、先生にその後、一度もご挨拶に行かなかった。中学を卒業して、それっきりだ。

 

やさしくしてくれた女性にお礼を述べ、別れてから、かつて先生の家があった場所、今は四角い建物が立っている場所の前で、しばらくたたずんだ。

小さく書かれた表札を見ると、そこは今、デイサービスセンターになっているようだ。窓から室内をのぞくと、高齢者の人たちが集まって、なにか活動をしている。

先生はもう、いらっしゃらない。長い年月、不義理をしてしまった。もうお礼を言うこともかなわない——。

悔やみながら、悲しい気持ちで、前の公園を歩いた。

 

公園は記憶より広く、背の高い樹木がならんでいる。左手にはジャングルジムやブランコ、砂場などがあり、たくさんの子どもたちが駆け回って遊んでいる。

それを見ていて、この公園の街灯の下で、昔、ほのかな恋心を抱いていた男の子と会ったのを思い出した。それも、夜だ。

どうやってそこで会うことになったのか。塾帰りという時間帯を利用して、うまく親の目をごまかしたのか。それもおぼえていないし、なにを話したのかも思い出せない。たぶん、好きな音楽とか、ラジオ番組とか、そんな他愛もないことをちょっと話した、その程度のことだったんだろう。

でも、四十五年も前、自分はたしかにそこにいた。小さな町の公園の片隅という、そんななんでもない場所から、意識し出した異性の存在を通して、夜というマジカルな時間のなかで、その向こうに複雑で大きな世界の存在がある、その気配を感じとっていた。

発音記号もそうだ。一見、わけのわからない変な記号。それに従い、口を横にアエーって開いたり、舌を歯で挟んで息を出すなど、きっかいなことをさせられ、恥ずかしがって抵抗した。でもそれは、知らない世界を知っていくための、そのドアの暗号を解くための、解読コードだったのだ。

 

卒塾して以来、音沙汰なしだった恩知らずの生徒を、先生はどう思っていらしただろう。公園で話した男の子は、その後、どんな人生を送ったのか。自分はいつのまにか、こんな遠くまで来てしまった……。

そこに立っていると、当時の気持ちがあざやかによみがえり、まるで生きているかのように再び息づきはじめた。

胸がはずむ。胸が痛む。人を好きになることの喜びと怖れ。未知の世界への期待と不安。揺れて震えるみずみずしい心……。

まさに今、それを生きているかのように鮮明に感じられるのに、実際は、その日々は遠い昔に過ぎ去ってしまっている——。

 

また、こみあげてくるものがあった。もういいや、思い切り泣いてやれと、公園の真ん中で突っ立ったまましゃくりあげていると、子どもたちがふしぎそうに一瞥し、走り去っていった。まるで変な生き物にでも遭遇したかのように——。

そうよね。きみたちには、白髪まじりのおばさんにそんな心があるなんて、想像もできないよね……。

子どもたちの視線を浴び、正気に戻ったわたしは、手で乱暴に涙をぬぐった。そしてゆっくり、もと来た道を引き返した。

 

 

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ABOUT ME
トリリンガル・マム
長いイタリア暮らしを経て、帰国。日英伊の3か国語でメシの種を稼ぎ、子どもを育てているシングルマム。