イタリアのことわざ・気になる表現

甘美な怠惰 イタリアの夏休み

 

このところ、街で、電車で、親子連れの姿をよく見かける。と思ったら、夏休み、なんですね。今の子は夏休み、なにをするのだろう。やっぱり、プールや恐竜展に行ったりするのだろうか。

夏休みといえば、イタリア人の夫と、日本人の自分が、いかにちがう世界に生きてきたか、最初に実感したのは、子ども時代の夏休みの話をしたときだった。

イタリアの学校の休みが三ヶ月もあると聞いておどろいた。夫はそのうち半分は海、残りの半分は山の家で過ごしていたという。

今では変わったかもしれないが、わたしがイタリアで暮らしていた二、三十年前までは、休暇が長いからか、海や山に別荘というか、いなかの家を持っている人が多かった。そうじゃなくても休暇用のコテージやキャンプ場がたくさんあって、ゆっくり自然に親しんで過ごせる。夏にはそれこそ民族大移動で、みんなこぞって海に、山に、出かける。

それにしても三ヶ月は長い。「毎日、なにするの?」と夫にきくと、

「なにって、別になんにも……。泳いだり、昼寝したり。山では山歩きとか」

「三ヶ月も?」

「そう」

「退屈しないの?」

「別に。おんなじように来ている友だちがいるからいっしょに遊べるし……」

毎年行くから、夏だけ冬だけ顔を合わせる、リゾート地の幼なじみがいるらしい。

「おとなはどうしてるの?おとなも休むの?」

「母はいっしょに来てた。子どもたちの面倒を見なきゃいけないし。父は週末や、途中で二週間ぐらい来たりしてたかな」

 

夫の夏休みの話をきいていて、自分のそれを思い出した。

日本の小学校の夏休みは一ヶ月半。父はお盆に何日か休むだけで、それでも海に連れていってくれたが、せいぜい二泊三日か三泊四日。そんな短い旅行でもすごく楽しみで、前夜は弟とふたり、興奮して眠れなかったのをおぼえている。

一方で、夫はまるまる三ヶ月も、海に、山に、遊んでいたのだ!

うらやましい、というより、たかが三日の旅行をそんなにも楽しみにしていた小さいころの自分が、ちょっとかわいそうになった。

残りの日だって、毎朝ラジオ体操に行ったり、朝顔の観察をしたり、高学年になると中学受験のために毎日塾に通った。

そんな話をしたら夫はあきれ、「それじゃ休みじゃないじゃないか」

「休みどころか、『必勝』なんて書いたハチマキをさせられて勉強してたんだよ」というと、「まったく、きみたち日本人は!」と笑い出した。

わたしはそんな夫を横目でにらみ、勤勉な小学生だった自分をちょっと哀れんだ。

 

休みは英語でヴァケーション、イタリア語でヴァカンツァ。ラテン語のVACANSに語源があり、空いていること、なにも予定がないことを意味する。ふだんの仕事や勉強、用事から自らを解き放つための時間で、イタリアではそれは必須栄養素のようにとらえられている。

ふんだんにある自由時間。とりたてて娯楽施設などはない、素のままの海や山。そんな場所で、泳いだり、散歩したり、昼寝したりしてのんびり休む。頭もからだも空っぽにして、英気を養うのだ。

 

郷にいれば郷に従えで、ヴェネツィアに住んでいたころは、わたしも夏は海や山で過ごした。さすがに三ヶ月も休んだりはしないが、一ヶ月ぐらいは休んだかな。しかし、それまで予定を詰め込む生活だったので、最初はなにをしていいかわからなかった。

海に行ったら積極的に泳いだり、ウォータースポーツをやるのかと思いきや、ビーチパラソルの下で寝そべっている人がほとんど。なにかするといっても、たまに本や雑誌のページをめくったり、起きてひと泳ぎ、顔見知りとおしゃべりやトランプをする程度だ。

山に行っても同じ。森をあてもなく散策したり。草地を歩く牛をながめたり。アトラクションとか、特別なアクティビティーというものがなにもない。

「娯楽がないね」と夫に言ったら、首をかしげられた。「娯楽? 自然のなかにいるんだから、のんびりすればいいじゃないか」と。

そんなわけで、貧乏性のわたしは最初は退屈で困っていたのだが、人間の順応力というのはすごい。そのうち、日がな海辺で寝ているようになった。それまでの人生における詰め込み、疲れに、まるでかたきを討つかのように——

な~んにもしないで、ビーチパラソルの下でただ寝そべる。たまに目を上げて、海を見る。海の向こうには水平線が広がり、その上には青い空。白い雲がゆっくり、ゆっくり、目を凝らしていないとわからないほどの速度で流れていく。ふたたび目を閉じると、おだやかな波音が聞こえる。それを子守唄に、また寝入ってしまうのであった。

山でもそう。木陰に寝そべって日がな本を読んだり。草笛をつくって吹いてみたり。

Dolce far niente  とイタリアの慣用句にあるように、なんにもしない甘美な怠惰に身をまかせた。

思い返せば贅沢な時間だった。帰国後のハードな生活に耐えられたのは、あのころの溜めがあったからではないか。

 

さて、子ども時代の夏休みに話を戻すと、夫が子ども・ティーンエイジャーだった70年代、80年代とちがって、現代ではイタリアでも、もうそんなにのんびりはしていないようだ。わたしが子どもを育てていた2000年代初頭でも、すでに共働きがふつうだった。一ヶ月ぐらいは休暇がとれても、さすがに三ヶ月はカバーできない。子どもをいったいどこに預ければいいのか、親はみんな頭をかかえていた。

おじいちゃん、おばあちゃんに海や山に連れていってもらったり、シッターさんに面倒を見てもらったり、centri estiviという、夏期の学童施設のようなところに入れる家庭も多い。

また、おとなのヴァカンツァの過ごし方も変わった。毎年同じ海や山の家に行くのではなく、ちがう場所に行く。海外に行く人も多い。夫が子どものころから通っていたプレアルプスの山にある小さなリゾート地は、今では閑散としてしまったそうだ。

さて、こちらはというと、猛暑の東京で夏も働いている。海の山のと贅沢は言わないから、早く休みたい……

 

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UnsplashEdoardo Bustiが撮影した写真, Thank you!

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トリリンガル・マム
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