こんにちは!トリリンガル・マムです。
こないだ、結婚してアメリカに移り住んだ元職場の後輩に赤ちゃんができ、トリリンガル・マムさんはイタリアでどうやってお子さんをバイリンガルに育てたんですか?と聞かれました。
正確に言うと、うちの子は今ではもうバイリンガルとは言えません。就学と同時に日本に帰国して時がたち、イタリア語は日常会話をようやく話せる程度です(英語のほうに興味が行っちゃった)。
でも、イタリアに住んでいた7才までは、日本語もイタリア語も母国語レベルで話せていたんですよね。
今日は昔の記憶をたどり、海外で子どもをバイリンガルに育てることに関して、わたしの個人的経験をシェアしてみたいと思います。
海外での事例を紹介していますが、日本でお子さんをバイリンガルに育てたいと考える親御さんの参考になる点もあると思いますので、よろしかったら読んでみてくださいね。
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子どもが混乱しないよう言語環境を分ける
3ヶ国語を話すのでたまに「帰国子女?」と聞かれますが、帰国子女ではありません。留学などがきっかけで、後付けで、苦労して外国語を学習した口です。なのでず〜っと、バイリンガルに育った人をうらやましいと思ってました。
だからイタリアで、イタリア人の夫との間に子どもができたときには張り切りましたね。
書物等でバイリンガルの育て方を調べ、共通していたのは、子どもが混乱しないよう言語環境をはっきり区分するということ。おとうさんとはイタリア語、おかあさんとは日本語と決めたら、それを厳守するということです。
生まれる前は、うちも言語環境をきっちり守らなきゃと意気込んでいましたが、生まれてみるとなんてことはない。わたしの母国語は日本語だから、娘には自然に日本語が出てきたし、イタリア語しかできない夫のほうにチョイスはない。だから、コミュニケーションが一方的な赤ちゃんの間は、区分するのは全然むずかしくなかったです。
成長すると親の努力がより求められるように
しかし、成長するとコニュニケーションは双方向になり、やがてたくさんの人とも同時に話す多方向になります。そうなると、言語環境をきっちり区分するのがけっこう大変になってきました。
たとえば家族で食卓を囲んでいるとき、好き嫌いをしてインゲン豆を食べないでいる娘に、「ぜんぶ食べないとダメよ」とちょっと威嚇口調で諭すと、夫や義父母は日本語がわからないものだから「いったいどうしたの?何を怒ってるの?」と騒然となる。「いや、なんでもないです。インゲン豆を残さないで食べなさいって言っただけですよ」ってわざわざ説明しなくちゃならない。一事が万事そんな感じで、二か国語で実況放送しなくちゃならなくて、これがけっこう疲れましたね。
子どもは二つの言語を同時に体得していく
それでもこちらがきっちりと言語環境の分離を守っていると、子どもというのはよくできたもので、おとうさんとはイタリア語、おかあさんとは日本語で話すものだと理解し、二つの言語を同時に体得していきました。想像してたよりはるかにスムーズに子どもが二つの言語を使い分けるようになったので、ちょっとびっくりしたくらいでした。
うちの場合は、まわりに日本人の友人が少なからずいたのも大きかったと思います。わたしが仕事に出ている間は日本人のベビーシッターさんにお願いもしてました。どうしても日本語が話せるようにしたかったので、そこはこだわったんです。
そんな環境だったので、子どもの頭のなかでいつしか「東洋人の顔 → 日本語 /西洋人の顔 → イタリア語」という区分けができていたのかもしれません。金髪碧眼のイタリア人のチンツィアが、ペラペラの日本語で娘に話しかけたとき、娘はぎょっとしてましたから(笑)。
子どもはマルチな言語環境でもOK
また、友人の家庭は二か国語どころかマルチな言語環境です。
ラディン語という少数言語を母国語とするイタリア人の父親と、日本人の母親の間に三人の子どもがいる家庭です。
父と母はアメリカで知り合ったので英語で話す。父は子どもたちに自分のルーツであるラディン語で話し、母は日本語で話す。子どもたちは学校ではイタリア語で学ぶ。そんな環境で子どもたちは自然に、ラディン語、日本語、英語、イタリア語を解するようになりました。
このように、小さい子どもの吸収力というのは驚くほどで、親が大したことをしなくてもバイリンガル、マルチリンガルに育っていきます、ただし、話し言葉に限れば。
書き言葉となると、これはまた別の話。親のコミットメントがなければどうにもなりません。次回、パート2でお話しますね。
ではまた。See you! A presto!
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