イタリア人的考え方

声なき声は届いているか 政治と選挙

 

 

日本では人と話すとき、政治と宗教の話は避けなさいとよくいわれる。つい熱くなってトラブルのもとになるからだろうか。いつからそうなったのかわからないが、政治と宗教の話題はタブー視されていて、なかなか人の口の端に上らない。

一方、イタリアではすぐ政治の話になる。家族で、友だちと、職場で、あるいはバールで隣り合わせた人と、政治談義で白熱することはよくある。あげく、険悪な雰囲気になったり、けんかになったりもするが、だからといって政治の話題を避けたりはしない。政治は自分ごとととらえられており、政治集会やデモ、ストライキもさかんだ。ある知り合いなどは、日常茶飯事という気軽さでデモに参加していたっけ。

ヴェネツィアに移住してまもないころ、仲良くなったイタリア人の女友だちに、右派なのか左派なのか聞かれ、困ったことがある。ノンポリだったわたしはそれまでそういうことを考えたことがなくて、自分がどっちなのかわからなかった。正直にそういうと、「自分の政治的姿勢を開示しない人とは親しくつきあえない」といわれ、びっくり。

「だって、そんな人とはあたりさわりのないことしか話せない。でも、友人というのはもっと突っ込んだ関係でしょ?」

そう言われ、考え込んだ。

 

彼女の考えには賛否両論あるかもしれない。が、わたしは、彼女のいうことをもっともだと思った。そして三十にもなるのにそんなことも考えてこなかった自分が恥ずかしくなった。

夫の実家でも、義理の姉や妹、その夫たちが集まったときは必ず政治の話になった。みんなそれぞれ考えがちがうので、すぐに喧々諤々の議論になる。最後はケンカになることもままあった。でも、少したてばまたけろっとして、仲良くごはんを食べていたりする。そういうのを見ているうち、政治に関してだって、自分が感じるままに発言すればいいんだ、まちがったことを言っちゃいけないと控える必要はないんだ、と思うようになった。

イタリアでは選挙権はなかったので投票はできなかったが、日本の選挙には海外選挙というかたちで投票した。どの政党に、だれに入れるかは毎回悩む。基本的に支持している政党でも、賛成できない政策のときもあるし、入れたくない候補者もいたりする。悩ましいが、そんなときは前述の女友だちのことばを思い出した。

「正解があるわけじゃないから悩んで当然。でも、その時々で自分にとって最良と思われる選択をする。意思表示する。それがだいじなんじゃないかな」

 

選挙といえば、忘れられない逸話がある。

もう二十年以上前、まだイタリアに住んでいたころ、知り合いの娘さんが女子大生で、ボローニャに下宿して大学に通っていた。が、住民票は出身のリグーリア州の小さな村にあるので、選挙のためにリグーリアに戻らなければならなかった。

ボローニャからリグーリアの村までは、けっこうな遠距離だ。娘さんは電車を乗り継ぎ、選挙のために里帰りしたが、タッチの差で投票所が閉まってしまった。

で、彼女はどうしたかというと、投票所のドアをがんがんたたき、「投票はわたしの権利だ。開けて!開けなさい!」と大声で怒鳴り、ドアを開けさせたというのである。

まだ二十歳そこそこの学生なのに、有権者としての自覚がすごい。ろくに投票にも行かなかった二十代のころの自分と大違いだ。

 

そんなイタリアに長年暮らすうち、ノンポリだったわたしも影響を受けた。日本に帰国してからも、投票には欠かさず行こう、そう思っていた。

が、最初の年はそうもいかなかった。幼い子どもをかかえ、毎日深夜まで働いている。息をするだけで精一杯で、選挙の立て看板も目に入らないし、選挙のニュースも耳に入らない。当時の自分の頭を占めていたのは、自分が働いているあいだ、子どもの面倒をどこで見てもらえるか、どこでどうやって子どもの身の安全を確保するか、それだけだった。

実家は遠距離にあり、親も仕事をしているので来てもらえない。

最初は、東京に留学に来ていたベネチア大学の教え子をリクルートし、住み込みで娘の面倒を見てもらっていた。が、彼女は二ヶ月もたたないうちにギブアップ。

「わたしは母親じゃない。母親のあなたはいつも不在で、責任を果たしてない。これ以上はつづけられない」

このことばは心底こたえた。それでも間髪入れず、次を探さなければならない。

必死でたのみこんで、次はボローニャの教え子に来てもらった。でも彼女も長くはやれないという。

区が紹介してくれた保育家庭にも一時預かってもらったが、ここも夜は九時半まで。そのあとの時間は、目が飛び出るほど高額な派遣のシッターさんに頼むしかなかった。

そんなとき、近所に民間の託児所ができた。一瞬、希望の光が見えたように思えた。が、そこもやはり夜の十時まで。夜十二時を過ぎて帰る親を想定した託児所など、ふつうの世界にはないのだ……。

学童が終わる六時に帰宅できることなど、はなから期待してはいなかった。でも、少なくとも夜十時までに帰れれば、保育家庭や託児所が使えるのに……。しかし、どう頭を絞ってみてもいい方法は見つからなかった。とても乗り切れそうにない……。

とはいえ、一家の大黒柱である自分は、なにがあっても仕事を死守しなければならない。深夜まで働かなければ雇用を守れないなら、深夜まで働くしかないのだ。

 

そんなとき、たまたまつけたテレビで、フィンランドのシングルマザーの番組をやっていた。

彼女はまだ明るい時間帯に保育園に寄り、子どもと平和に晩ごはんを食べている。その光景が、わたしには天国のように映った。

「フィンランドでは保育のインフラはととのっているし、教育は大学まで無償だから、シングルマザーやファザーになっても特に困ることはありません」

母親の女性はおだやかな口調でそう話す。

フィンランドは天国なんだ。そこに行けば自分も人並みに子どもと晩ごはんを食べられるんだ——。わたしはしばらく突っ立って、呆然と画面に見入った。

でも、気がつけば現実が待っていた。比べてもしかたがないが、やっぱり悲しく、つらい。

自分はすごく働いている。みずからの選択でこうなったのだから、人一倍働かなきゃいけないのはよくわかってる。でも、どんなに働いても、個人でどんなに生産性を上げる努力をしてみても、職場全体が夜中まで働く体制だったらどうしようもできない。十二年ぶりの東京で、再就職のチャンスをつかんだ。そこがどんな地獄でも、ここでふんばれなかったら、母子ともども一巻の終わりだ——

そんなふうに追い詰められていた自分には、選挙も、投票も、手の届かない贅沢品だった。

さいわい、しばらくして、近所に深夜まで子どもを預かってくれるという女性が見つかり、ベビーシッター問題がようやく落ち着いた。神さまが出現したのかと思うほど、愛情深い、いい人で、うちや彼女の自宅でよく面倒を見てくれた。その人に助けられ、なんとか徐々に生活を再建していくことができた。

 

何年か経って、そういう状況から脱出することができたあとで、選挙のたびに思った。

当時の自分のような、困っている人間こそ、ほんとうは投票しなきゃいけない。投票して、少しでも生活の質を向上させなければならないのに、余裕がなくて声を上げることもできない。まさに悪循環だ。

あれから十何年もたち、日本でも働き方はかなり変わった。コンプライアンスということがうるさく言われるようになり、少なくとも表面的には長時間労働が減少したり、コロナの副産物でリモートワークができるようになったり、少しづつよくなってきているような気もする。

しかし、大企業やその他の恵まれた職場でそういう恩恵を受けられる人たちがいる一方で、制度からこぼれ落ちてしまう闇のなかであえいでいる人たちも、まだたくさんいるはずだ。彼らはきっと、かつてわたしがそうであったように、そんな矛盾を自己努力で解決するよう強いられているのだろう。そんな人たちに、選挙のとき、だれに投票すべきか、立ち止まって考える時間があるだろうか。わたしにはなかった。

 

彼らの声を、声なき声を、届けなければならない。今、選挙に行ける自分は、彼らの分まで責任がある。そんなふうに感じる。

 

さて、東京都知事選は一週間後だ。都民のあなたはだれに入れますか?

 

 

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ABOUT ME
トリリンガル・マム
長いイタリア暮らしを経て、帰国。日英伊の3か国語でメシの種を稼ぎ、子どもを育てているシングルマム。
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