なんとヘアドライヤーを洗濯してしまった。洗濯機のなかから洗ったTシャツやタンクトップにまざり、濡れたドライヤーが出てきてびっくり。どうしてこんなことに……?
ああ、そうか。昨日旅先の海外から帰り、洗濯物が詰まったランドリーバッグを無精にも中身も確認せず洗濯機に放り込んだのだった。スーツケースのなかで壊れないよう、ドライヤーを衣類の間に挟んだつもりだったが、なぜかランドリーバッグのなかに入っていた。
しばらくそのシュールな光景に見入った。こんなヘマをやったなんて信じられない。こんなうっかりミスはしたことがないのに……。
二十年近く前、日本で母子家庭になってから、戸締り、火の始末、子どもの送り迎えのシッターさんとの連絡等、ミスはゆるされないと常に気を張り詰めてきた。自分でも嫌になるぐらい、生活のあらゆることに注意深く神経をとがらせてきた。
そして子どもが成人し、そんな必要がなくなってからも、わたしはなかなか自分自身を更新できずにいた。
「ママ、鍵はもうかかってるよ」
娘に笑われるのだが、戸締りを何度も確認せずにいられない。仕事でも家でも物事がつつがなく行くようにと、念には念を入れずにいられない。が、それにとても疲れてきた。空回りしていると感じる。
それは旅先の異国でも感じた。安全へのこだわりが強くなり、以前ほどのんきに旅を楽しめない。ハプニングをストレスに感じるようになった。
いったいいつから自分はこんなふうになっちゃったんだろう。若いころは怖いもの知らずでなんにも気にしていなかったのに、いつのまにこんなに縮こまってしまった……?
なぁんて、自己憐憫している場合ではない。
やり方を変えなければならない。古いモードが不要な負荷をかけ、あちこちで不具合が生じている。手放さなければならない、物事をコントロールしたいという欲を。自分が消耗するだけだ。でも、どうやって? 長年からだに染み付いたやり方を変えるのは容易ではない。
帰りの飛行機のなかでもそんなことをうっすらと考えていた。でももちろん答えなんて出ない。疲れて帰宅して寝てしまい、翌日はちょっとブルーな気持ちで目覚めた。けだるく洗濯機を回し、蓋を開けたらヘアドライヤーがあったのだった。
一瞬ぎょっとした。そしてあ〜あとため息をつき、濡れて水滴のついたそれを取り出した。三十分も洗濯機のなかで回されたわりには割れてもいない。な〜んだ、これなら衣類の間に挟む必要もなかった。
壊れているだろうか? まあそりゃ壊れているだろう。でもそもそも壊れてすごく困るといったものでもない。
眺めているうち、もういいや、という気になった。もういい、終わった。これが現実だ。ドライヤーを洗濯しているような自分に物事をコントロールする力なんてもはやない。望む望まないにかかわらず、新しいフェーズに入ったんだ。
今日はドライヤー記念日。やけくそにつぶやいてみる。苦笑がもれる。でも案外気分は悪くない。
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