近所の公園は犬天国。朝から晩まで犬を散歩に連れてくる人たちでいっぱい。ポメラニアンや豆柴など小型犬から、ゴールデンリトリーバー、秋田犬といった大型犬、アフガンハウンドなどちょっと珍しい犬までありとあらゆる種類の犬にお目にかかれる。
飼い主はみな誇らしそう。うちの子は世界一、そんな目で犬を愛でながら歩いている。
強面のおじさんでも愛犬を見るまなざしはやさしい。となりの妻が話しかけても無視しているのに、愛犬がワンといっただけで相好を崩している。それを見ていて、犬というのは人間にとって特別な存在なんだなぁとあらためて思う。
かわいいといえば赤ちゃんもかわいいが、ぐずられるとそうも思えなくなってくる。でも犬はぐずらない(そんなに)。人間の赤ちゃんほど要求が強くない。そこが、物言わず静かに寄り添ってくれるところが人の心を落ち着かせてくれるんだろう。
そういえばあのロビンソン・クルーソーにも犬がいた。ブレードランナーの続編で逃亡生活を送るハリソン・フォードも犬だけは飼っていた。こんな屈強な男たちでも相棒は必要だったんだなぁと、ちょっとほろりとさせられる。
そんな話を知人としていたら、知人が「ぼくも飼いたいんだけど、保護犬はゆずってもらえないんです、ひとり暮らしの高齢者だから」と苦笑する。高齢者って、まだ61だ。「自治体にもよるけど、ぼくが住んでるところは原則60才までなんですよ」
知らなかった。病気になったり体力が弱ってペットの世話をできなくなるおそれがあるからだという。ペットの福祉を守ろうということなのだろうけど、でも、せつないな。
ひとり暮らしの高齢者だからこそペットが必要なんじゃないか。人付き合いより自分自身と向き合うようになる年代だからこそ、動物がちょうどいい相棒になるんじゃないか。
知人はまだ61才。まだまだ元気であと十年、二十年、犬をかわいがれるのに、それがゆるされないなんて。
かくいうわたしは犬派だったのに、ひょんなことから猫を飼うことになった。子どもが思春期のころ、猫猫とうるさくせがまれ、根負けして飼いはじめた。
で、飼ってみると、すごくかわいい。犬とちがって不愛想で、直な愛情表現はしないが、なんとなく阿吽の呼吸で気づけばそこにいる。猫とか人間といった種別を超えてつながっているのを感じる。
猫を飼ってみて動物から受ける恩恵の大きさを知ったわたしは、前述の知人の話に胸が痛んだ。
ひとり暮らしの高齢者に保護犬はゆずれないとは、ちょっと残酷じゃなかろうか。ペットショップで買う分には問題ないそうだが、里親を探している犬猫がいるのに、それもなんかなぁ。
とはいえペットの世話は手がかかるのも事実だ。
うちの猫などは爪を切るのも嫌がり、暴れるのでとてもひとりではできない。ふたりがかりで、なだめすかして、それでも引っ掻かれて大変。毛を切ったりお尻を洗ったりとなるとさらに難度が増し、終わるとどっと疲れる。保護犬の里親に年齢制限を設けているのもわかる気がする。今は大丈夫でもこの先からだが弱ったら無理でしょう?ということなんだろうな。お金もかかるし。
う〜ん、むずかしい問題だ。ペットの心身の健康は守られなければならない。でも、年をとっても犬や猫を飼いたいと思う、それもまた人情だ。
調べてみると、ひとり暮らしの高齢者でも譲ってくれる団体もあるようだ。また、飼い主に何かあって飼えなくなった動物を、また引き取ってくれる動物愛護団体もあるそうだ。
知人が犬を飼えるといいなあ……。
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UnsplashのNathan Jenningsが撮影した写真, Thank you!
