本・作家

ハン・ガンの「菜食主義者」を読んで

 

昨年ノーベル賞を受賞した韓国の作家、ハン・ガンの小説。地味で平凡な妻が過激に豹変していく姿がすさまじく、ぐいぐい引き込まれて一気に読んだ。

夫から特に取り柄がないと見られ、この程度の女が自分にはちょうどいいと軽んじられていた妻、ヨンへ。彼女はある日突然、肉を食べなくなる。

最初は今流行りのベジタリアンにでもなったのか、ぐらいに考えていた夫だが、冷蔵庫の肉、魚、冷凍庫のエビ、貝、うなぎも全部捨て、肉で取った出汁も拒み、痩せ、奇矯なふるまいをするようになった妻を見て事の重大さに気づく。

夫はヨンへの姉、両親に助けを求めるが、ヨンへは頑なに肉を拒む。極端な行動で家族を戦慄させ、日常から逸脱していく——。

 

第一話は夫の視点、第二話は姉の夫の視点、第三話は姉の視点で語られる。そのあいまあいまにヨンへの見る夢の話が入る。

ヨンへはなぜ肉を食べなくなったのか。ブラジャーをしないのか。上半身裸で日光浴をするのか……。その理由が読み進むうちに明らかにされる。

どんどん痩せていくヨンへに肉を食べさせようと、家族はありとあらゆる方法で試みる。

父親はヨンへを殴りつけ、口に肉を押し込む。母親は幼児のように口を開けさせ、スプーンで食べさせようとする。高価な黒山羊の血を買ってきて飲ませようともする。が、ヨンへの拒絶は固く、喉に肉を通すことはできない。

 

ヨンへが見る夢と独白にはヨンへの変化の理由が暗示されている。

森のなかの納屋に吊るされた血まみれの肉の塊。口のなかの生肉の感触。泣き叫ぶ声、咀嚼した肉の命がからだにまとわりついて取れない……

飼い犬のエピソードは読んでいて目を背けたくなった。悪さをした飼い犬に彼女の父親がむごたらしい罰を与え、犬が血まみれになる。父親はこのようにしたほうが肉が旨くなるからと犬を虐待し、さらに犬鍋にしたという、胸悪くなるようなエピソードだ。

しかし、そんなことをいう自分も、日々肉を食べている。それらの肉は豚や牛、魚や鶏を殺して得たものだ。が、ユンへの夫や家族同様、食べるときに殺生については考えない。

ユンへもそれまでは普通に肉を食べてきた。料理もうまく、肉をさばくのも上手だったと夫は語る。ほかの人たちと同様に日常を生きてきたユンへだが、彼女の内面でなにが起きていたかはわからない。おそらく彼女にもわからない。そしてある日、まるでダムが静かに決壊するように、なにかがユンへのなかで閾値を超え、彼女は菜食主義者になる——。

 

第二話はユンへの姉の夫の視点で語られる。

冴えない中年のビデオアーティストの義兄は、妻からユンへに蒙古斑があると聞き、尻に浮かぶ青いイメージに取り憑かれる。それはユンへの蒙古斑を見たい、さらにはその全身に花や葉っぱのボディーペインティングをしてビデオに撮りたいという妄執にエスカレートしていき——

植物の交わりという幻想的なイメージの果て、破滅が訪れる。

 

第三話はユンへの姉によって語られる。

おとなしかったユンへとちがって、姉はしっかり者で愛情深い人だった。若いころから小商いを成功させて自立し、封建的な親、地に足がつかない夫を支え、妹のことも気にかけてきた。

大きな森のはずれの精神病院に収容されている妹を、姉は見舞う。

姉は思い出す。おとなしかったが強情だった妹を父はしばしば殴った。一方、長女だった自分は家事もするし便利だったのだろう、手加減された。自分の父への従順さは卑怯だったのか……。

いやだ。もう耐えられない、ぎりぎりだ。いや、前からずっとぎりぎりだった……。

ある日ユンへを見舞うと、ユンへが顔を真っ赤にして逆立ちをしている。木はみんな逆立ちしているのだとわかったと顔を輝かせていう。

「お姉さん、世の中の木がすべて兄弟みたい」

「お姉さん、わたし、もう動物じゃないの。わたし、からだに水をやらなきゃ」

 

夜、鬱蒼たる森に激しく雨が降っている。豪雨に打たれ、木々は黒く燃えているようだ。ユンへは深く深く森のなかに入っていく。ひとりで、深く、深く……

 

感想を述べたかったが言葉が見つからない。黒い森で自分も雨に打たれているような、そんな強烈な読後感だけが残った。

 

〜終わり〜


菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

 

 

★最後までお読みくださりありがとうございます!ブログランキングに参加しています。よかったら「イタリア語」というアイコンをクリックし、応援していただけるとうれしいです。
にほんブログ村 外国語ブログ イタリア語へ
にほんブログ村

 

ABOUT ME
トリリンガル・マム
初著書「ヴェネツィアの家族」が書店・Amazonで好評発売中。詳しくは『プロフィール』をクリック
こちらの記事もおすすめ!