ヒッチコックの往年の名画、『レベッカ」をアマプラで見た。
「ゆうべまたマンダレーに行った夢を見た」という有名な一句で始まる原作は、英国の作家、ダフネ・デュ・モーリアによる1938年刊行の世界的なベストセラー。つい最近も英国ガーディアン紙が「死ぬまでに読むべき世界の百の名作」のひとつに挙げている。
2020年にはリリー・ジェームズ主演で新版が作られ、それも見たが、ヒッチコック版のほうが原作の凄みに迫るように思われる。製作年が1940年と原作に近い分、当時の時代の描き方がリアルで、モノクロがこのストーリーの妖しい緊張感にぴったりだ。
舞台は1930年代のイギリス、コーンウォール地方の海岸にそびえ立つ広大な大邸宅、マンダレー。
ひょんなことから若い貧しい女性が、このマンダレーの領主、マキシム・ド・ウインターと知り合い、後妻に入る。が、そこは内装から調度品、使用人やしきたりにいたるまですべてにおいて、亡くなった先妻、レベッカの存在が色濃く残る屋敷で、後妻はその影に怯えるという話である。
レベッカは、身分、知性、美貌をあわせもち、女王のようにマンダレーに君臨していた。もう死んでいるのに、夫をはじめ残された者たちをいまだ支配している。レベッカは船の事故で死んだ、そう思われていたのだが……。誰も知らぬレベッカの本性が最後に明らかにされる。
後妻役はジョーン・フォンテーン、マンダレー領主の役はローレンス・オリビエ。当時きっての人気俳優が演じているが、あえてそう描いているのだろう、後妻は若くて一心なだけがとりえの地味な女、ド・ウインターはなにかに悩んでいるナーバスな男という印象で、全然魅力的ではなかった。
この映画でもっとも魅力的だったのは、一度も登場しないのに今なお屋敷に息づいている亡きレベッカの妖気。そして興味深かったのが、レベッカを女神のように崇拝し、彼女にずっと仕えてきた家政婦頭のダンバース夫人の人物像だ。
ネタバレになってしまうが、レベッカはマンダレーでも、ロンドンでも、奔放に男たちと遊んでいた。後半、それがあきらかにされるが、その際、ダンバース夫人は刑事に尋問されても毅然とレベッカをかばう。
「奥様だって楽しむ権利があります」
小気味いい、と思った。同じことをド・ウインターがしてもきっとなにも言われなかったろう。男だし、領主だし、好き勝手やってもそんなものだと受け止められる。しかしいくらレベッカがみなに敬われ、畏れられていた存在でも、レベッカは男ではなく女だ。まだ戦前のこと、スキャンダルになり、糾弾されるのは避けられなかっただろう。でもそれにダンバース夫人は反論している。それもレベッカの夫であり、自らの雇い主でもあるド・ウインターを前にして堂々と。
レベッカは夫のド・ウインターから見ると邪な悪魔だが、ダンバース夫人の目には女神だった。猛々しく荒ぶる魂を持ち、海を愛し、船を操るのは男たちより巧みだった。夫をはじめ男たちを自由に操り、それをおもしろがった。男に支配されなかった。
ダンバース夫人は身分からしてレベッカのようには生きられないが、前述のセリフに見られるように、気骨のある女性である。女という性の不自由さを歯がゆく思っていただろう。また、レベッカの服に頬ずりして陶酔している場面からはレズビアン的要素もうかがえなくない。夫人は男に屈しない気骨のあるレベッカに共感し、憧れ、偏執的に愛していた。ゆえに、あのラストとなるのである。
昔、中学生のころテレビで見たときは後妻と夫に肩入れして見た記憶がある。それが何十年も経って見ると、同じ話でもまったくちがう感想を抱いている。深い作品にはいくつもの顔があるんだな。見る人は見るタイミング、年や人生経験によって、またちがう意味を見出す。
この映画を見たことが呼び水となり、つづけてデュ・モーリア作品を読んだ。「レイチェル」、「人形」、「今見てはいけない」、「スケープゴート」…。研ぎ澄ましたナイフで人の心の深層を切りひらいてみせる、そんな作風で、ぞくっと来る。まだ読んではいないが、ヒッチコックの有名な映画「鳥」も、デュ・モーリアの原作であることを知った。
これらの作品の翻訳を手掛けた務台夏子さんはあと書きで、デュモーリア作品の魅力は「幕切れの鮮やかさ、読者を突き放す冷徹さ」と書かれていた。言い得て妙である。
読んでいてこの作家に俄然興味を持ち、本を読み漁るだけでなく、どんな人だったんだろうとネットで調べてみた。1907年生まれということで日本語の情報は少なかったが、イギリスで作られたドキュメンタリー、BBCのインタビューがあってそれらが大変興味深かった。
祖父は作家、両親は有名な俳優というアーティスティックで華やか、裕福な家庭に生まれたが、本人は孤独を好み、早くから文筆で自立した。コーンウォールの荒々しい自然を愛し、マンダレーを彷彿とさせる屋敷に住んでいた。そして自分のなかには「箱のなかの少年」がいると語り、同性に惹かれる人でもあったようだ。
ドキュメンタリーで見たダフネ・デュ・モーリアはうつくしく、ダンディーで、彼女が描く登場人物同様にミステリアスで魅力的な人物だった。
次回は作者についてお話しする。
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