映画

グラン・トリノとミシガン

 

来たるアメリカ大統領選で、ミシガン州が注目されている。選挙の勝敗の決め手となるスイングステートのひとつということで、先日も、トランプ、ハリス両候補が、デトロイト北西のオークランド郡で演説をしていた。

ミシガンはアメリカ中西部、五大湖沿岸に位置する。北と東はスペリオル湖、ヒューロン湖をはさんでカナダと接し、東南部にはフォードの本拠地デトロイト、そのちょっと西側のアナーバーに、名門、ミシガン大学がある。

森と湖が多い緑豊かな州で、わたしは高校時代に、州南西部のカラマズー近くの小さな町に留学していた。(余談:カラマズーにはその昔、永井荷風が留学していた)

ミシガンの選挙戦の報道を見ていて、「グラン・トリノ」という映画をまた見たくなった。クリント・イーストウッド、78歳のときの監督作品。2008年の映画で、自動車産業が衰退したデトロイト近郊の町が舞台だ。

 


グラン・トリノ (字幕版)

 

イーストウッド演じる主人公、ウォルト・コワルスキーは、ポーランド系の米国人。フォードで五十年働いた元自動車工で、朝鮮戦争の帰還兵でもある。妻に先立たれ、ひとり暮らし。いつも苦虫を噛みつぶしたような顔をしている頑固じじいで、息子や孫たちからも敬遠されている。神父が心配してたずねてきてくれても、「頭でっかちな童貞」とこきおろし、追い返してしまう偏屈ぶりだ。

頰をゆるますのは愛犬にだけ。そして愛車のグラン・トリノ。昔自分が組み立てた車をぴかぴかに磨き上げ、それを眺めながら玄関前のポーチにすわってビールを飲むのが日課だ。

そんな彼が住んでいるのは、昔はフォードで働いていた人たちがたくさん住んでいたであろう住宅街。しかし今ではその人たちもいなくなり、移民が増え、町も様変わりしてしまった。

それでもウォルトの家だけは、星条旗が飾られ、芝生がきれいに手入れされている。夏空の色といい、妻の葬式に集まった実直な感じの人々といい、エリアはちがうが同じミシガン、自分が住んでいた町に似た雰囲気があり、なつかしい。

そんなウォルトの家の隣に、ある日、アジア人の一族が越してくる。様子の異なる人々がぞろぞろと出入りし、意味不明の言葉が交わされる。それを見て、ウォルトは眉をひそめる。中国人かときくと、ちがう、モン族だという。

「モン族? モン族がなんでミシガンなんだ? 一年のうち半分は雪に閉ざされるようなところだぞ」

 

ウォルトもびっくりだが、わたしもおどろいた。

自分が留学していた40年前、高校には黒人の男の子がひとりいただけだ。ほかは全員白人だった。町にアジア人はわたしだけ。わざわざ顔を見に来た人もいたぐらいだ。

デトロイトだけは昔から黒人の多い地域だったが、今日でもアジア系はたったの0.97%。そんな地域に、東南アジアの少数民族という人たちが移り住んでいる……。隔世の感があった。

 

モン族の到来がおもしろくないウォルト。そもそも彼の日常は、「イタ公、元気にやってるか」といった差別的な軽口からなっている。多様性や政治的正しさなんて言葉は彼の辞書にない。隣家の玄関ポーチにいつもすわっているばあさんに、心のなかで「イエローが」と毒づきながら、おたがいににらみあっている始末だ。

 

見ていてふと思った。「ラストベルト(rust belt  錆びついた工業地帯)」という言葉をよく耳にするようになったのはいつごろからだろう。もう十年は経つのではないか。

ラストベルトにミシガンも含まれていると知り、ずいぶんな名前で呼ばれるようになったとショックを受けた。わたしが留学していたころ、ミシガンは決して華やかではないが、十分豊かな地域だった。

わたしを迎えてくれたのはふつうの中流家庭だったが、ホストピアレンツは子どもが六人もいるのに留学生を迎え入れ、一年も面倒を見てくれた。食費も滞在費もまったくの無償でだ。

森のなかの湖畔に白いコテージを持っていて、夏にはそこで泳いだり、水上スキーをした。休みとなると家族でキャンピングカーでくり出した。キャンピングカーなんて、それまで日本では見たこともなかった。

冬は長く、寒いが、家も学校もセントラルヒーティングで、室内では半袖で過ごせる。ホームカミングやプロムといった公式なパーティーには、高校生もドレスアップして出かける——。

そんな暮らしぶりは、わたしにはとても豊かに見えた。1981年、円がまだ弱かった時代だ。

 

映画の舞台のデトロイト周辺でも、そのころの中流家庭の暮らしぶりは似たようなものだったろう。ウォルトもフォードで一生懸命働き、息子をふたり育て上げた。しかし……。

時代は変わった。自動車産業は衰退し、デトロイト近辺には廃墟やスラムが増えた。移民が増え、慣れ親しんだ町もすっかり様変わりしてしまった。

息子はあろうことか日本車のディーラーをやっている。孫たちも、甘やかされ、性根が腐っていて、じいさんが死ねば自分はなにがもらえるかしか頭にない。

なにもかも気に入らない、なにもかも腹立たしい——時代の変化から取り残されてしまった鬱屈を、ウォルトはどこにも持っていきようもない。

そしてなにより、心のなかでは、朝鮮戦争で人を殺したことがずっと暗くうごめいている。それも、少年兵だった……。

 

朝鮮戦争といえば、わたしのホストファーザーも兵役についた。彼は強面のウォルトとは似ても似つかぬ、明るい、やさしい人だったが、そんな彼も戦争に行ったのだ……。わたしはそれを、十数年前、お墓まいりに行ったときに知った。お墓に「朝鮮戦争退役軍人」と刻まれていた。

今思えば、アメリカの高校のほかのおとうさんたちも、朝鮮戦争に行った人は少なからぬ数いたのではないか。なかにはウォルトのようにトラウマをかかえ、苦しんでいた人もいたのかもしれない。

 

孤独な日々に入り込んできた隣人のモン族たち。芝生が手入れされておらず、雑草を生えているのを、ウォルトはいまいましく眺める。ばあさんとはにらみ合い、つばを吐き合う。モン族のチンピラたちが隣に押し入り、騒ぎを起こした際には、「自分の敷地に一歩でも入ったら殺す」とライフルで脅す。

それなのに、愛車のグラン・トリノがきっかけで、隣家の少年、タオと、妙なかかわりが生まれる。タオと接するうち、タオや姉のスー、一族の置かれている状況が、ウォルトの目にはじめて生々しく入ってくる。

 

隣家の少年、タオは、同じモン族のチンピラギャングたちにつけまわされ、悪事の仲間入りを強いられている。住宅街の周辺には、破れたフェンスや廃工場の荒涼とした風景が広がる。抵抗しても、あがいても、逃げるすべがない。仲間に入るか、刑務所に行くか、やられるしかない。それがタオの現実だ。

タオの姉、スーは、そんなギャングたち相手に一歩も引かない気骨ある少女だ。が、それがわざわいしてひどい暴行を受け、陵辱されてしまう。

 

そんな目を背けたくなるような現実、生身の人間の苦しみを目の当たりにし、ウォルトのなかでなにかが動く。移民をひとかたまりの厄介なものとしてしかとらえていなかった男の目に、ひとりひとりが人間として、個人として、目に入るようになってくる。その、タオの、姉のスーの「人間」にふれたとき、ウォルトの固く閉ざしていた心がほどける。そして、自分でも想像だにしなかった行動に出る——。

 

異質なものを受け入れるということは、上っ面だけで語れるようなことではない。そう、あらためて強く感じた。それは時に、命さえ賭けねばならないほどのことなのだ。しかし、それが起こり得たときには、奇跡のような光がつらい闇を照らす……。

ラストシーン。グラン・トリノが駆け抜ける湖畔の、湖面の青い輝きがうつくしかった。

 

さて、来たる11月5日はいよいよアメリカ大統領選。わがいとしのミシガンは、トランプと、ハリスと、どちらにアメリカの手綱を任せるのだろう?

 

 

*グラン・トリノはフォードが1972から76年まで製造・販売していた車。車名は、「イタリアのデトロイト」とも呼ばれるトリノ市に由来するそう。映画に登場する車は1972年型グラン・トリノ、ファストバッグ。

 

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UnsplashSam Warrenが撮影した写真, Thank you!

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トリリンガル・マム
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