アマゾンプライムで今、映画「バベットの晩餐会」をやっているのでぜひ見てほしい。何十年ぶりかで見て、あらためて感動を新たにした。数奇な運命の女主人公、バベットが、一世一代の大盤振る舞いをする物語だ。
1987年に公開され、世界的にヒットした。バブル期の東京のフレンチレストランでは晩餐会メニューを再現する店も出たぐらい。が、決してグルメ映画などではない。
食べるということ、料理を供するということ、献身、愛、芸術、技、運命、生き方……いろんなことを問い、考えさせられる映画だ。どこに惹かれるか、人によっても異なるだろう。
わたしはというと、バベットの矜持にしびれた。運命に打ちひしがれても、境遇が変わっても、自分は自分であるという——。
以下、かんたんにあらすじを紹介する。
時は19世紀後半。パリ・コミューンの混乱で夫と息子を殺されたバベットは、パリからデンマークの海辺の寒村に命からがら逃げてくる。村の牧師館の初老の姉妹、フィリッパとマーチーネに助けられ、そこの家政婦をして暮らすようになる。
姉妹は若いころ、清らかな美しさと声楽の才能で知られた。遠方から求婚者たちもあらわれたが、厳格なプロテスタントの教えを伝える父の牧師を助け、未婚のまま村の信者たちへの献身に生きてきた。
粥に入れる塩もないような質素な暮らしを営む村人たち。彼らはよそ者のバベットを警戒するが、バベットが来てから粥がおいしくなったことに気づく。姉妹もふしぎがる。おいしくなったにもかかわらず、食費は前より少なくて済んでいるわねと。
そうして14年が経った。村人たちも老い、つまらない嫉妬や猜疑心からいさかいが増えるようになった。それに心痛めた姉妹は、父牧師の生誕百周年記念の晩餐会を行い、みんなの心をひとつにしようとする。そんな折、バベットの元にパリから郵便が届く。1万フランの宝くじが当たったのだ。
「これでパリに帰れるわね!」姉妹たちはバベットのために喜ぶ。バベットはだまって微笑み、申し出る。「晩餐会はわたしにやらせてください」
しばらくして、寒村の浜辺に荷を積んだ小舟が次々と着いた。うずら、牛、トリュフ、シャンパン、クリスタルグラスといった品々を見て、村人たちは度肝を抜かれる。海亀が運ばれてくるころには恐怖にとらわれた。これは悪魔の晩餐会にちがいないと。
魂をもぎとられないよう、食べ物の話はいっさいしないようにしようと誓い合い、晩餐会にのぞむ村人たち。しかし、贅を尽くした超絶技巧の料理の数々が運ばれるうち、人々の心はしだいにほどけ……。
晩餐が終わり、姉妹はバベットが何者だったかを知る。
原作はカレン・ブリクセン。別名アイザック・ディネーセン(イサク・ディーネセン)という名でも知られるデンマークの作家だ。バベットに負けず劣らぬ、いやそれ以上の波乱の人生を送った。
1885年、デンマークのルングステッズの資産家の名家に生まれたカレンは、感じやすい、夢見る少女だった。コペンハーゲンやパリで絵画を学んだり、短編小説を投稿したりしながら自由に憧れていた。遠縁のブロア・ブリクセン男爵と結婚することにより、新天地アフリカに行くという自由への翼を手に入れる。
ふたりは英国領ケニアに入植し、コーヒー農園を始める。が、そこは栽培に適さない地だった。夫は農園経営に本気を示さず、ふらふらしては浮気をする。夫婦仲は暗礁に乗り上げ、まもなく離婚。夫は去るが、カレンは広大な農園にひとり残り、奮闘する。万難あるものの、アフリカの大自然のうつくしさはカレンにとって余りあるものだったのだ。
離婚後、英国貴族、デニス・フィッチ=ハットンと親密な関係になる。デニスはカレン同様、アフリカと自由を愛する男。飛行家で、狩猟家で、サファリから次のサファリへの合間に戻ってきては、カレンの家で過ごす。
そんな折、カレンはよくデニスに空想のおとぎ話を聞かせて過ごした。デニスはカレンがつくる物語が好きで、帰ってくるといつも「新しい物語はできたかい?」とせがむのだった。
そんなおだやかな愛に満ちた日々もあったが、農園経営はきびしさを増し、バッタの襲来、火事といった災難に見舞われ、カレンはついに破産してしまう。そのうえ、最愛のデニスまでが突然の飛行機事故で死ぬ。
すべてをなくしたカレンは18年暮らしたアフリカの地をついに去る。48歳。失意と傷心をかかえてデンマークに帰ったカレンは実家に身を寄せ、北国のどんよりとした空と雲が重く垂れ込める海辺の屋敷で、やがて物語を書き始める。デニスが自分の語る物語を楽しみにしていたのを思い出して——。
わたしは映画「バベットの晩餐会」、「愛と哀しみの果て」でカレン・ブリクセンのことを知り、彼女の作品に夢中になった。
「夢見る人々」、「ピサへの道」、「エルシノーアの夜」——運命の不思議が典雅な筆致で描かれ、神秘的な世界にぐんぐん引き込まれていく。
そのあとに書かれた「Out of Africa アフリカの日々」は、アフリカで18年、コーヒー農園の主人として過ごした日々を綴った回想録。ヘミングウェイをして、ノーベル賞は自分よりカレンのほうがふさわしいと言わしめた作品。アフリカの人々や自然、野生動物への透徹した観察力と筆致、そこに透けてみえる彼女の人間性の深さと気高さに打たれる。この「アフリカの日々」が、1985年に映画化された「愛と哀しみの果て」だ。
自由を夢見、強い独立心を持ち、アフリカをこよなく愛し、農園で働く原住民の人々に尽くしたカレン。にもかかわらず、いくつもの不幸に夢砕かれ、すべてを失った。
そんな人だったからこそバベットのような物語を書けたのだろうし、また書かずにはいられなかったのだろう。
筆名であるアイザック・ディネーセンのアイザック(イサク(Isaac))とは、旧約聖書の「創世記」に登場する人物で「笑う人」という意味なのだそうだ。
「笑う人、ディネーゼン」なんて、自分の哀しみを高みから見て笑おうとしたのだろうか。そうすることによって哀しみを追いやろうとしたのだろうか。いたましいほどに高貴な筆名ではないか……。
バベットの矜持とおなじ矜持をこの筆名に見る。
映画、ほんとうによかった……。
〜終わり〜
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UnsplashのNils Stahlが撮影した写真, Thank you!
